第13話 サイコパスの戦い方


 明智軍の敗戦は濃く、兵団は散り散りになりはじめている。


 負け戦では最初に雑兵が抜ける。彼らに命をとして党首を守る気概きがいはない。義務で兵になった者たちは、あわよくば戦場で金目のものを略奪りゃくだつして家族のもとに帰るしか考えていない。


 だから、敗北が見えるとすぐ逃げる。


 トミとテンは逃亡兵に混じって森に入り、彼らとは逆の方向、九兵衛が戦う最後尾へと向かった。


 テンが走る。彼女の足は早い。


「止まれ!」


 テンが低くうなった。彼女たちの場所から戦闘が見えた。


「九兵衛殿は?」

「わからん」


 トミは木々の間から九兵衛をさがした。軍の最後尾は乱戦状態で簡単に彼を発見できるものではない。


 幸い雪が残り、兵たちが踏みしだく地面はであった。土埃は立たない。視界は良好で探し出すことがまったく不可能なわけでもないだろう。


 トミはそれに賭けた。


「戦いに入るえ」


 まだ生きていれば発見は可能だ。


 九兵衛は大柄だった。だが、数百人が乱戦する現場で一人の男を探すなど不可能に近い。

 あわよくばテンなら、トミは目をあわせた。


「さがせるんか」


 不安が口に出た。


 九兵衛を探すなど、命がいくつあっても足りない。が、トミは、あえてテンに聞いた。テンが目を合わせてきた。


「来い!」

「ああ」


 静かに告げるとテンは体を低くする。

 呼吸。

 ゆったりとしたテン独自のリズムをもった呼吸。

 戦いの喧騒のなかで、その息が白く、深く、テンの唇から吹きでる。

 白い煙のような息が糸を引く。


 テンは戦闘態勢に身をおいた。

 背中にXの字に背負った短い刃を、スラリと取り出して両手に握る。手の甲に血管が浮き出る。


 いったん目を閉じる。

 トミは知っていた。次に目を開いたとき、テンを止める者はいない。

 彼女は舞うように殺す。


 姿勢がさらに低くなる。


「行くぞ!」


 蝶が舞った。舞うごとに人が倒れた。


 流麗な舞の忘我ぼうがの境地にテンは身をゆだねて前に進む。トミは取り残されないように、背後を必死に追う。


 白い呼吸が一つ見えるたびに、敵の両足のアキレス腱が切り裂かれていく。

 切られた相手は自分が切られたことに気づかない。


 ヴァっと音がして、血が吹き出し、倒れる。

 彼らは尻餅をついて倒れる理由がわからない。何があったのか、キョトンとして、その場にうずくまる。

 踏ん張る力が失せ、足首から血が噴き出すのを呆然と見る。

 そして、恐怖に顔を歪める。


 トミはテンが切り開く道を進む。

 手に持った槍で左右の兵を叩きながら、何も考えずに、ただ後を追い、そして、向かってくる敵を叩きつける。


 九兵衛が統べる軍は右方、もう一人の大将安田は左方を任されていた。この二人の武将は明智軍のなかでも群を抜いて武の立つ男たちだ。


 トミは九兵衛を見つけた。彼は全身に返り血を浴び、それでも、陽気に槍を振っている。


「九兵衛!」

「おうよ!」


 兵を串刺しにしながら、「なぜ、戻った!」と、陽気に叫んでくる。

「待ち伏せされたんや!」


 九兵衛は突き出した槍を止め、「おい、やめた!」と、敵にむかってニッと笑った。


「逃げな、俺と戦っては死ぬぞ」


 すでに腰が引けていた相手は後ずさりした。

 それを尻目に九兵衛は走り込むと、倒れていた兵の影に滑り込んだ。


「もう一度言え、トミ」

「先頭で待ち伏せにあったようや。前に進まなくなったんや。おそらく、明智殿が危ない!」

「そうか。待て」


 九兵衛は近くの配下に怒鳴った。


「そこの、おい、お前たち、ヤス、ジロウ、トオヱ、配下を数人連れて俺についてこい!」

「ここはいいのか」

「ああ、もうどうしようもねぇ。せめて殿を守る」


「テン!」


 舞をはじめたテンは忘我の境地だ。

 簡単には止まらない。


「テン!」


 トミが叫んだ。


「行くぞ!」


 テンは我に帰ると、トミにうなづいた。

 九兵衛とその仲間は最前線を抜け森に入った。


「前を見てきたか」

「いや」


 九兵衛の顔が緊張にこわばっている。


「このまま、逃げるんか」と、トミは聞いた。

「いや、助ける」

「待ち伏せで前方は塞がれてるはずや。どうするんや」


 トミはこの数年、九兵衛とともに戦場を駆け巡ってきた。織田信長の兵団は士気が高い。


 信長が来ると恐怖に怯える敵も多く、トミが参戦した戦場では圧倒的に有利な状況で戦ってきた。


 これほど追い込まれた経験はない。


 はじめていくさが怖いと思った。

 腋の下に嫌な汗がにじむ。冬で寒いはずなのに汗がじんわりと湧いてくる。


 前を必死で走る九兵衛の大きな体から、蒸発した体の水分が白いもやとなって、彼の全身をつつんでいた。


 その姿はまるで鬼神のようだとトミは思った。


(つづく)

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