第16話
送信ボタンを押した瞬間に携帯はボクの手の中で着信を知らせる振動を始めた。倫太郎からの電話だった。すぐに応答ボタンを押すと、倫太郎はかなり興奮した口調で話し始めた。
「おま、え、あの友達の居ないダウンが恋⁉」
本当は英語で「dawn」と登録したTwitterの通りに倫太郎は呼ぶ。本名も教えたが、こっちの方が慣れて呼びやすいからとのことだ。
別にどちらで呼ばれたって反応できるのだから無理やり本名で呼ばせたりなどはしない。そっちがいいというのなら、そっちでいい。
「急に電話してきたと思えば、倫太郎はもうちょっとオブラートに包めないのか」
ちなみに倫太郎のハンドルネームは『倫太郎』と登録されている。だからボクは出会った当初から倫太郎は倫太郎だった。
「いやぁ、やっぱり大人ぶってても高校生なんだなと思ってさ。んで? 相手どんな子?」
「いや、実は……」
事のあらましを説明すると、途中でカチッと音がした。彼が喫煙者なことは倫太郎のTwitterで知っていた。シンクがかなり煙草で溢れている画像を見て、ボクは思わず掃除しろよ、なんてリプライを送ったこともあった。
「お前、それマジで言ってんの⁉ その葵って子もすげーけど、まさかあのピエロとダウンが繋がるなんてことあるんだな」
「ボクも驚いてるよ。まだ頭が追い付いてないくらいだ。まあ、そういう訳でボクは倫太郎の知っての通り恋愛をしたことはないから、倫太郎はどうかと思って」
「うーん……恋愛かぁ」
ふぅ、と息を吐きだす音が聞こえて、しばらく沈黙が流れた。携帯をスピーカーにして机に置く。ノートの間にシャーペンを転がして話を聞く準備が完了した。
電話の向こうで倫太郎がふむ、とまた小さく唸って見せた。
「あるにはあるけど、タダって訳にはいかねえな」
「何を要求するつもりなんだよ……ボクには払える金もなければ何かを提供する術もないぞ」
「まあ聞けって。その歌詞がさ、本当に採用されたらさ……」
歯切れ悪く倫太郎が口ごもる。いつもははっきりと物を言うし、言いたいことはすぐに伝える質の倫太郎が、ここまで言葉に詰まっているのはとても珍しかった。
「なんだよ、珍しく口ごもって」
「いや、えと、うーん……俺もそのライブ、行っていい?」
「……それはボクが倫太郎のチケットを買うってことか?」
「ちっげーよ! 俺とオフ会してくれないかって話」
手で弄んでいたシャーペンを思わず落とした。今までも何度もその誘いはあった。だけどボクがずっと断っていたのだ。それからしばらくして倫太郎からの誘いはなくなった。
ボクの目を見てほしくなくて、軽蔑されたくなくて、唯一の友達と呼べる相手を失いたくなくて。
どうしようかと頭を悩ませる。確かに教えてもらうだけというのも気が引けるが、ボクには倫太郎と会うのがやっぱり少し怖い。でもボクは既に、リアルで友達になったと言われた人たちがいる。だからこそ、倫太郎に会ってもいいのではないかという気持ちがなくもなかった。
「気にしてることがあるんならアレだけど。俺はダウンがどんなんでも引かねえし、もうちょっとフランクに会える友達になりたいっつーか、なんつーか……」
黙ることしかできず、ボクはくしゃくしゃと髪を騒がせた。確かに倫太郎は年も上だ。それでいてボクの話はいつでも聞いてくれる。
ボクがTwitterに投稿した本の画像と感想を見て、その中から倫太郎が気になったものをわざわざ買って読んで、その感想も送ってくれる稀有な人だ。
「俺、ダウンとはネッ友じゃなくてリアルの友達になりたいって、思ってる……。やべー! 今恥ずかしいよね俺!」
電話口で叫ぶ倫太郎に、ボクはまたしばらく沈黙を決め込んだ。リアルの友達になる、というハードルは高い。だけどボクは、きっと倫太郎とも友達になれるだろうと、そういう気がした。ほぼ直感で、理由もない予感だけれど。
そしてボクは、この夏休み中に何度決めたかもうわからなくなった覚悟を決めた。
「……わかった。引かないって言葉、忘れるなよ」
「まじで⁉ じゃあ教えちゃう!」
倫太郎はつい最近まで付き合っていた彼女の話をし始めた。まるで壊れ物を扱うように、あいつは悪くなかった、と前置きをして。
彼女と出会ったのはキルハイが去年のツアーファイナルをしたライブ会場だった。
インディーズの頃からキルハイを応援していたおかげで、倫太郎はインディーズ時代のマフラータオルを首に巻いていた。
そのタオルを見て、彼女から声をかけられた。その彼女もずっとインディーズから好きだと明かされて意気投合。それから恋仲へと発展した。
付き合っている中で、倫太郎は相手のことを、彼女は倫太郎のことをだんだんと知るうちに、最初は順調だった二人の仲に、徐々に亀裂が生じていった。
倫太郎の仕事内容や、彼女のわがまま。すれ違いが増えるごとに喧嘩も比例するように増えて、それでも倫太郎は仕事を辞められないからこそ、彼女のわがままにもできるだけ応え続けていた。
しかし、彼女は仕事をやめてくれない倫太郎に我慢ならなかったのか、別の男と関係を持ってしまった。
そのことが原因で破局した、と。
「俺さ、この仕事はまだやめらんねぇからさ、仕方ないとはいえ、さ。俺本気であいつのこと好きだったんだよな。だから別れる時もあいつが浮気したから別れるってよりかは、あいつがあっちを好きになったから別れるって言われて、俺が引いちまったんだよな」
「なるほど。その彼女と別れることになったとき、潔く引けたってことか?」
「そりゃあな。だって俺よりもその浮気相手を選ぶってことは、そっちと居たほうが幸せってことだろ? なら俺って完全に邪魔じゃん。俺が願ったのはあいつの幸せであって、俺のじゃねえから」
ノートの見開き一杯に倫太郎の恋愛ストーリーと、最後の倫太郎の言葉で見開き一面が埋め尽くされた。それでも俺はやっぱりぴんとこなかった。
こんなことを言うのは倫太郎に失礼だろうが、これではありきたりすぎるのではないだろうか。
物語ではもっと大恋愛で、もっとあり得ないことが起きて、そして大々的な結末が待っているのだ。そんなストーリーが世の中にはありふれているものだと信じていた。
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