第3話 よ う す み
明保野第二中学校、美術室に潜む「よ う す み」
明保野第二中学校は私の母校で、創立40年ほどの学校だ。一度だけ増築されたようで、学校の東側には生徒の教室が集まる普通棟と、音楽室やパソコン室、理科室、美術室などがある西側の特別教室棟に分かれている。分かれているといっても建物は継ぎ目なく繋がっており、20年ほど前に新しく増設されたのは特別教室棟の方だという。学校には怪談が付きものだと一般的には言われているが、残念ながらこの学校にはそういった噂は少ない。ただし、積極的に怪談を蒐集しているとやはり一つ二つ体験談は見つかるものだ。これは私が中学2年生の頃に、当時高校生になっていた卒業生のFさんに聞いた話だ。
Fさんは文芸部に所属しており、3年生の夏の引退前に作品を完成させるため熱心に絵を描いていた6月の出来事。部活の時間が終わりに近づいたが、もう少し書きたかったFさんは先生に絵と画材を持ち帰る許可をもらった。荷物をまとめて、下校時刻にじゅうぶん間に合ったのだが、ふと筆箱を忘れたんじゃないかと思い出す。カバンを確認すると、画材を忘れないようにと思うあまり、やはり筆箱を美術室に置いてきてしまったらしい。校門で下校する生徒の指導をしている顧問の先生に事情を話すと、美術室は空いてるからとってきても良いよ、と許可をもらった。
季節は梅雨に差し掛かり、じめじめした空気が満ちている。夕日の差し込む校舎は薄暗く、自分の影が長く伸びている。昇降口の目の前は職員室だが、今は先生たちは出払っていて事務員の先生一人だけだ。一応職員室に入り美術室に行くことを伝えた。いつもと違う雰囲気の学校に少し怯えながら、職員室の横から階段を上がり三階にある美術室に向かう。
特別教室棟は昼間でもあまり人気(ひとけ)がなく静かな雰囲気なので、少し不気味でFさんは苦手だったのだが、その時は薄暗さがさらにそれを助長していた。自分の足音だけが反響する校舎を歩いて美術室についた。美術室の手前側の扉を引こうとすると、開かなかった。特別たてつけが悪いわけではないがおかしい。あれ、先生開いてるって言ってたのになぁと思いながら開こうと引っ張ったが、やはり鍵がかかっているようだった。廊下を進んだ先にもう一つドアがある。手前は黒板側で、もう一つのドアは背面側だ。先生を呼ぼうかどうしようか少し迷った。先ほどよりも日が落ちてさらに薄暗くなった廊下を数mではあれどこれ以上進むのはなぜか怖かったのだが、一応あちらも確かめるかと思った。
もう一つのドアは開いた。なんだやっぱり開いてたのか、と思って扉を開け美術室を覗く。真っ暗だ。美術室は絵の具の色が日光でとんでしまうので暗幕がかけられている。先生は出るときに暗幕を引くから、廊下はまだほんのり夕陽が差し込むのと打って変わって、重くまとわりつくような闇に満ちている。電気のスイッチは黒板側、つまり前の扉のそばだ。なんでよりによって前の鍵閉めちゃうんだよぉ〜…とFさんは顧問の先生を呪った。歩み入るのを躊躇われる暗闇に、Fさんの立つ背から一筋の夕陽が差し込んでいて、Fさんの筆箱が机の下の棚にあるのが見えた。お気に入りのペンが入った筆箱を回収し家で絵を描き進めたいという欲求が勝ったFさんは、扉を開けたまま素早い動きで行って戻ってくれば大丈夫と自分に言い聞かせ、真っ暗の美術室に飛び込んだ。
手前の作業台を回り込み、一瞬だけ真っ暗闇の中に入った。筆箱のある机目掛けて駆け寄ろうとするときに、夕陽の差し込む扉を振り返った。誰かがそこに立っているという嫌な想像をしてしまい、一瞬ギョッとするも誰も居ないことに安堵する。筆箱を引っ掴んだ。あとは帰るだけ。さっきまで薄暗くて怖くて仕方がなかった廊下なのに、今は希望の光が満ちているように見える。
無事に扉にたどり着き、美術室を出る瞬間だった。耳元で誰かがささやいた。
「よ う す み」
デジタルの音声を早送りにしたような、ちょうど「どうぶつの森」のゲームでキャラクターが発する声のような甲高い声だった。その瞬間全身の毛が逆立つような感覚に襲われ、恐怖が爆発した。ぎゃーと叫んで、美術室の扉を閉めることも忘れて一目散に廊下を走った。人間の声とは思えないその異様な電子音のような音が耳から離れなかった。言葉の意味もわからない。泣きながらパニックになって階段を転げ落ちるようにおり、叫び声を聞きつけた先生数人が階段を上がってきた。その日は事情を聞かれたが答えることができず、後日あったことを話したが、あまり真に受けてもらえず傷ついたので、人に話すのをやめたという。一応、それから放課後の教室に生徒だけで行くことは禁止という校則ができたのはFさんのおかげらしい。
「ずっとね、あの声が耳から離れないの。なんだろう、音声を逆再生したみたいな感じなの。『よ う す み』って何だろうって思ってすっごく気になっちゃう。様子見?かな。暗い部屋に、その”様子見をするだけの何か”が潜んでる想像しちゃって、一人で入るのがすごく怖いの。また耳元でささやかれて、続きを聞かされるんじゃないかって」
私も気になったので、試しにスマホの機能を使って、音声を逆再生できるアプリを使ってみた。自分で「ようすみ」と言う。それを逆再生すると、デジタル独特の甲高い声で言った。
「い ま す よ」と。私はこれをFさんには報告していない。
近條愁羽の怖談ノート AWC (あわしー) @AWC
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