第30話
ある程度終了したかな、と伸びをかますと、デスクに置かれた麦茶を一口含み、ボクの部屋を見渡して友紀は感嘆の声をあげた。
「こうやって見ると、ホントにいろいろ聞いてるし読んでるんだね。尚がいつも本読んでるって言ってたけど、ここまで来ると図書館みたいだね。図書館とか滅多に行かないでしょ」
「いや、結構行くかな。借りてるのもある。全部が全部買えないからな。まだまだ親のすねかじりだし」
「いいじゃん、今は。そのうちきっと忙しくなるよ」
「え?」
「いずれメジャーデビューする俺らの作詞をしてる小泉クンが、注目されないわけないでしょ?」
自信たっぷりに笑う友紀は、初めてスタジオに入った時に教えてくれた夢を、もう実現はすぐそこと言わんばかりに胸を張った。
夢がある人間が羨ましいと思っていた。目指す夢が大きければ大きいほど、越えなければならない壁は高い。それを超えられる人間はほんの一握り。だから挫けたときの絶望感を捨てて夢を見ることを諦めてきたはずのなのに、そんな絶望なんて感じていないように笑った。
友紀は夢を叶えるための全てを兼ね備えて、そしてそれらを武器にきっと実現していくのだろう。それが当然の結果だ。
そんな友紀の実現可能な夢の一端を、ボクが担うなんて荷が重い。今からでも詞なんて使わないでくれと頼むことだってできる。でもそれはボクの歌詞を読んで褒めてくれた皆の意見を無視することのような気がして、ボクは何も言えないままベッドに腰かけた。
つい三十分前までトイレでへばり込んでいたはずなのに、今はもうこんなにも穏やかだった。不思議な沈黙が流れる。居心地の悪さなんて爪の先ほどもなく、誰かがいるという安堵感に包まれていた。
「俺さ」
ぽつりと呟いた友紀は、チェアの上で胡坐をかいた。立てかけられたギターを眺めて、自虐的に笑った。
「ちっちゃい頃、すごい音痴だったんだよね」
「え、友紀が?」
「そ。俺が」
それは友紀の独白だった。今でこそ自信に溢れ、才能を発揮する友紀の、知られざる過去。
「小学校の頃はそれでよくいじめられたんだよね。俺、今もだけど身長も小さかったから、オンチビ、なんて呼ばれてからかわれてた。それが悔しくてさ、それでギター始めたんだ。最初はコードも抑えられなくて、歌うなんてもってのほかで。毎日毎日苦しい思いしながら練習して。ギターはだんだん上手くなっていくのに音痴は治らなくて。あれほど努力してたのにそれでもいじめられるのが苦しくて、小さい頃ながらに死のうかなって何度も思った。けど悔しいままでいられるかーって弾き語りするうちに、今のメンバーでバンドすることになってさ、もう必死に練習した。そうこうしてるうちにだんだん歌上手くなってきたよなってことになって、今やメインボーカル。あれだけ嫌いだった音楽が、今や俺の大事な居場所になってたんだ」
端的に言って、信じられなかった。あれほど気持ち良さそうに歌う友紀が、才能なんて言葉に甘えなかったのだ。そもそも才能ではなく、あれらは全部努力で勝ち取ってきたものだったのだ。
いや、それも才能なのかもしれない。友紀は昔言われた屈辱的な言葉全てをバネに、努力をしたのだ。その結果、花が咲いた。その努力がきっと才能なのだ。努力という名の才能。
「いろいろあって、俺らは音楽があったからこうして繋がれたわけじゃん? 小泉クンもさ、もうちょっと気楽にいこうよ。俺、小泉クンは詞とか関係なく友達になれてよかったって思ってるよ」
つい数瞬前まで浮かべていた自虐的な笑みでもなく、友紀は扉を開けたときのようにへらりと笑っていた。その言葉になんとか返そうと、口の中で言葉を探り、それを吐き出す。
「ボ、ボクも……、うん。皆と、と、友……達になれて、よかっ、た」
「はは、それはよかった。けどその言葉、多分一番言ってあげないといけない子がいるんじゃない?」
ひらひらと携帯を振る友紀のジェスチャーに、ボクはやっと携帯のロックを外した。トイレで操作できなかった時よりスムーズに操作が出来る。
初めて見るLINEの通知に驚いたのも束の間、ピエロのメンバーが個人でくれた連絡とはよそに、葵から二十件を超えるメッセージが届いていたのだ。中には着信履歴もあって、顔をあげると友紀はいつの間にかギターを構えていた。
「エレキはアンプ繋いでなかったら音小さいから、弾いてていい?」
それが友紀の優しさと受け取り、携帯を片手に部屋を出て葵のトップページを眺める。着信のボタンを押せばいいだけのはずなのに、恐怖感がボクを包み込んでいく。迷惑と言われてしまったらどうしよう。友達じゃないと言われたら……?
そんなとき、手の中で携帯が震えた。着信はやっぱり、aoiからだった。
「も、もしもし」
「やっと繋がったぁ! 大丈夫⁉ どこも辛くない⁉」
第一声はそんな心配の言葉だった。リビングの涼しい風を受けながら、電源を落としてベランダに出た。すっかり夜の帳が降りて、辺りは住宅街特有の静けさに包まれていた。ひゅうと外の風に吹かれると、夏特有の湿気の多い風に心が洗われていくようだった。
「大丈夫、落ち着いた。それよりこっちこそごめん、怖かっただろ」
「そんなこと気にしすぎだよ、こっちこそ急に眼鏡取っちゃってごめんね? 本当に大丈夫……?」
「こっちは全然大丈夫。あの後はちゃんと帰れたのか?」
「うん、すぐ解散になったんだぁ。友紀くんがすぐ追いかけて行っちゃったしねぇ。それよりもさ、もうPVの編集出来たらしいよ、見たくない⁉」
夜風を浴びながら、葵はPVの話や三日後に凛と鑑賞会をすることを楽しそうに話していた。そんな言葉に耳を傾けながら、適当に相槌を打ちながらボクは改めて友人という関係性を噛み締めていた。
友紀と同様、葵はあんな風になった理由を深くは聞かなかった。それほど気にするようなことでもないといわんばかりに、楽しそうにお喋りを続けている。
「葵」
お喋りの途中で名前を呼ぶと、葵はぴたりとお喋りをやめて、ん? とだけ返した。まるで表情が見えるくらいの穏やかな声だった。
「その、ありがとう」
「……なんにもしてないよ、あたし! じゃ、そろそろ切るねぇ。また三日後ね!」
LINE特有の着信が切れる音が聞こえた。三日後? ボクが聞き流していた間に何か約束を取りつけたっけ?
いいや、また聞けば。ベランダで伸びをかまし、ベランダからリビングに戻ると、ボクの部屋で母さんが硬直している様が見えた。いつの間に帰ってきたのか、なんとも面倒なタイミングで部屋の扉を開けてくれたみたいだ。
「……まさか、お友達……?」
「お邪魔してます、友紀と言います」
「きゃー! ほんとに⁉ マジのマジ⁉ やっだー! ちょっと友達呼ぶなら言ってよ! 飲んできちゃったじゃない! ちょっと聞いてるのー⁉ というかどこにいるのよ!」
部屋に戻っていくと、友紀は面食らった顔をしながら笑っていた。「小泉クンのお母さん、面白いね」なんて言いながら、ギターを抱えている。
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