ライムンド・シルヴァ・ククルーシア 4
そうして、今、目の前には十数人の薄汚れた男たちが平身低頭していると。
………少しでも命令が通りやすくなるようにと馬車の中や馬車を降りてからは居丈高に振る舞っていたが、もしかするとそんな必要なかったのかもしれないと思うくらい、反骨心が欠片も見当たらない。
(いや、もしかしたら懐柔するための演技かも―――)
警戒は忘れず、大丈夫だとは思うが念のためにラミラ嬢を背に庇い、不機嫌をあらわに睨みつければ、どこからか「ひぃッ」と怯えきった悲鳴のようなものが聞こえた。よくよく見ると、一番前で平伏している男も含めて全員が全身から血の気が失せているし、小刻みに震えてもいる。……これも演技か?
他人の演技を見抜く自信がないから悩ましいが、黙っていては何も進まない。むしろ後ろからそわそわとした空気を感じるから、余計な口を挟まれるより先にさっさと話を進めるべきだろう。
ここに来るまで、着いてからの彼らの会話からわかっているのは、もともとはラミラ嬢と適当な男とを一緒に誘拐し、二人とも適当に服を引っぺがした状態で裏通りの店に放置し、そこをラミラ嬢の捜索に協力していたオルテガ伯爵が発見する……という計画だったということ。
男は誰を誘拐するのか、あらかじめ定めていなかった時点でそもそも適当すぎるし、ラミラ嬢を誘い出す方法だって稚拙に過ぎる。今回はラミラ嬢の思慮が足りなかったおかげで誘い出すことに成功しているが、普通はあんないかにも怪しい御者が操る怪しい馬車なんかには乗らない。大人しく乗らなかった場合に備えて馬車に別の男が待機していたのだろうが、その場合はどこから見ても立派な誘拐だ。馬車の出入り口は店の方を向いていたし、店の前に馬車が停まったら、仮に来客中でも店員のうち最低一人は馬車に注目しているから目撃者皆無という状況は起こり得ない。
(なんというか………ラミラ嬢と似たようなダメっぷりを感じる……)
あれだけ教師をつけても消し去ることができないほど、ラミラ嬢にはオルテガ伯爵家での生活が染み付いているようだ。絶望的である。
遠い目をしそうになるのを堪えてゆっくりと一度瞬きをして、言うべきことを考える。
「私を誘拐するつもりではなかったことはわかった。だが、相手が誰であれ誘拐は犯罪だ。今回はたまたま運良く王子の婚約者殿が自分からついて来たが、普通は王子の婚約者ともあろう人間が、自分から、お前たちのような見知らぬ相手についていくとは誰も考えない。仮に彼女が自分の意思でついて来たと知られても、王子の婚約者―――つまりは王家の名誉とお前たちの命、どちらが優先されるかなど考えずともわかるだろう」
要約すると、おまえたちの命は風前の灯火だぞ、と。
実際には彼らはただ使われただけだとして、その命まで代償として求められはしないだろうが、それでも貴族に対する犯罪行為ということでかなりの重罰になるのは確かだ。王家に忠誠を誓っているカレアーノ侯爵は庇い立てしないだろうから、刑罰が軽減されることもあるまい。
カレアーノ家の縁者に手を出してしまったという恐怖で震えていた男たちが、今度は別の理由で震え始めた。どうやらそこまで考えていなかったらしい。なぜだ。こいつらの教育はどうなっているのですか、侯爵。
「王子の婚約者に手を出すというのが何を意味するのか、お前たちは全く考えなかったのか」
「そっ、れは、依頼人が!婚約者っつってもただの庶民だからむしろ感謝されるって!」
「王子の婚約者がただの庶民な訳がないだろう愚か者」
あとただの庶民でも誘拐は犯罪だと言っているだろう。
「それで?仮に彼女がお前たちのことを話したとしても、自分の不貞を誤魔化すための言い訳だと思われるから罪を問われることはない、とでも言われたか?」
「ち、違うのか?」
「…………」
呆れて言葉も出ない。
何でこんな馬鹿な連中を野放しにしているのですか侯爵……。
カレアーノ家の仕事には関わらないことを条件に婚約が成立している以上、ここで彼らに貴族を相手にする場合の安全確保方法や相手の性格別対応法などを教えることは出来ないが、そのうちアリシアにそれとなく言ってみようと決める。こんな時、
軽く現実逃避しかけた思考を呼び戻して、現実の認識が甘い男たちに向き直る。彼らを利用してこちらに降りかかりそうな悪評その他を回避しようと思っていたが、ここまで馬鹿だと利用するにも心許ないな……。
だが背に腹は変えられない。
「もし、命が惜しいと思うのならば、今から私の言う通りに行動しろ」
上手くいくかは賭けになる。だが勝算が低いわけでもない。
怯えながらも顔を上げた男たちそれぞれが持っている情報、これから取る予定だった行動を聞き出して計画を立てる。すでに救助のために従僕はもちろん、騎士たちも動き始めているはずだから、のんびりなんてしていられない。
「ではお前たちはこれと同じ紙とインクを手配、用意できたらすぐにここに持ってこい。それから私たちは自力で大通りまで脱出しなければならないから、お前たちは来た道を戻って捜索に来た者たちを撹乱するんだ。いいか、決してこの場に辿り着かせても、私たちに追いつかせてもいけない。そしてオルテガ伯爵に連絡する役目だった者はそのままで、ただ時間を遅らせろ。捜索に来た者たちとどちらが前後しても構わないが、必ず二組が鉢合わせするようにだけ気をつけるように」
見た目だけは従順に三々五々散って行った男たちを見送り、背後で黙り込んで空気になっていたラミラ嬢を振り返る。顔色も戻っていて見た目は普段通り健康そうだが、少し足をかばっている様子を見るに、慣れない外出用の靴であまり整備されていない道を歩くのは良くなかったらしい。
また少ししたら歩いてもらわないといけないから、今は休ませておこうと適当な資材の上に座るよう促す。
「ありがとう。……ねぇ、その、大丈夫なの?」
「何がでしょう」
「あの人たち。勝手に行動させて、もし仲間をたくさん連れて戻って来たらどうするつもり?」
「その場合は大人しく救助を待ちます」
大人しくというのは嘘だ。ラミラ嬢とのあらぬ噂が立つくらいなら、しばらく動けない程度の大怪我をする覚悟はある。侯爵からの評価は下がるかもしれないが、それでも大人しく仕組まれた通りに噂の的になるのだけは避けたい。
「ですが、恐らく大丈夫だと思います。確かに私自身は彼らの生殺与奪の権を握ってはいませんが、それに近しい立場ではありますから」
自分で言うのも何だが、私はアリシアに愛されている。そしてそのアリシアは、彼らの中ではまさに姫のように扱われている存在だ。
だから……まぁ、何とかなるだろうと、思っている。アリシアの庇護のもとで大きな顔をしていると考えると情けなくなるから、あまり深くは考えたくないところだ。
そんなことよりも、と事情を知らないラミラ嬢が疑問符を飛ばしているのを無視してずっと確認したかったことを問いかける。
「ラミラ嬢、今日の外出のことを誰に話しましたか」
***
「坊っちゃま!」
もうすぐ大通りに出るというところでかけられた声に顔を向けると、逆光でもわかるくらいに目を釣り上げた従僕がこちらに駆け寄ってきていた。一体どうやって私たちがここから姿を現すということを察知したのかは謎だが、騎士たちに見つかる前でよかったという思いが強くてほっと息を吐き出した。
その拍子に表情も緩んでいたのだろう、一層眦を釣り上げた従僕が口を開くより先に片手を上げ、後ろでぐったりと足を引きずるようにして歩いているラミラ嬢を示した。
「エルナン、私よりもまず彼女を助けてやってくれ」
「中途半端に略さないでください。そして僕は坊っちゃまを助けに来たわけではございません」
ですが彼女はお助けいたします、としかめ面のまま、ここまで案内してくれた男からラミラ嬢を受け取って軽々抱え上げる。疲れ切った表情だったラミラ嬢が驚いたように目を見開き、そしてまじまじと従僕の顔を見つめ出す。せっかく厄介ごとから逃げて来たのに、余計な行動は慎んでもらいたいと思いながら声をかければ、ぎくりと肩を震わせて俯いた。いや、その反応も……まあいい。
従僕は何を気にした様子もなくこちらに向き直り、目線だけで路地の先を示した。帰るからついて来いと言いたいようだ。いつものことではあるが、この従僕は私の従僕であるという自覚があるのだろうか。確かに年齢は彼の方が上だし幼い頃は良く遊び相手になってもらっていたけれど、それでも私は一応彼の主人なのだが……。
未だに坊ちゃんと呼ばれていることも思い出して微妙な気分になる。まあ、確か前回は父から仕事を任されるようになった頃から坊ちゃん呼びがなくなったから、もうそろそろではあるはずだ。
従僕に続いて大通りを抜け、人目をやり過ごしながら歩くことしばし。見覚えのある屋敷をいくつか過ぎたところで、門前から緊張感が漂ってくる一軒の屋敷が見えて来た。いつも馬車の中から見ている建物を自分の目線で見るのは少し新鮮だなと思いながら、少し足を早めて従僕より前に出れば、すぐに門番がこちらの姿を見とめた。
見知った相手が驚愕と安堵とを同時に浮かべて今にも走り出しそうなのに苦笑し、軽く手を振ってみせる。
「アリシアの様子は?」
「僕は別で動いていたため詳しくは存じあげませんが、坊っちゃま捜索の手配を侯爵様に引き継いで以降はお部屋で大人しくされているそうです。なお、カレアーノ侯爵邸大広間にて、殿下と侯爵様とが坊っちゃま捜索の指揮をとっていらっしゃいますので、まずはそちらに伺ってください」
「わかっている」
目的はラミラ嬢であったのだからアリシアは無事だろうと思ってはいても心配していたから、自室でおとなしくしていると聞いてホッとした。こういう時に無理に出しゃばるような性格ではないのが本当にありがたい。
もうあと数歩のところで早足になった私に従僕から冷め切った声がかけられる。確かに一刻も早くアリシアに会いたいとは思っていたが、別に殿下達のことを忘れていたわけではないというに。むしろさっさと殿下達にラミラ嬢を引き渡してしまいたいと思っているくらいだ。
門番から合図があったからだろう、玄関に着くやいなや、騎士やカレアーノ邸の使用人達がわらわらと出て来て私―――ではなくラミラ嬢を取り囲んだ。こちらはチラッと確認するだけで、特に怪我もないことがわかると興味を失ったように目を逸らされた。騎士達は自分の職務のため、そして使用人達はこちらに構う暇があるならさっさと
ありがたく人混みから脱け出して大広間へと向かう。とにかくさっさと報告を済ませよう。
「失礼いたします」
「やあ、ライムンド、おかえり。怪我もないようでよかったよ」
「ありがとうございます。殿下もご無事で何よりです」
いつも通りの笑顔ながら、少しばかり疲れが滲んでいるのはそれだけ捜索に注力してくれたということだろう。ありがたいことである。
カレアーノ侯爵からも労りの言葉を受けたところで、ラミラ嬢を取り囲んでいた騎士の一人がレグロに報告に訪れた。それを横目にカレアーノ侯爵と後ほど改めて報告に伺うことを約束して、アリシアの元へと向かう許可を得る。「アリシアに会う前に、せめて手と顔を洗っていくと良い」と使用人に引き渡されたため、すぐにとはいかなかったがありがたい言葉ではあるから大人しく従う。うっかりアリシアを汚したら大変だ。
そうして汚れを綺麗に落としてからアリシアの部屋へ。使用人達のほとんどが一階に集中しているのだろう、アリシアの部屋の周辺はひっそりと静まり返って―――
(!こ、この足音は……お嬢様!お嬢様あああ!閣下が帰ってこられましたあああああ!!)
………………………。情緒のないやつ……。
わたしの可愛いお嬢様 汀 @migiwa_y
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