第2章 繋がる世界と広がる世界
第6話
あれからメッセージのやりとりは一度もしていない。約束の三十一日はもう明日となっていた。それでも葵からメッセージは一通も届いていない。
もはや明日、本当に会うのか半信半疑な状態のまま、前日を迎えてしまった。とはいえ、ボクから催促するのもなんだか気が引けて、メッセージはボクが消しては打ち直して送った簡素な『わかった』で終わっている。
あの日の帰宅後、帰るのが珍しく遅かったことを母さんに追及され、クラスメイトとカラオケに行ってきたと話すと、
「えー、珍しい! あんたいつの間に友達出来たの⁉ 早く連れてきてよ、母さんも会いたい!」
なんて言い出すもんだから困った。さすがにそれが女の子で、駅前で男に殴られて泣いていたから咄嗟に個室に逃げた、なんて言い出せず、茶を濁すような物言いで返事をしておいた。
そしてすっからかんになった財布のことと、月末にまた会う約束をしていることを伝えると、一万円を取り出してボクにあてがった。咲き誇る向日葵のような笑みだった。
「友達が出来たんならいるでしょ。学生は遊ぶことも大切ってもんよー」
なんて言いながら、キッチンで鼻歌なんて歌っていた。
相手が女の子、なんて言ってしまえば余計に騒ぎ立てられそうな勢いだ。母親とはいえ、そこまで詳しく説明するのはなんとなく気が引けた。
ただ、その日の晩飯はやたらと豪華な食事となったのは言うまでもない。
ポテトなんて食べなければよかった。後悔先に立たず。苦しいお腹をさすりながらなんとか食べきったものの、しばらくダイニングテーブルから動くことはできなかった。
そんなことがあったとはいえ、ボクはといえばあの日以来、どこにも出かけることなく家に閉じこもっていた。ベッドサイドに積まれた六冊の本はもう三冊を読み切ってしまった。
デスク前のゲーミングチェアに座りながら、黙々とページをめくっていた。あの恋愛物の小説は、なんとなく後回しにしながら。
窓の外がだんだん暗くなってきて、きりのいい所で栞を挟んでカーテンを閉めた。電気をつけて壁の時計を見ると、もう十九時になろうとしている。カラスもとうに家へ帰ってしまったらしい。
そろそろ何か胃に納めておこうか、とジャージのポケットに携帯を滑り込ましてリビングに入る。廊下に出た瞬間はやっぱり暑い。むわっとした空気がまとわりついて気持ち悪い。
リビングはもっと暑さが凝縮されて早くも汗が浮かぶ。伸びてきた髪が鬱陶しくて仕方ない。
手早くエアコンとテレビの電源ボタンを押して、冷蔵庫を開いた。今日の飯は冷麺らしい。
麺の上の具材がラップ掛けされていて、その横には中華麺と冷麺用のスープが並んでいた。冷蔵庫の扉にはいつもいらないと言っているメモが磁石で張り付けられていた。
『麺は袋の後ろに湯がき方書いてるからその通りに。ちゃんと水で冷やしてからスープかけて具材乗せて食べてね('ω')』
メモを取ってダイニングテーブルに置いて、湯を沸かす。IHコンロに鍋をセットしてしばらくテレビを見ながら沸騰を待つ。キッチンからテレビが見えるのは何かを待っている間の暇が潰せて便利がいい。
くだらないバラエティ番組を眺めながら、ぐらぐらと湯が沸きだした鍋に中華麺を投入する。鍋の中で踊る麺が食欲を掻き立てる。携帯で三分のタイマーをセットして、Twitterのアイコンをタップした。
明日はキルハイのシングルが発売される。今回のシングルはドラマの主題歌になったとかなんとかで、発売前からかなり注目を浴びているようだ。
予約済みのCDも明日にはポストに投函されているだろう。フライングゲットした人たちの感想を指で流し見ていると、携帯の画面が急に切り替わった。
表示の名前は『aoi』。電話がかかってくることなんて滅多になかったせいで咄嗟に応答ボタンを押してしまった。慌てて電話を耳に押し当て、覚悟を決めて話す。
「も、しもし」
電話の向こうは街のざわつきが聞こえる。テレビも同じくらいざわついている渋谷の街を映し出していて、ものの見事にざわつき具合がマッチしていた。
「もしー、やっほ!」
「どうした?」
「いやー、明日どうしよっかなって思ってさっ」
セットしたタイマーが耳元で流れた。思ったよりも大きい音にうわ、とつい声が出てしまうほど耳を刺激させる。すぐにタイマーを切って火を止め、肩と耳で携帯を固定させながらザルに鍋の湯を捨てつつ麺を移し、蛇口をひねる。
母さんもよくこういう体制で料理を作っているが、慣れないボクには難易度が幾分か高い。思うように麺を洗えない。
「そのことだけど、別に気にしなくていい。ボクが勝手に連れ込んじゃったわけだし」
「んなわけにいかないでしょー! あ、そうそう、こないだの小泉くん。明日ご飯行くんだぁ」
誰かといるのか、会話の途中で別の会話を繰り広げる葵。本当に器用だな。
ざかざかと麺を洗って適当な器に麺を入れた。冷蔵庫に入りっぱなしだった冷えたスープと具材を出して、これまた適当に乗せて冷麺が完成した。完成して気付いたが、スピーカーにしておけばよかった。
「てか小泉くん今なにしてんのー?」
「なんも。もうちょっとで飯」
「あ、じゃあ明日十二時くらいにそっち行くわ! 前バイバイしたとこでいいよん」
「え、ちょ」
「じゃ、そゆことでぇ」
ポロロン。
一方的に切られ、画面はさっきのタイムラインに戻っていた。調理台には出来上がった冷麺。テレビは最近の若者言葉で笑っている芸人たち。
なんなんだ、一体。
冷麺と箸をテーブルに運んで、一応手を合わせた。ずるずるとすすりながら、明日の天気を調べると、最高気温は三十一度と出ていた。
タンスの中に涼しくてマシな服はあっただろうか。靴はサンダルでいいだろう。財布の中身は随分潤っている。
変なことに巻き込まれてしまったかな。そんなことを思いながらも、少しだけ心が浮ついているのも事実だった。あの少しばかり色づいた世界が、ボクをこんな気持ちにさせているのだろうか。
冷麺が喉を通り過ぎ、平らげたころにはバラエティ番組も終わっていた。
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