第4話
両の手で顔を覆い隠している彼女を改めて見やると、露出がすごい。大きく肩を出したトップスに、デニムのショートパンツ。少し高めのヒールに、何が入っているのかも意味があるのかもよくわからない小さなバッグ。
爪は派手なデコレーションが施された赤くて長い爪が光っている。両手の指にはめられた指輪は合計五つもあって、そのうちの左の薬指にはめられた指輪だけやけに光っているように見えた。
「殴られたり、うぅっ……、浮気、されたりさあ! ゲームの方が、楽しいとかさっ……。なんで? なんでこう、なるのぉ……っ」
呆気にとられたまま、ボクはそうやって泣く彼女を眺めるしかできなかった。恋愛と呼ばれるような感情を持ったことは、思い出せる限りでは一度もない。
本の中でしか知らない感情に、ボクは未だに疑問しかないのだ。こんなに苦しいのなら、嘗めなくてもいい辛酸を嘗めるのなら、そんな感情なんて最初から持たないほうがいいのに。
「こんなの……もう、いらないっ!」
薬指にはめられたシルバーのリングを床に投げつけ、さっきは気付かなかった細見のネックレスを引きちぎった。
眉間にしわを寄せたまま、彼女はふぅと息をついた。ぱっちりとした瞳は涙で濡れていて、それでも綺麗に化粧された顔は崩れてなどいなかった。少なくともボクの目からすれば。
だけど女性というのは本当にすごい。傷つきながらも、自分の見た目に気を配ることをやめないのだ。
小脇に抱えたバッグから小さな鏡とポーチを取り出して、せっせと顔に何かを塗り、そして鏡を閉じた。
「ありがとね、小泉くん。あと、ごめんね。変なとこみせちゃってさぁ」
こういうとき、普通ならどう答えるのだろう。どう話すのが正解なのだろう。数瞬考えて出てきた言葉は、
「……いいよ、別に」
という当たり障りもなく、発してすぐにぶっきらぼうすぎると思われる言葉で落ち着いた。葵はへらりと笑ってぼうっとモニターを眺めていた。
直されたであろう顔は、さっきとあまり変わりないような気がした。でも、さっきの泣きじゃくっていた姿から打って変わっていて、その顔には笑顔が浮かんでいた。
モニターからボクに目線を移し、まっすぐ見つめる彼女の瞳があまりにもまっすぐすぎて、ボクは眼鏡を直すフリをして視線をまた逸らした。
「せっかく来たし、なんか歌お! その前に、なんかジュース取りに行こっかな。小泉くんは何かいる? あたし取ってきたげるよぉ」
「いや、えっと」
ドリンクバー、というやつだろう。母さんがやけにファミレスにハマっていた時にそのシステムを知った。
ここのドリンクバーは受付の真ん前にあったのは通った時に見たが、何があるかまでは覚えていない。
ここで頼まなければ気を使わせてしまうだろうか。頼まないとなればボクも一緒に行った方がいいだろうか。
「何がいいー?」
どう行動すべきかを思案している間に、いつの間に移動したのかドアの前で待機している彼女は、にこにこと笑いながらボクの返答を待っている。急かされると頭は余計に働かない。こういう時は無難なもので勝負だ。
「じゃ、じゃあお茶で……」
「しっぶっ!」
あはは、と笑って彼女は出ていった。ボクにとっての無難なものは、同い年からしたら渋い、らしい。結局ほとんど初めて話す程度だったクラスメイトに、ドリンクを頼むという一種のイベントを乗り越え、ボクは一人取り残された部屋を見渡してみた。
カラオケというのは歌を歌う場所とは知っているが、どうやって曲を入れるかまではわからない。なにせ経験がない。ちなみに人前で歌を歌うのも中学の授業以来だ。あの頃はほぼ声を出せなかったと記憶している。
ほどなくして戻ってきた彼女は、ウーロン茶とメロンソーダを持って扉を蹴り開けた。
「両手で持ってたら開けられないんだったぁ」
差し出されたウーロン茶にはストローが刺さっていた。メロンソーダを口に含んだ彼女は、テレビの横に置かれたタブレットを手に取り、マイクを二本とも取ってテーブルに置いた。
「さっ、せっかく来たし歌うしかないっしょ!」
彼女はどんどん曲を入れていく。どれもがテレビやネットで有名になった曲ばかりだった。
靴を脱ぎ捨て、ソファの上に立って熱唱する彼女は、どの歌詞にも共感しているのか、たまに声が震えていた。
歌は、意外と上手い。感情に任せて叩きつけるように歌い上げているが、それも相まっているのかかなり胸を揺さぶられる。
歌っている所を見るのも失礼か、と終始テロップの流れる画面を凝視していた。
次に入れた曲は、ボクの好きなバンドの一つである『キルトハイランダー』の曲だった。先月に発売されたばかりの新曲だ。失恋した主人公が強くなって相手を見返してやれ、みたいな、そんな歌詞だったはずだ。
「いつかー! 壊れてしまったモノを懐かしんでもー! きっとそれを超えるような出会いが、キミを待っているー!」
ほぼ叫ぶように歌い上げた彼女は、ソファに胡坐をかいて座った。連続で歌って疲弊したのか、息が上がっている。メロンジュースを勢いよく吸い上げると、タブレット端末をこちらに差し出した。
「小泉くんも歌いなよ! まさか、いつも聞いてる音楽がクラシックとかって訳じゃないんでしょ?」
「クラシックではないけど……。ボクはいい」
「いいじゃん! どうせこの部屋にはあたしと小泉くんしかいないんだからさっ! 恥ずかしいのはどっちかっていうと初めて話すレベルの小泉くんの前で泣いたあたしじゃぁんっ」
ぱち、とウインクをよこすと、今のめっちゃキザだなぁ、なんて自分の行動に自分で突っ込みながら携帯をいじっていた。
覚悟を決めるか? いや、しかしそれはかなりハードルが高い気もする。どうしたものか。
「曲入れるのって迷うよねー。小泉くんっていつも何聞いてんの?」
「キルハイとか、バンド系が多いかな」
「え、キルハイ好きなの⁉ あたしもめっちゃ好きでさ、二年前にライブ行ったんだぁ。じゃあさ、『死んだ僕に花束を燃やして』って曲知ってる?」
「まぁ、知ってるけど……」
「それ歌ってよ!」
逃げ場はない。参った。しかしここで断り続けてまた同じ目に遭うのは御免だ。あと一年と少しで平和に卒業するためには、波風立てずに空気の様に漂うこと。
とはいったものの、腹を切るほどの覚悟を要されている。人生の中でここまで追い詰められたことはないだろう。それくらいの覚悟が少なからずボクには必要だった。慣れないタブレットを操作して、曲の画面が出てくる。予約ボタンを押せば、きっと曲が始まるのだろう。
本当に、ボクが、これを歌うのか……?
携帯片手にこちらを笑顔で見つめる彼女は、歌わないの? と遠回しに急かしてきているようだ。
えぇい、なるようになれ、だ。どうせこんなことは最初で最後だろうから。
意を決して予約ボタンを押した。そして歌いだそうと思いマイクに声をぶつけると、葵が歌っていた時のようにスピーカーからボクの声は出てこなかった。
「小泉くん、スイッチ入れてる?」
……出鼻をくじかれた気分だ。スイッチがあるなんて盲点だった。
改めてスイッチを入れてBメロから、メロディに合わせてボクの声が乗っていく。思ったよりも大きく聞こえるものだ。それでも必死に歌うことで多少は紛れる。この何とも言えない気恥ずさも。
一曲が終わるころ、葵はまた泣いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます