第5話 心を病んだ…? 明智光秀


 私は不思議に思っていることがあるんだ。


 天正4年(1576年)。波多野の裏切りで敗走した光秀に信長は別の戦いを命じた。多くの専門家は光秀が有能だから、信長が使いまわしたと書いている。


 これに違和感を感じるんだ。


 あまり知られていないが、命からがら坂本城へ逃げ帰った光秀は態勢を立て直して再び丹波平定にでた。

 しかし、すぐにヘタれた。

 その際は、ほとんど戦いもせずに坂本城へ逃げ帰ったのだ。冬の2月のことである。2度も逃げ帰る、それも2回目は戦いもしなかった。


 丹波平定までの光秀は織田家中で、ひときわ目立っていた。


 その証左しょうさが、誰よりもいち早く城持ちになったこと。

 琵琶湖の西岸に坂本城を築いた光秀。柴田勝家など古くからの家臣を差し置いて織田の家来衆のなかでは初のこと。


 当然、家臣たちは面白くなかっただろう。中途採用の、どこの馬の骨ともわからぬ男が、苦楽を共にした自分たちを差し置いて城持ちに出世した。


 信長の深い信頼の証であるが、周囲は面白くない。

 だから、光秀は手柄をあげなければならない。そう自分を追い込むしかなかった。


 逃げ帰った光秀は丹波攻略ではなく石山本願寺攻めに信長の命令で従軍している。そして、石山本願寺戦の途中、病に倒れた。


 私は思う。

 もしかしたらと仮定を述べてみる。天正4年(1576年)丹波攻略に失敗して、光秀は今でいうPTSD(心的外傷後ストレス障害)を起こしたのではないかと。


 命の危険がつねに身近な戦国時代の武将、でも人間だ。


 苦痛も恐れも悲哀もある。命を脅かされれば精神的に参ってしまう。丹波平定の大きすぎる失敗は彼に心的外傷を与えた。彼の自信をへし折った。それは同時に家中のライバルに隙を与えたことを意味する。


 明智光秀は有能だ。神経が細やかで、築城にも詳しいインテリ。和歌にも通じた文化人で、その上に銃器の扱いは当時の雑賀衆、銃の専門家集団にも劣らぬ技を持っていた。


 そんな彼が丹波で命の危険にさらされた。次に戦いには出たが、早々に逃げ帰ったのだ。PTSD患者がしそうな行動に似ている。無理して頑張ったが、震えが止まらなかったのでないかと。


 信長は丹波平定を中断して石山本願寺の戦いに光秀を呼んだ。


 信長は女にモテた。女心を知る男だとわかる。女は男を知っている。今も昔も、いい男ってのを、つまり人の心の機微きびを読む男を知っている。


 光秀を石山本願寺に呼んだのは、研究者が書いているように、彼が有能だから使ったのではなく、自信を失った彼を回復させるためだったのかもしれない。「このまま潰すには惜しい男だ」と、思ったのかも。


 だが、石山本願寺の戦い途中、天王寺の陣中で光秀は倒れた。


 彼は腹痛と下痢、嘔吐で体が動かなくなっていた。これで私は確信を得た。ストレスが限界に達したとしか思えない。この後、光秀は2ヶ月ほど病に苦しみ、吐き、下痢を繰り返して生死をさまよった。


 過度な仕事のストレスと疲労が重なると、私は同じ症状を起こすことがある。


 信長と親しかった公卿の山科言継は『光秀が激しい腹痛を伴う下痢で死んだという噂がある』と今に書き残している。もうひとつ、信長は病気中の彼を忙しい時にわざわざ見舞いに行っている。


 多くの書物では、信長の要求に忠実に答える光秀を有能だと讃える。だが、私は、信長こそ有能であり、光秀を立ち直らせたと、かってに想像している。


 病気後、復活した彼は別の戦いで信長に従軍した。その後、丹波平定に挑み成功するのだ。緻密な戦略を駆使して攻略したことも確かだが、恐れていた丹波の赤鬼が病死したことで、光秀は精神的余裕をもったのだと考える。人の精神とは、かほど興味深い。


 そして、オババと私なんだけど……


 そんな繊細さの欠片かけらもないのがオババ。


 私は断言できる。オババは心を病む前に戦いまくり、ダメとわかればスタコラ逃げる。ていうか、病みそうにないぞ。だって、ついでに、きっちりお返しと嫌がらせをするからだ。それこそ3倍返しだ!


 信長家臣団、オババが相手でなくてよかったな。


「なにを不気味な顔で思い出し笑いしてる」って、オババが聞いた。

「不気味は余分で、ちょっと考えていたんです」


 私は真面目な顔をした。


「この時代は、たぶん、光秀は丹波平定の頃」

「つまり、なんじゃ」

「オババ、九兵衛に会うには亀山城に行くしかないと思う、ここじゃなく」

「亀山って、あの世界の亀山か。液晶画面がいいとかいって、きっちり経営破綻した。あのシャープの工場がある場所だな」

「いえ、あれは三重県ですから。こっちは現代の亀岡市です」

「ややこしい」


 私は何も言わなかった。ややこしいのはお前じゃって言葉はのんどいた。


(つづく)

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