第5話

「聞き、辛かった? ごめん……」


 後奏が終わり、またなにかのPRが流れ出した。ここに入ってきた時と同じ映像に同じセリフが繰り返される。

 それが変に気まずさを誇張しているような気がして、背筋に冷たい氷を落とされたような、そんな居心地の悪さが部屋中を駆け回っていた。

 嗚咽を漏らしながら、彼女は笑いながらこちらを向いた。涙で濡れた顔で。


「違うの、違うのぉ……。なんか、なんだろ。一回泣いたからさぁ、涙腺バグっちゃったみたい。びっくりしちゃった。へへ、こんなつもり無かったのになあ」


 指で涙を拭いて、それでも涙は零れる。涙で濡れた頬や目はそれでも化粧を剥がそうとはしなかった。むしろ、綺麗なままだった。


「この曲、さっきの……アイツも好きだったんだよね。あたしが教えて、そしたらいい曲だなって。撫でてくれたあの手で、あたし殴られたんだって思うと、なんか惨めだなってさぁ」


 なら歌わせなかったら良かったのに。そんなこと思い出すこともなかったろうに。泣いてしまうくらいならいっそ聞かなければ良かったのに。

 そんな雑念をよそに、彼女はまたいそいそと化粧を直しだして、また変な緊張感が部屋を包む。マイクを机に置いて、ソファに背を預けた。どうしたものだろうか。

 すると葵はさっとタブレットを自分の方へ引き寄せた。


「辛気臭い! 歌うかぁ!」


 自分たちが子供のころに流行った女児アニメの曲を入れて、さっきよりもノリノリに歌い上げる。歌いながらもタブレットを操作してどんどん曲を予約していく。

 つくづく、女性というのはわからない。

 お腹が空いた、とフードを注文し、ドリンクバーのありとあらゆるジュースを持ってきたりと、彼女はカラオケという施設を十分に知り尽くしているみたいだった。

 ボクは相変わらずウーロン茶をすすって、たまにポテトを口に放り込んでいた。塩が効きすぎているのだろうか、ウーロン茶がよく進む。


 葵が歌い続けるのを眺めながら、ボクはだんだんと自分が置かれている状況に疑問を抱き始めていた。

 目の前で歌い続けるクラスメイトはそこまで話したことすらない。しかも一番つまらない人間だろうと思っていた人種だ。きっと今までのクラスメイトと同じように、何かが決定的に違っている人間を排除してきたような人なのだろうな、と本気で思っている。


 ここまで付き合ってやる義理なんて、ボクには本当はこれっぽちもない。


 ここに連れ込んだ時点でボクに集まっていた視線は消え去ったし、なにより葵は既に泣き止んでいるのだし、さっさと帰ればいいだけの話。それなのにボクはどうしてここに留まり続けているのだろう。

 マイクを離さず、時折涙目になりながらも叫び続ける葵の様子をただ眺めているだけだ。どうして、ボクはここにいるんだろう。


 ただ、本を買いに来ただけのはずなのに。


「小泉くんもこの曲わかるっしょ⁉ ほら、マイク持って!」


 小学校くらいに流行ったジャニーズの曲を歌わされたり、キルハイのマイナー曲を歌わされたり、休憩と称して葵のこれまでの恋愛遍歴を流し聞いたりと、時間が濃く流れていく。

 不思議なもので不快感などはなく、クラスですれ違う時のような苦手という意識はもうなかった。つまらない人間なのだろうな、と思っていた葵に、目のことがバレていないからだろうか。

 ここに来る前の世界は何もなく、ただモノクロだった世界にふんわりと色がついていくような、そんな気分だった。


 どうしてそう思ったのか、そんな感覚に陥っているのかわからないまま部屋の受話器が鳴り響き、高校生が利用できる時間が迫ってきていた。

 そそくさと帰り支度を済ませて、ボクも葵も部屋を出た。しかし葵の財布の中身は、提示された会計を割り勘にしたときの一人分を払えるほどの金額が残されていなかった。

 店員さんにまとめてこれで、と五千円と端数の小銭を払ってカラオケ店を出た。財布の中に残された紙幣はゼロになり、葵は申し訳なさそうに手を合わせた。


「ほんっとにごめん! もっと入ってると思ってたんだけどさぁ」


「いいよ。それより、もう大丈夫?」


「うん、ばっちり! でもこのまま借り作りっぱなしってのもなんかなぁ……。ねえ、小泉くんってLINEしてないの?」


「してるけど」


「携帯貸して!」


 言われた通りに携帯のロックを開けて渡すと、二台の携帯を器用に操作して、そしてボクの携帯を差し出した。


「あたしの追加しといたから、スタンプ来たでしょ?」


 LINEの画面には『aoi』と表示されたアカウントが一番上に表示されていて、スタンプを送信しました、とメッセージが来ていた。タップして開くと、猫の絵文字がお辞儀しているものだった。

 同級生のLINEアカウントが追加されたのは今日が初めてだ。そんなボクの連絡先リストに六人目として仲間入りしたのがクラスメイトで、同い年で、女の子で、俗にいうギャルとは思いもしなかった。

 その他の連絡先はいうまでもなく公式アカウントと母さん、そして所謂ネットの友達のみだった。


「小泉くん友達少ないねぇ」


「余計なお世話、だろ」


「ごめんごめ~ん。今日のお詫びもしたいし、またLINEするよ! じゃ、あたし帰るねぇ。またね!」


 踵をカツカツと鳴らしながら、彼女は駅の中へ吸い込まれていった。ぼう、とその様を眺めて、そして握りしめたままの携帯が震えた。


『今日はありがとー。ところで31日って暇? あたし給料日だから今日のお詫びってことで、ファミレスでもどーよ?笑』


 ついさっき別れた所だというのに、メッセージの速さに驚いた。女子高生が携帯の打つスピードが速いというのは聞き及んでいたが、まさかここまで早いとは。

 しかしお礼と言われても困る。別に彼女を助けた訳じゃなく、ただ単純にボクに視線が集まったから逃げ込んだだけだ。それで礼をされても、不相応というものだろう。

 打っては消し、打っては消しを繰り返しながら、断る勇気もないままやっと返信を作り上げて、少しだけ覚悟を決めてから送信ボタンを押した。


『わかった』

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