第一章

第1話 夜這い少年、again!


 朝の目覚めはいつも辛い。低血圧だからだろうか。

 目覚めても、しばらくぼうっとして体が動かない。


 現実へと意識が戻ろうとしていたが、低血圧の私は朝が苦手で、だから、ぼぅ〜と……


 ぼぅ〜と……


 いや、違う、なんか違う。なにこれは?


 デジャブ?

 思いっきりの既視感デジャブ


 ありえないほど、ぱっちりと目覚めたんだ。

 ムッチャ爽快なんだ。

 これまで生きてきて、こんな気持ちの良い目覚めは経験したことが……


 ある!


 ありすぎて、思い出したくもない。


 まさかね。

 あまりに覚えがあって、いっそムカつく。


 片目を開けた。天井に古びた木の梁があり、寝返ると何かに当たった。


 ああ、やっぱり!

 このひなびたを通りこした壊れかけの廃屋、現代人ならそう思う。

 しかし、数ヶ月前にマチという貧しい農民に意識が転移して、戦国時代を足軽になって駆け巡った私には、この貧しい小屋が以前よりマシになったとわかる。


 私の意識が未来に戻ったのち、本来のマチは足軽をやめたはずで、久兵衛が給金を与えたのだろう。うん、戦国庶民のおカネおマチ、私とオババが稼いだ金で少しは生活が楽になったな。


 だから、小屋もマシになっているし、ちょっと見ただけでも道具も綺麗になっている。


 そんなことよりも……

 これは、もうね、またかって、ため息つくしかない。


 わかってますって、朝っぱらから、ほんと快適なんだから。


 だから、両目を開けて、


「オババ!」って叫んだ。


 どうせ、オババもマチの母親カネとして意識が入れ替わっているはずだ。

 でね。オババと叫んだ瞬間、


「おマチ〜〜〜」って、オババの代わりにいきなり若い男がのしかかってきたんだ。


 誰! この若者は、なんか馴染みがあるけど。


 これは、すでにお約束のような展開。

 またか。また夜這よばいいで物語を始める気ですか。


 そして、前に見たときより、若者、ちょっと成長してた。あの時は、まだ少年で兵に出ると言ってたマサだ。前回、この世界に目覚めたとき、最初に夜這いしてきた少年なんだ。


「おマチ〜!」

「何してるの」

「何って、そりゃ、俺、あんたの婿むこだから」


 私は男の下半身に、渾身こんしんの蹴りを入れて立ち上がった。

 うっくと言ったまま、マサは目をいて土間に転がり落ち悶絶もんぜつしてる。


 問答無用の専業主婦をなめんな、現代でだけど。


「マ、マチ〜〜、なんでだ」

「あんたが私に触れるなんて450年早いわ」

「ちょ、ちょっと」

「今は何年だ」

「へ?」

「何年って聞いてる」

「何年って。何年もなにも、マチ、いったいどないしたんや」


 この時代の不便さを忘れていた。人って、上流に行くってのは本当に簡単なんだ。数日で楽な生活に慣れきった。1週間も文明世界にいると、戦国時代のありえない不便さを忘れる。


 庶民は洒落たカレンダーなんて持ってないし、時計もない世界だったんだ。


「もしかして、今が天正何年とか知らないよね」

「知るはずがないよっ」

「威張ることじゃないから」


 それに、母親カネの姿が見えなかった。まさか、オババ、嫌がらせかい。マサの母親と結び、この男を婿にあてがって姿を消したとか。


 いやいやいや……


 さすがに姑だから。そんなこと息子の嫁にするこっちゃない。


「痛かったか、マサ」と、私はまだ土間にうずくまっているマサに聞いた。

「おマチ、ひでえやないか。金の底がついたって、だから、俺を婿にするって、そういう話やないんか」

「残念だったな、マサ。その話は消えた」

「勘弁してくれや。あれいつだっけ、随分と昔だけど、これで2回目や」


 そこだ。


「マサ、前にウチに来て、蹴飛ばされた時から春は何回来た」

「なに、それ」

「だから、何回」

「えっと。俺が明智さまのところへ行った春からやから」と、マサはうろんな目で指を折った。

「6回かな、いや、7回かぁ?」


 使えんやつだ。

 前回は天正元年(1573年)だった。その後、6年か7年は過ぎている。ということは、天正7年(1579年)頃になる。


 あっと思った。これは本能寺の変まで、あと2〜3年。まずい時期に意識が入れ替わったものだ。信長の戦いはますます激しさを増して、家臣はこき使われているはずだ。


 それにしても、オババ、どこへ行った。

 こんな嫁の貞操ていそうが危ないっちゅうに、のん気にまた外へでも散歩に出かけたか。


「ところでね、マサ」

「なんだよ」

「私の母親。カネを見なかったかい?」


 マサは驚いた顔をして、口を半開きにした。


「なに言ってるんだ、おマチ」

「だから、おカネさんだよ」

「おカネさんなら、前の冬に亡くなっただろう。大丈夫か」


 亡くなった?


「嘘だ」

「おいおい。本当に大丈夫か?」


 オババが死んだ。いや、オババの意識が1573年のときに入れ替わったカネが亡くなった?

 あの人のいい顔をした、きっと、オババより大人しくていい人だったにちがいない、カネさんが。


 戦国時代とは厳しいものだ。貧しい庶民は暖をとる薪や炭が少なく、冬は凍死するものが多かった。


 え? で、では、オババはいないのか。


「ど、どんな、どんな理由で」って、はじめて声が裏返ってた。

「あの冬は寒かったし、それで風邪をひいて、そのまま、冬を越せなんだ」


 オババ。

 では、ここに飛んで来たのは私ひとりなのか。

 途端に冷たい汗が背筋をツーっと落ちた。


「マサ、私と結婚したのか」

「だから、そういう話やったろ。おカネさんとマチは明智さまのとこじゃあ、随分と戦功をあげたって、そりゃ村では評判やったけど、帰ってきたときは、なんかおかしかったで。ぜんぜん覚えてないって、言うてな」

「それで」

「冬にカネさんが亡くなって、マチは金も使いきったんや。年もいってるから相手もいないって」というところで私は睨んだ。


 たとえ、あれから6、7年すぎても、まだ26歳くらいのマチに、なんちゅう事を。年がいってると? マサよ、今、お前は期せずして、25歳以上の女性を敵にまわしたよ!


 なんてこと考えてると、ガタピシと大きな音を立て板戸が開いた。


 土間にあぐらをかいていたマサが顔を上げた。冷たい風が吹き込み、炉端の炭火を舞い上げた。


(つづく)

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