第10話
彼女が行きたかったのは、なんとCDショップだったらしい。ショップ前に着いたときは、意外なチョイスに思わず面食らってしまった。
今どきの若者はCDなんぞ買わないと、昼時のワイドショーで散々言っていたのを覚えていたからだ。サブスクが発展した今、俗にいうギャルという種類の人間は特に。
「葵ってCD買うんだ」
「買うよぉ。キルハイは絶対だけど、キルハイって他のバンドと対バンすること多いじゃん? あたしCDから取り込んで聞く派だから予習~」
直近の対バン相手は確か、ボクも探していたバンドのCDだ。
しかし熱心なキルハイのファンがこんな身近にいたとは知らなかった。同級生とまともに話したことがないのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
ボクもキルハイのCDは全て買ってはいるものの、まだライブには一度も行ったことがない。タイミングはいくらでもあったが、ライブに一人で行くという行為ですら、ボクにはかなり難易度の高いイベント事のように感じていたからだ。それほど、人の視線はボクを抉っていくものだった。
そんなボクとは打って変わって、葵はライブによく足を運んでいるそうだ。二年前と言えばキルハイが活動を始めたての頃だ。まだまだマイナーだった頃だったから、ファン歴ではボクより早くハマっていたのではないだろうか。
次の対バン相手はピエロというバンドで、キルハイのギターを担っているryotaとピエロのボーカルの仲が良いらしく、その兼ね合いで八月の二〇日に対バンをする。そんなピエロはサブスクで聞いてから気になっていたバンドの一つだ。
しっとりと、それでいて力強くもあるボーカルの声と、ピアノの旋律がロックに調和して心地がいい。キルハイが人間のエゴを歌うのに対し、ピエロは扇情的かつ恋愛要素の強い歌詞が多い。
恋なんぞしたことのないボクが惹かれた理由は、その旋律とマッチした声が描く恋の情景が美しかったからだ。
きょろきょろと辺りを見渡す葵に対し、蒸し暑かった外に比べてかなり涼しい室内にほっとしていると、葵はぽそりと呟いた。
「でも全然知らないバンドだから、どこにあるか全然わかんないやぁ」
「次の対バン相手はインディーズだからこっちじゃないか」
地元のCDショップだ。場所くらいはわかる。ここに通い詰めて何年になったろうか。
すっかり自分の無価値さに意気消沈していたが、来たからにはボクも買って帰ろうとコーナーにめがけて歩く。陳列されたCDだって一応ジャンル分けくらいされているわけで、その棚から選び取る。目当てのCDはちょうど二枚。
「あ、それ」
頭上で声が響いた。それが葵のものじゃないとはすぐに気付いた。男性の、どちらかと言えばハイトーンで、それでいて中性的なその声。どこかで聞いたことのある、その声。
「え、誰?」
次いで葵の声が降ってきて、ボクはようやく振り返った。葵の背後でギターを背負った小柄な男性が一人、こちらを見ていた。
茶髪で片目が前髪で隠れていて、その前髪をピン止めで止めている。ぶかぶかの黒シャツから覗く腕はかなり細い。声と同じく中性的な面持ちの彼は、じぃっとこちらを覗いて動かない。
「そのCD、買うの?」
「なにぃ? 先に手付けたのはあたしらだし。ね、小泉くん」
「あ、あぁ……」
敵意むき出しでその男に睨みをきかせる葵に対して、男は顔を少しばかり綻ばせ、美しいとさえ思わせるほどの微笑を浮かべた。
「そっか。なら、ありがと」
にこりと笑った彼の声は、やっぱり聞き覚えのある声だった。彼は背を向けて歩き出した。勢いよく立ち上がると、首にかけられたヘッドフォンが揺れた。
そうか、既視感はこれだったんだ……!
彼は、この声は、このCDの……。
「あ、あ……」
なんて声をかけたらいいのか。どうしたらいいのか。ほぼ確信に近いボクの思いは、すっかり語彙を失ってしまったようだ。二枚のCDを手にしながら立ち尽くすボクに、葵はTシャツを引っ張った。
「どしたの?」
「ボーカルだ……」
「え?」
「あの人、このCDの、ピエロのボーカルだ」
「……えーーーー⁉ うっそーーーー⁉」
その声は店内を駆け巡り、まだ通路の途中で別のCDを眺めていた彼が振り向いた。さっきの美しいと思った笑顔とは違う、悪戯っぽい笑顔で。
「うそ、ほんと⁉ アンタ、ピエロのボーカルなのぉ⁉」
「そうだよ。俺がピエロのボーカル。友紀」
小柄な男性はこちらをじっと見つめると、やっぱりか、なんて呟いてわざとらしく首を縦に振って見せた。
「キミたち、南校通ってるよね?」
ポケットに手を突っ込んで、目の前の彼はこちらを交互に見比べている。どうして、ボクたちの学校を知っているんだ。
「俺、南高の軽音部。二年の」
「うっそ! 全然知らなかったんだけど! タメじゃん、あたし葵。こっちは小泉くん。友紀くんってクラスどこ? うちら三組なんだけど」
「俺は七組。あんま交流ないっしょ。選択の授業もかぶってないはずだし」
とんとんと話が弾む二人に、ボクはただ立ち尽くすことしかできなかった。こんな身近に、しかもこんなところで、ボクの間借りしていた世界が、繋がったのだ。
葵はきゃっきゃと話を弾ませているが、ボクは手にしたCDを見つめる。
真っ黒の空間の中央に赤い傘が開かれた状態で置かれていて、シンプルな明朝体に白で書かれた『rain』の文字。
これはミニアルバムとして先週に出されたものだ。そんなアルバムからゆっくりと目の前で葵と談笑している彼を見やる。目の前にいる彼が、いつも耳から聞こえる歌を歌っているなんて。もっと遠い世界だったはずなのに、気付けばこんなにも、近い。
「俺さ、そっちのでかいの……小泉クンだっけ? そっちはいつも見かけてたんだよね」
「え、ボク?」
「三組の多田ってやつ知らない? あいつもメンバーなんだけどさ、よく教室行くんだけど。たまに言ってたんだよね。多田がさぁ、クラスにいつもヘッドフォン付けて本読んでるヤツがいて、誰かと話してるトコ見たことないんたよなぁって。それから俺が妙に気になってて」
「多田って、あの爽やかイケメンじゃん。この間まで彼氏いたから男に興味なさ過ぎて知らなかった……」
クラスメイトのことは観察のおかげで知っている。多田という男は特にだ。教師受けも同級生受けもいいリア充、といったところだろうか。そんな彼が音楽をしていることが意外だったが、ボクはさっきからふわふわとした感覚から戻れずにいる。
「小泉クンさ、ちょっとこれから時間ない? ちょっと相談したいことがあってさ。あ、そっちの、葵チャン? も来ていいからさ」
「行く行くぅ! 小泉くんも行くよね、ね!」
キラキラとした瞳にボクは目を逸らした。どこに連れていかれるというのだろう。
こんなコミュ障に一体何の相談があるというのだろう。
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