第14話 鬼一族との血みどろの戦い


 明智軍の先頭に向かって森のなかを走り続けた。

 雪でぬかるんだ地に足を取られ、枯れ枝にむき出になった皮膚ひふにすり傷がつく。


 山側を戦闘区域から離れて進むと、明智軍の旗色に別の色が入り乱れる場所に到着した。


「あれか」

「ああ、先頭だな!」


 木々の間から詳しくは見えない。が、乱戦になり、そこで明智軍が止まっているのはみえる。いや、止まるどころか押し返されつつある。


 これを抜けなければ壊滅かいめつだ。光秀の命だけでも守らなければ、明智軍が消滅する。


 敵軍は当然のことだが光秀の首をまっすぐに狙っている。


「これは厄介だなぁ」と、軽い口調で九兵衛は続けた。

「あれは、赤井忠家の旗印だな」

「赤井?」

「ありゃ、引かんぞ。丹波の赤鬼の親族だ」

「どないするんや」と、トミが聞いた。


 九兵衛はそれには答えず背後に声をかけた。


「あれが、見えるか、ヤスよ。背後に『丸に結び雁金』の紋章だ」


 ヤスと呼ばれた目つきの鋭い男はそれに答えた。


「赤井忠家は直正の甥っ子ですな。赤鬼の叔父にぞっこんの奴ですわ」

「ああ、厄介だ」

「死に物狂いで取りにきてますぜ」


 敵側としては、ここで光秀の首級を取れば大金星だ。


「九兵衛殿、どうするんや」


 槍を地面に立てると、九兵衛の顔が変化した。


「逃げるか、ここは」と、彼はひょうひょうと言った。

「それも、まあ、一つ。が、その後はどうします」

「そこだよなぁ」


 態度とはうらはらに彼は戦闘現場を観察していた。数年前、お市の方を刺そうとした、あの時の表情だとトミは思った。


 彼の命令を待ちながら緊張で胃が痛んだ。

「逃げる」という一声が欲しかった。トミたちにとって、光秀だろうが、赤井だろうが、それはどうでもいい。


 仲間とともに食えていける、その一点にしか興味はない。その仲間に九兵衛が入っていた、いや、それ以上の存在であることをトミは薄々感じている。彼女は恋や愛を自から封印している。持てば苦しい。九兵衛に対する思慕などあるはずもない。


 幼いころから体も顔も大きく目立つ存在ではあった。ふくらんだ頬に目がめりこんだ顔には愛嬌があるとさえ言われた。その容貌は彼女の真の知性や感性を隠す。実際は頭の回転も早く愛情も深い。


「横を撃つ」と、九兵衛が決意した。

「横を?」


 九兵衛が手を水平に動かしピタリと止めた。


「みろ、明智殿は、あそこだ」


 九兵衛の指の先で、ひときわ大きい男が槍を振り回している。一振りするたびに、周囲の雑兵が転がる。


「ワシらは横から赤井のへなちょこを崩して、明智殿の道を作る」


 彼は全員に聞こえるように声を上げた。


「この戦い、殿を逃すことができれは負けはない。良いか、まず、横から激突して穴を開ける。そして、戦闘を横に抜け、再び、横面に挑む、それを何度も繰り返す。わかったか」

「は!」

「ヤス、数名つれて、殿の脇を固め我らが開けた穴につっこめ! 正面から逃げるぞ」

「は!」

「他のものはワシについてこい!」


 九兵衛は命じると、丹田に力を入れ、そして、叫んだ。


「よおし、切って、切って、切りまくれ!!」

「うおおおおおお!!!」


 ヤスが率いる数名以外は九兵衛を先頭に赤井の側面につっこんだ。

 いきなり現れた伏兵に赤井軍は乱れた。


 真横から一線に切り込む。


 仲間は20名ほどいたが、やはり九兵衛とテンの働きは群をぬいた。

 体の一部のように槍を扱う九兵衛は大胆でありながら繊細、戦う鬼と化して周囲の兵をなぎ倒す、その背後でテンが舞う。


 ふたりは一つの呼吸で、測ったようにスキのない動きを見せる。

 そのあとを仲間が追う。


 トミは最後尾にいた。


「ヤス!」


 九兵衛が背後に怒鳴った。

「おう!」と、地鳴りのような大音声で誰かが答えた。

 それが光秀にあることに、トミははっとした。


 あれが、殿か。光秀殿の本当のお姿か。

 戦いの場で彼をみることははじめてだ。


 古川九兵衛の陣内で主に荷物運びの頭を務めるトミは、実際の戦闘に参加することがない。だから、日頃は温厚な殿が、いざ戦いとなったときの、その覇気に心を奪われた。


「ええい、止めろ!! 大将を止めろ!!!」


 敵将が怒鳴った。その声に向かって、光秀の槍が飛ぶ。

 槍はまっすぐに顔面を貫く。血しぶきが散る。

 光秀は臆せず周囲をなぎ倒して走り込み、槍を武将の顔面から抜く。と、再び、振り回す。


「殿! ここは我らが。お逃げくだされ」

「すまぬ。生きてもどれ」

「殿も!」


 九兵衛よりさらに大柄な光秀の鎧には矢が数本ささっていた。

 それを気にもせず、隙をついで光秀が抜けた。


 この男はわかっているのだと、トミは感じた。自分の命が、自分のものであってそうでないことを。その重責を果たすことの意味をわかっている。


(つづく)

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