第33話
昼過ぎに目覚めたボクらは母さんの作ったえらく量の多い遅めの昼食を摂り、友紀は腹をさすりながら完食した。
「本当にお世話になりました」
「いえいえー! こんな息子でもよかったらいつでも遊びに来てね!」
コーヒーを片手に嬉しそうに手を振り、友紀もすっかり身支度を整えていた。部屋から玄関は目と鼻の先だった。
「本当にありがとう。かなり助かった。引き留めて、しかも泊まらせてしまって、すまん」
「いいよいいよ。なかなか面白かったし。また遊び来てもいい?」
「……もちろん。また大量の朝飯を食うハメになるがな」
間違いないね、と笑って扉を開けた。外は今日も快晴だった。じゃあね、と手を振った友紀を見送り、ボクは一旦リビングへ戻った。
「はーー、面白い子だった!」
「苦しいんだけど」
「そりゃあんた、食べすぎよ。あっははは!」
自覚があるなら少しは自嘲もしてほしいところだが、そうは言ったって母さんの完全なる優しさにケチをつけることも違う気がして、苦しい腹をさすりながら自室へ戻った。
セットアップされたパソコンはまだネットという大海には繋がっていない。ベッドに身を投げると、詰め込まれたパンやらオムレツやらが飛び出してきそうだった。
仰向けに寝転がってSNSを巡回する。たまに聞く程度のバンドのライブ告知、ピエロの面々の日常、ボクの好きな曲にドンピシャでファンアートを描くイラストレーター。数々の呟きを一通り眺めていると、倫太郎の呟きに目が留まった。
『やっとひと段落。後は独立あるのみ! その前に久々のライブ。今から楽しみ』
そう締めくくられた呟き。添付された写真はどこまでも突き抜ける青空の写真に、ピースサインの手が写されたもので、どこぞのCDジャケットさながらの写真だった。
ライブまであと一週間と三日。ぼうっと天井を眺めながら枕元に積まれた本に手を伸ばした。ずっと作詞の為にため込んでいたミステリー小説だった。
ぺらりと紙をめくった途端、トイレから名前を呼ぶ大声が聞こえる。一行も読まずしてトイレに行くと、見るも無残な伊達眼鏡が散乱していた。
「ちょっとなにこれ⁉ 危ないなあもう、後で片付けておいてよ?」
昨日あれほど取り乱していたことを思い出し、見られなくて本当によかったと安堵する。母さんなら大騒ぎの末に救急車を呼んでいてもおかしくはなかっただろうから。
しかしながら問題は明日からだ。いつどのタイミングでピエロから呼び出されるかわからない以上、眼鏡がないことは致命的だ。まだこれを手放した状態で外を歩けるなんて思えない。
とはいえもう眼鏡は片方のレンズが割れてガラス片を飛び散らせ、フレームもあらぬ方向に曲がってしまっている。ガラス片をカーペット用のローラーで取ってから眼鏡の残骸を拾い上げて部屋に戻った。机の上に眼鏡を置くと、物言わぬガラクタにしか見えない。
この眼鏡は高校入学と同時に買った。中学は卒業式にも出ていないため、卒業の三か月前から引きこもっていた。というのも、既に受験を終わらせて高校が受かっている状態の自分は、これ以上学校に行く意味を見出せなかったのだった。
引きこもり続けた結果髪は好き放題に伸びて、いい塩梅に目が隠されていると思ったのだ。そうしてさらに蓋をする形で伊達眼鏡を選んだ。
当時のボクはそれが完璧だと、最強の盾だと思っていたんだよなぁ……。
昨日の自問自答の中で見つけた、この世界で生きていくという決意。もう別れられないこの世界に、もしかしたらもうこんなものは必要ないのかもしれない。
つい数週間前の自分では考えられないことだった。使い終わった盾をコンポの前へ移動させ、ボクはまたベッドへ戻った。今度こそ意識をミステリーの世界へ旅立たせていく。
そうしてボクは盾と決別した。きっとこの長く鬱陶しい髪はまだ切れないけれど、皆がボクを受け入れてくれたように、ボクもゆっくりボクを受け入れればいい。
こうして自堕落に本を読むのは久しぶりだと気付いた頃には、一冊を読み切っていたのだった。
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