第一部最終話 恋とか愛とか、そして、仲間と



 風呂をつかい、さっぱりした九兵衛は囲炉裏いろり端で腰をおろした。


 私と、オババやトミとで囲んだ囲炉裏……


 パチパチとはぜる炭火の音が心地よくて、なんかね、なんか血のつながりはないけど、家族が集まったような暖かさに満ちていたんだ。


 ああ、それに、この仲間は出世した。


 前回、意識が入れ替わったときは野外キャンプといえば聞こえがいいが。もう、あれだ。ほぼほぼホームレスの自然のなかでたきぎをかこんでの食事。味のないスープのような雑炊に兵糧丸ひょうろうがんしかなくて。


 戦国時代は1日2食が基本だったのだよ。


 現代のように3食になるのは、ずっと歴史がさがり江戸時代の中期になってからなんだ。翌朝の体をつくるためだろう、兵は1食にご飯をお茶碗ちゃわん5杯はいく。塩分も多い。


 戦闘は体力勝負で、現代人なら先の一本道にまっすぐ見えるのは成人病、が、この時代、そこまで生きている人は少ない。


 今宵の食事はネギミソの団子があり、玄米ごはんに汁物。煮物までつけてあるのは九兵衛が帰ってきた華やぎだ。

 いや、贅沢になったものだ、私たち、立派な屋敷のなかで人間らしく食べてるし。


 囲炉裏いろりの上にミソ汁も吊るしてあった。


 私たちは笑った。

 九兵衛の話す、おバカな陣中での出来事に大いに笑った。


 そう、奴は女たちを笑わすこともできる。

 お市の方さまを狙って失敗した彼は、心の内でなにかが変化したのだろうか。家族を殺した信長配下で働くのにわだかまりはないように見えた。


 古川九兵衛。この男は、のちに明智三羽鴉あけちさんばからすと呼ばれる。「本能寺の変」で最初に突っ込んでいく一人だ。


 以前は知らなかったが、一旦、未来にもどって、それを知った。


 そう、あと、3年。

 九兵衛の命が3年と思うと、ふいに泣きたくなった。

 未来など知るものではない。


「おおよ、アメ。俺に会えて嬉しいのか」と、九兵衛はロウソクのほんのりした灯に笑っている。

「フン、笑えない」

「たく、本当のことを言ってもいいんだぞ」

「あのね」

「おい」と、オババが言った。

「誰だ? この女」

「オババだ」


 前の転移ではオババは私の実母おカネになっていた。今回は姑のおイネで、全く顔が違うから。そこ説明するの、結構、ややこしい。

 トミやテンは別の人間だって思っている。まあ、同じだったらホラーだけど。


 で、九兵衛。


「え? 随分と顔が変わったな」って。


 お前は、ほんと天然だな。

 顔が変わるってレベレじゃないでしょ。別人でしょうが。

 で、次に九兵衛、オババの性格を知らずに言い放った。


「顔を一回、つぶしたか、オババ」


 私は止めた。一応は止めた。しかし、それはオババだ。酒も入っていたし、気づいたときにはボコボコで。


 これ、前もあった。確か九兵衛が私にのしかかってきたときだ……、


 戦国時代のモラルはゆるい。

 祭りとなれば乱痴気らんちき騒ぎがふつうで、結婚の制約だってほぼない。いっそ多くの子をなした男がもてはやされるんだ。


 だから、九兵衛は軽い気持ちで女をモノにする。

 もう、さわやかだって言うしかない。

 いやいや、現代人、現代人、私は現代人だから。


 なんて考えながら、二人の戦いをみて笑い転げていた。


 てか、みんな笑ってるし。

 いいのだ、これで。

 つかの間の刹那せつなの時間に、ちょっとくらい幸せでも。


「わかった、わかった、お前はオババだ。それにアメの姑か」

「そうだ」


 と、九兵衛、オババの腕を抑えながら、こちらを見た。


「ところで、アメよ、実はあんたを迎えにきたのだ」

「私を?」

「殿の様子がおかしい。書状が来てな。それで戻ってきたんだが、アメがいるなら。一緒にと思ってな」

「殿って、明智殿か」

「そうだ」

「数年前に大病をなされたろう。それと同じなのか」


 光秀の大病の話に九兵衛の眉があがった。今が天正7年(1579年)なら、光秀は最愛の妻煕子も失っているはずだ。


「いや、どうも違う。詳しいことはわからんがな。巫女殿、一緒に来てくれんか。殿は煕子さまを失ってから、どうも心の一部が死んでいる」

「心が?」

「威勢はいいんだがな。八上城を落として復讐は終わった。がな、ほれ、なんて言うかな。なにか死に急いでいるようでな。医者よりも、案外と巫女殿のほうがいいかもしれん」

「私がか? なにもできない、って思う」

「いや、ちょちょっと、マジナイとかで」

「そんなマジナイ知らんわ」

「いや、アメよ。ともに城へこい。それで医者が必要なら教えてくれ」


 ふふふ、九兵衛。ナマ光秀に会えるとなって私が行かないなんて、あるわけないでしょ。逆に、連れて行けと頼みたいほどだ。歴女なんだ。


「わかった」

「私も行こう」と、オババが言った時、九兵衛の意識が私たちから外れたようにみえた。


「ああ、いいぞ」


 彼は上の空で返事をした。


 私は背後を振り返った。

 薄暗い障子しょうじに人影が、袖の片方がゆらゆらしている。

 テンだ。


 九兵衛は立ち上がると、テンのそばに向かった。


 障子が開いた。

 ロウソクにゆれるテンの横顔はこの世のものとは思えぬほど美しかった。

 テンが立ち上がると、九兵衛はそのあとを追った。


 私たちは九兵衛が抜けても気づかぬふりをした。トミが閉じた障子を見つめている。


「トミ」と、オババが言った。

「今宵は飲もう」

「ああ、そうやな。オババ。あんたたちがいてくれて、うれしい」


 その夜はいつまでも、しっとりと続いた。

 遠くで、ふくろうが鳴いた。


第一部 了

(第二部につづく)

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