第9話

 結局店員さんに注文するタイミングで目についたハンバーグのランチセットを頼んで、ドリンクバーもしっかり付けてくれた彼女は、そんな細見な体のどこに入るのかというほどいろいろなものを注文していた。

 やれチキンだの、やれポテトだの、なんだの。しっかりサラダを頼む辺りは女子らしさを感じた。


 次々と運ばれてくる料理に、彼女はいちいちぱぁっと顔を光らせていた。すべての料理が運ばれてきたとき、葵は一枚だけスマホで写真を撮ってお箸を持って、皿に乗った食事を次々と平らげていった。


「あたし結構食べるっしょ」


「確かにすごい」


「結構大変なんだよぉ。この体系キープするの」


「そうなの?」


 ふふ、と笑って彼女は最後の一口をぺろりと平らげた。ボクよりも早く。お腹をさすりながら「食った食った」なんて携帯をいじっていた。


「そういえば、頬、あんまり目立たなくなったな」


「あ、うん」


 葵の目が一気に冷え切っていく。カラーコンタクトの奥にあった光は一切ない。その奥にあるのは、そう。虚無だった。

 息を飲むと、彼女は携帯を置いて目を閉じて、そしてこちらをまっすぐ射貫いた。彼女の目にはもう光が戻っていた。


「気にしないでいいよ。もう、平気だし」


 ひらひらと手を振る彼女は、さながら何かを吹っ切ったような顔だった。だが、あの虚無を映した瞳が気になった。恋は無敵そうに見える彼女の光を奪うほどの傷を残すのだろうか。それほどまでに、苦しい物なのか?

 そんなことを聞くのも不躾だろうか。こういうとき、どの言葉をかけるのが正解なのかわからない。つくづくボクは人との対話ができないのだと痛感させられる。黙々とハンバーグを平らげて、手を合わせた。


「すご、小泉くんってめちゃいいとこの子でしょ。あたしも真似しよっ」


 ぱんっと勢いよく手を合わせた彼女は「ごちそーさまでしたっ!」と割と大きな声で言い放ってけたけたと笑いだした。

 どこら辺が「いいとこの子」だったのかはわからないが、それはどうでもいい。葵がボクのグラスを掴んで、以前のカラオケの時の様にボクの分のジュースまで取りに行ってくれた。


 ほい、と渡されたのは何やらどす黒い液体だった。謎にシュワシュワと炭酸の抜ける音が聞こえる。まるで魔女が大釜で煮た毒液みたいだ。実際に見たことなんてないけれど。


「これ、なに?」


「なにって、ジュースだけどぉ?」


 いじわるそうに笑いながら、自分の分のオレンジジュースをストローでちみちみと飲む。およそドリンクバーのいろいろなジュース類を混ぜたものだろう。それくらい、この謎の色と炭酸の音で分かる。


 なんだ、結局からかわれているだけじゃないか。こんなくだらないことを仕掛けて、また地獄を見るのか。

 友達、なんて。やっぱりカースト上位の戯言だった。所詮はそんなものだ。

 結局こうして連れ出されたことも、休みが明けた後にボクをいじる口実に過ぎない。そう思うと体から力が抜けていくようだった。また地獄が始まるのかと思うと、途端に過去の自分が憎らしくなっていく。


 何が色がついた、だ。もともと何もなかったのに。


 ボクは、この期に及んで、ボクの世界に変化をもたらす何かを期待していたというのか。もうなにも他人に期待しないと、そう思って今まで生きてきたはずなのに。

 落胆の中から怒りが溢れ出て、ボクは少しばかりぶっきらぼうに口を開いた。


「……いや、これっていろいろ混ぜたやつでしょ」


「高校生がファミレス来たら一回はやるっしょ、ミックスジュース~!」


「そんなものは知らない。悪いけど、帰る」


 立ち上がったボクの腕をつかんで、葵は眉をひそめていた。なんでそんな顔をお前がするんだ、と腕を振り払えたら良かったのに、そんな度胸はこれっぽちもない。


「え、ごめん。気悪くさせちゃった?」


「これが当たり前の反応だと思うんだけど」


「身内のノリってやつかな……。みんなと行くときはいつもこんなんだからさ、あたしわかんなくて、ごめんね? お詫びにちゃんとしたの取ってくるよ」


 詫びの気持ちがこもっているのかどうかはわからないけど、ひとまずもう一度着席をした。あれほどまっすぐに謝られるなんて思っていなかった。

 そもそもボクに『謝る』という行為をされたことすら驚愕だったのだ。謝罪を受け入れられないほど、ボクも腐ってはいない。


 それに、葵の言う周りの同学年らしい遊びということに関しては、著しく欠落した常識だ。だから多分こうして怒りを葵にぶつけることも、お門違いなのだろうと、落ち着いてきた頭で考えれば、そう思えた。ボクを見下ろす葵は、本当に申し訳なさそうに眉をひそめている。


「いや、ボクこそ……。知らないんだ、同級生のそういう楽しみ方っていうのが」


「あたしこそ、勝手に盛り上がっちゃってごめん。ジュース、今度こそ何がいい?」


「……ウーロン茶」


「それジュースじゃないじゃん」


 ふっと笑ってつかつかとドリンクバーに歩いていく葵を眺めながら、用事もないのに携帯を開いた。手持無沙汰で待っているには、少しばかり気まずい空気だった。

 相変わらず何の通知も来ていないが、待ちに待っていたシリーズ最新刊の発売日が九月一日という情報を得た。

 新学期が始まってすぐか、とスケジュールアプリに予定を打ち込んだ。シリーズものの初版を買うことが、ボクの唯一のコレクター心だった。


「ほい、ウーロン茶」


「ありがとう」


「んーんー」


 二人して携帯をいじりながら、ちみちみとジュースで口を湿らす。特に用事もないけど、ボクの指はタイムラインを流すだけに対して、葵はコロコロと携帯の画面相手に表情を変えていた。


 ボクが知らない世界。高校生らしい世界。この薄い金属の塊の中身は、きっと葵とボクとでかなりの差があるはずだ。

 羨ましいとは言わない。自分でそう選択してきたのだから。だけど葵とボクとで、一体何が違うというのだろう。ただ容姿の違いという、ただ一点だけの欠点だけだろうに、どうしてボクはこうなってしまったんだろう。

 ボクの目だって、さっきの葵のようにきっと虚無でいっぱいなんだろう。急にどうでもよくなってきて空になったグラスをしばらく眺め、携帯をカバンに突っ込んだ。これ以上ここに留まれば、ボクはきっと、もっと自分を嫌いになってしまいそうだった。


「ほんとに、そろそろ帰るよ」


「え、もう帰るの? この後予定あるとかぁ?」


「いや、ないけど……」


「やりっ! じゃあちょっと付き合ってよ」


「え?」


 すっかりこれで解散するものだと思っていたし、ボクは当初予定していたものを全て放り投げて帰るつもりだったのだが、結局ボクが咄嗟に予定はないという言葉の元、彼女はレジへ歩き出した。

 会計を出そうとして、財布を出そうとした手を軽くはたかれた。一度言ったことは守る主義、という主張と、さっと出された一万円でボクはもう何も言えなかった。思えば財布の中に入っているお金だって、ボクと葵じゃ意味がまるで違う。

 彼女は働いて得たお金で、ボクは親から。そんな事実ですら心が沈みそうになってしまった。

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