第5章 気付いた感情
第32話
深夜まで続いた宴会も、二時を過ぎると母さんは喋り疲れたといわんばかりにさっさと化粧を落として自室に戻ってしまった。
ボクらも自室に戻り、交代でシャワーを浴びて友紀にはボクの部屋着を貸すと、体格差のありすぎる友紀にはかなりだぼだぼだった。とはいえ部屋着姿は友紀の普段着っぽく見えて、着る人によってかなり印象が違うものなのだなあと変に感心してしまった。
ベッドの下に敷かれた布団に包まり、ボクはベッドに座りながら宴会の延長の様に会話が溢れる。
「小泉クンのお母さん、本当に面白い人だね」
「破天荒すぎるんだ。いつも突拍子もないし」
「確かに」
二人で笑い合い、夜の深い時間に音量を絞ってCDを流す。もちろんピエロのミニアルバムだ。
「この曲、俺的にはラブソングなんだけどさ」
差し掛かった曲は『夢と花火』。ロック調で紡がれる曲は、友紀そのものの叫びにも近い歌だった。涼が言ったように、友紀にとってのラブソングはかなり荒っぽいものだ。
「今まで書いてきたものももちろんラブソングなんだけど。俺ね、中学の時に好きな子がいて。まさにこんな感じのことを言う子でさ。世の中の人間なんて偽善者ばっかだー! って。そう言って反抗してた姿がかっこよくて、惚れたなぁ。あの頃のことを思い出してくれたらいいなって思って書いたんだよね。皆からはラブソングなんて思われなかったんだけど」
心を壊されるほど痛いのに
人は優しさなんてくれない
優しさを渡すのが偽善なら
偽善の何が悪い
歌詞を聞けば聞くほど、友紀の好きだった子の感情を歌っているように感じられた。たった一人への思いを抱きながらこの歌詞を書いた友紀は、どんな気持ちだったのだろう。当時の友紀に想いを馳せていると、いきなりインカメで友紀自身も映るようにカメラを向けた。
咄嗟に顔を隠すと音もないまま撮られた写真を眺めた友紀は、控えめに笑いながら画像をボクへ見せる。ぼさぼさの髪。顔はほとんど見えず、友紀はそんなボクを画面越しに見て笑っている写真だった。
「小泉クンほとんど顔映ってないじゃん」
「いきなりカメラ向けるからだろ。さっきの続きだけど友紀はその、中学の子とは上手くいかなかったのか?」
「……今幸せそうだしね。いいんだこれで。俺自身、今幸せだしな」
体を伸ばして布団に体を埋めた友紀は、天井を見上げてピースサインをした。
「俺は今、音楽もできてるし初恋の子の傍にも居れるんだから、とんでもなく恵まれてるよ」
歯を見せて笑う友紀の言葉の中にヒントが隠されていることに気付く。こういう伏線は知っている。物語の中に何度も出てくる。でもそうだとすれば、彼女は確か春彦の……。
「もしかして、涼が初恋なのか?」
「俺はね小泉クン。必ずしも恋が叶うことが幸せとは限らないと思ってんの。だって俺、辛かったら今頃バンドなんてとっくに辞めちゃってるよ」
それ以上何も言わなくなった友紀は天井の一点から視線を外さず、ボクもベッドの枕に顔を埋めた。ベッドサイドに置かれたコンポの電源を落とし、電気を消す。辺りが暗くなり、カーテンの隙間から細く月明りが差し込んでいた。
辺りが静寂に包まれたのに、隣から聞こえる規則正しい呼吸音が気になる。普段とは違う夜に眠気なんてやって来なくて、仰向けに体制を変えて意味もなくSNSを巡回する。
「小泉クンって葵チャンのこと、好きなの?」
「えっ⁉ いっ……」
思わず携帯を落として額にクリーンヒットした。じんじんと痛む額をさすりながら、跳ね上がった心臓に驚く。胸元にあるスマホを脇に置くと、くつくつとした笑い声が聞こえた。
「なんか、そんな気がして。違うの?」
「よくわからない、が正解だな。一緒にいて飽きないとは思う」
「ふぅん……。ま、小泉クンはこれからって感じだもんね」
「そう、だな。ずっと一人でいたから。ボクは本当に、人間が怖かったんだ」
独白だった。月明りが薄く差し込む部屋で、過去に目の色が違うことでいじめられ、責めるべき父親がいない状況下。ずっと言いたいことを抑え込み、それでも違うことは変えられない。
馬鹿にする声は止まず、人と違うことがこれほどに迫害されると知った。そうして他人に興味を失くしたフリをして、自分自身を守るために孤独を選んでここまで生きてきたボクの目の前に、頬を腫らした葵がいた。
普段なら気にもしないはずの葵という存在に引っ張られ、気が付けばずっと諦めてきた対人関係を築き、たった一週間足らずでボクの世界を変えた。
チカチカと目の前が光る感覚。ボクのトラウマを一瞬で塗り替え、今日のあんな出来事ですら気にも留めず、いつも通りに話してくれた葵は、ボクの世界の中では神様さながらの存在だった。
今は何をしているのだろう。明日は? 明後日は?
誰のことを思いながら、この時間を過ごしているのだろう。
「そりゃあ、思ったよりヘビーだね……。今どき離婚なんて珍しくないけど、ちょっと特殊だったわけだ。そりゃ目も灰色だよ。納得」
一呼吸置くともぞもぞと動く音が聞こえた。ボクもなんだか落ち着かず、仰向けから友紀が横になっている布団側へ体制を変えるが、なんとも背中がむずむずする。妙に汗ばみ、クーラーの温度を一度下げる。
「人と関わってこなかった割に、コミュニケーションはちゃんと取れるよね」
「ならいいんだけど。不快にさせてないか今も不安にはなるぞ。なにせ普通が分からないんだから」
「大丈夫。今の所思ったことはないし、そう思ったらすぐ言うようにしてるから、俺。でもそっか、まだそういう恋とかはわかんないんだ」
「今までまともに話せる人って全くいなかったから、恋心を抱いているかと問われると、返答に困るな」
「ま、そのうち分かる時がくるよ。嫌でもね」
深呼吸にも近い一呼吸をした友紀は、今度こそなにも言わなくなった。時刻は既に四時を回っている。既に月明りではなく、薄明るい朝焼けとなった光を眺めながら、ボクも睡魔に身を任せて眠りの感覚に沈んでいった。
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