第3章 いつの間にか用意されたイス

第15話

 いろんなことがあった今日を、ボクはただベッドに倒れ込みながら思い返していた。天井は何も言わず睨み合いに付き合ってくれていた。

 別に疲れた訳ではないが、ボクは今日という一日で起きた数々の出来事を整理するのに時間がかかった。


 葵と食事をするだけのはずが、まさかピエロのメンバーに会うだけではなく、バンドの作詞を頼まれることになるとは。

 友紀がボクを知っているというのも驚きだったが、それ以上にボクの人生にこんな嘘みたいな出来事が起こるなんて、誰が想像していただろう。

 枕もとに置かれた携帯がふわりと光を灯した。寝転がりながら携帯を見ると、メッセージの相手は葵だった。


『今日はなんかすごい日になったね~!

 ところで四日空いてない? PVの撮影するんだって!』


 多分ボクはその撮影に関係ないんじゃ……。と思ったが、部屋に戻って辞典を開いてすぐに閉じてしまったボクにとっては、何かを得るヒントになるかもしれない。

 でも撮影といえば周りが「何をしているんだろう」という目線を送ってくることになるだろう。最近学校の駅前でも小さなカメラを手に自身を撮影している人をちらほら見かける。所謂ユーチューバーというやつだろう。彼らにはいつだって好奇の視線が集まっているのを、ボクも横目で見かけたことがある。


 さて、どうしたものか……。と考えあぐねいていると、追加でメッセージが送られてきた。


『ピエロのアルバム聞いた?

 なんか恋の歌多いっぽいからさ、参考になるかはわかんないけど、あたしの恋バナ聞いてみる?笑』


 そのメッセージを見てベッドから身を起こした。まだ封も開けていなかったピエロのアルバムを取り出した。サブスクでは聞いていたが、詞までは目を通していない。

 ピエロが出したアルバムはこれが初めてのものらしい。ミニアルバムとだけあって、収録されているのは、普段買うようなメジャーデビューしているアーティストのアルバムよりかはかなり少なめの七曲の構成だった。

 プレイヤーにCDを挿入して、控えめに設定されたスピーカーから音楽が流れ出す。ベッドサイドに腰かけて再生されたCDに耳を傾ける。

 一曲目のバラードが流れ出し、旋律はしっとりとして、ギターの一音一音がバラード調を消さずに上手く混ざり合っている。イントロが終わると友紀の声が乗る。


 君が離れないでと言った言葉

 それだけを守り続けるよ

 君が濡れてしまわぬように

 僕はこうして君に傘を差す


 題名はアルバム名でもある『rain』。その名の通り雨が題材となっている。しっとりと胸に入る歌詞で、最近読んだ純愛の小説にぴったりな曲だというありきたりな感想を抱く。


 ピエロに恋の歌詞が多いなら、葵の提案もなるほどと合点がいく。葵の経験談は役に立つのではないだろうか。

 開きっぱなしだったトーク画面に返信を打ち込んでいく。今度は今日みたいに奢られるのではなく、ボクがご教授願う側だし奢る側という意味も込めて。


『今聞いてるとこ。四日の集合時間って何時くらい?

 集合前に葵の話を聞かせてほしい』


 送信してスマホの画面をロックし、CDを流し聞きしながら、ボクは枕元に置いてあった本を手に取った。残り三冊のうち、途中までを読んでいた一冊だ。中身は恋愛要素を多く含んだローファンタジー。近未来の恋愛模様が描かれた作品だった。

 葵と出会ったときのあの本は、まだ一ページも開かないまま枕元に放置されている。いい加減読みたいとは思うものの、まだそんな気にはなれなかった。


 この物語は表紙買いしたものだが、割と表紙詐欺だったな……と半分惰性で読んでいる。だけど今この高揚した気持ちを落ち着かせるにはちょうどいい鎮静剤にもなるだろう。

 ゴロゴロとベッドに寝そべりながらページをめくるうちに、ボクはいつしか眠りに落ちた。


 ◇


 次の日も結局いつものように昼過ぎほどに目が覚めると、ボクはいつものような時間の使い方をし、自室に戻っておよそ二週間ぶりに机に向かった。

 けれどもやっぱりピエロの今までの曲のような、恋愛についての歌詞が思い浮かぶこともなく、新品のノートに単語を書いては線を引いて消し、また単語を書くという作業に時間を費やしていた。

 その間もミニアルバムを流し続け、そして新曲を聞いて、という作業をぐるぐると繰り返し、それでもはっきりと出てこない不確かな『恋』という代物。

 たくさん読んだ本の数々には恋愛小説も含まれていたはずなのに、何も思い浮かばない。実体験ではないからだろう。ボクにはやっぱり手に負えなかっただろうか。


 スマホのロックを外して、ずいぶん増えた友達の中から一人の連絡先を呼び出す。名は『R』とだけ書かれた人物。

 本名は倫太郎という名前だが、LINEの名前をイニシャルで登録するのは割と普通のことらしい。ボクは誰にもアカウントを教えていなかったこともあって、フルネームで登録していた。


 彼は会社員をしているらしいのだが、昼間でないと連絡が取れないとかいう、会社員にしては少し変わった人だ。

 唯一Twitterで仲良くなった人物で、ボクが好き勝手に投稿していたものをなんでもかんでもリプライを送ってきてくれてから意気投合した。

 ネットの人物ならボクの見た目なんて気にせず話し相手になってくれることもあって、あまり自身のことを話さないようにしつつ、ボクは彼と時たまこうして話し相手になってもらっていた。気さくであまり詮索してこないことも、倫太郎と話す時に緊張しない理由の一つだった。


 そんな彼だが、いつもお昼時に呟いているから、てっきり同い年かと思っていた時期もあった。聞いたら二十三歳の会社員と聞いて驚いた。

 彼と直接会ったことはないが、キルハイも読書もよくするという倫太郎という人物は、ボクにとっての初めての友達だった。最も、会ったことは一度もないが。


『久しぶり。ちょっと聞きたいことがあるんだけど』


 それだけ送って携帯を閉じたと同時に、すぐに返事が来て手の中で携帯が震えた。


『確かに連絡を取り合うのは久しぶりだな~』


『どうした?』


 連続で送られてきた二通の文面に、ボクは逡巡してから意を決してメッセージを送信した。


『倫太郎って恋したことってある?』

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