第17話 戦国時代のモテ男



 明智光秀が八上城やかみじょうを包囲したのは前年の春頃。


 この城は第一次丹波攻略でうらぎった波多野が城主だった。3年前、光秀軍は壊滅かいめつし、光秀自身も死にかけた因縁の戦い……。


 いや、もうね、恨み骨髄こつずいって、こういうのを言うんじゃない?


 多くの犠牲者を出した裏切りに、明智の配下は腹にいち物もに物もあった。いや、いっそ忿怒ふんぬであった。

 だから、復讐に燃えて城を囲んだのだ。


 波多野は後悔したかもしれない。


 というのも、織田を裏切ってまで加勢した頼みの鬼、赤井直正が亡くなっていた。丹波の豪族たちは大きな支えをうしない光秀に切り崩された。


 こんなことなら、あの時、裏切らねばよかったと思ったかもしれない。


 光秀は真面目な性格だ。彼の残した几帳面な字体からも、その生真面目さが伺える。こういう男に、あれは水に流してと言っても無駄なことにちがいない。


 徹底的にねちこく光秀は復讐した。いや、城を囲んだ。


 だから、この攻城戦は凄惨せいさんきわまるものになった。

 城側は飢えに苦しんで同士討ちまではじまった。


 光秀は冷酷に計算して追い詰め、相手がぽきりと折れるのをただ眺めていた。

 まだだ、まだ俺の怒りはこんなものじゃないと執拗しつように攻め立てた。


 1年3ヶ月だ。


 八上城やかみじょうに閉じ込められた城主とその配下は、1年3ヶ月をサバイバルした。


 時に、逃げようとする配下に凄惨せいさんなリンチまがいの内輪揉めがおき、城から落ちのびてきた兵士は、顔の形が崩れるほど殴られていたという。


 地獄だった。


 八上城は落ちた。波多野三兄弟をはりつけの刑にして、光秀の復讐は終えた。


 その冬から初夏にかけて、私とオババは、のほほんと天国のような九兵衛の屋敷で退屈していた。


 九兵衛は全く帰ってこなかった。当時の戦国武将は単身赴任が多い。現代の単身赴任とちがって、車も列車もないし、せいぜい当時のノロマな馬が交通手段であって、簡単には帰ってこれない。


 というわけで、私たちは爺と下人だけの屋敷で、平和に時が過ぎていったんだ。


 トミがオババを違和感なく「オババ」と呼ぶようになった頃……。


 井戸で水を汲み、水桶を担いで台所へとフラフラ歩いていると、いきなり肩の重みが消えた。


 誰よ、こういうイタズラをするのは、オババか。いや、オババなら重くするはず。


 振り返ると、日に焼けた大柄な男が立っていた。


「おう!」


 え?

 おっ?

 おうって。


 これは……


「九兵衛、九兵衛か」

「おう、ひさしぶりだ、アメ。いまは昔の巫女さまか」


 言葉が出なかった。


 私が前に転移したときから、6年が過ぎていた。九兵衛の面構つらがまえは変わっていた。もともとから根拠のない自信を持った男だったが、その若さからくる軽薄さが薄れ、匂うような男気があった。


 いや、こりゃ渋くて、いい男だ。

 生死の境で生きてきた男の核のようなものが、しっかりと根付いた骨太な男。


「ほら、おい、返事だよ」って、頭をポンポンする。


 こ、この無意識のモテ男、メンヘラ製造機が!


「そうだ。九兵衛、ここへ戻ってきた」

「それはよかった。いやな、トミからの書状でアメが戻ったと書いてあったが、本当だったか」

「なつかしいな」

「おうよ、戦場をすっとばして来たかいがあったぜ」


 こ、こら! だからまずいって、そういうの。ほんとこいつは無意識か、あるいは、意識的なのか。心臓のやわらかい部分に直球勝負でつっこんでくるから。


 アカン、このままじゃ奴の勢いに呑まれる。


 私は強いて話題を変えようと探した。そうだ、トミたちに聞こうとして、なんとなく話題に乗せずらかった弥助。どうなったのだろうか。


「弥助だけど」

「ほお」って、九兵衛、目を細めた。

「久しぶりにあった最初の話題が、弥助か」

「そうだ」

「巫女殿は弥助に興味を持っておったんか。しかし、それはあいにくと遅かったな。ヨシと夫婦になって安土あづち辺りで楽しくしておる」

「へええって、いやそうじゃない」

「では、なんだ」

「ちょっとね。もしかして、急に弥助の態度が変わったかどうか知りたかったんだ」


 九兵衛はニヤリと笑うと水桶を私から奪った。


「重かろう」

「そこじゃなくて、弥助、変わったのか」

「全く、これはアメだな。いや、あのアメだ。見てもいないのに、なんでも見ているように知っている」

「変わったのか」

「ああ、突然だった。弥助の傷が快復した頃か。急に昔のことを忘れてな。傷の手当をしていたヨシが、それはもう驚いて自分のせいだと言いはじめて、弥助がそれを慰めたってことよ」


 なるほど。そういうことか、なら許そう弥助。

 てか、私の許す問題か?


 しかしな、皆のもの、女というのは欲深なんだ。自分を好きな男は、ずっと思っていただきたい。そういう黒い欲求、ぜったいに心の底にあって、あ、やめとこ。これ以上、話すと、きっと嫌われっから……。


 うん、私は清く正しい問答無用の専業主婦だった。


「なにか不気味だが」

「なにがでしょうか」

「さっきから、怒った顔になったと思ったら、急に泣きそうになって、次はひとり納得している。まあ、昔通りといえば、そうで笑えるがな。確かに俺の知ってる巫女に間違いない。いい女だ」


 おいおいおい。どれくらい多くの女に、そういう言葉を不用意に囁いた。


 こりゃ、トミよ、あんたが惚れる理由がわかる。いや、あの感情のないテンも惚れているのかな。そう思ったとき、玄関にテンが佇んでいた。


 オットゥ!


 顔に表情はない。ただ、私と九兵衛の様子をじっと見ている。それだけだが、ちと怖かった。なんだか不倫をして、その嫁に見つかってしまったような、なんていうの、こういう後ろめたさみたいな感じ。


 ああ、もう、こういう気持ちって。全く外面的そとずらてきにはやましさはない、ないんだけど、ちょっと後ろめたいっていうか。


 つい、そう思っちまったんだ。


 九兵衛は私の視線を追って、テンに気づいた。


「おう、息災そくさいであったか。嫁よ」と、笑った。


 テンは、表情も変えずに彼をみつめ、そらから、ふっと消えた。


「ふられたね」

「はは、俺って、モテねえな」


 バカだ。

 ふっているのはお前のほうだ。本当に自覚のないモテ男だな。


(つづく)

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