雨の音しか聞こえない

天野来人

第1話

ザーザーと降り注ぐ雨はまだまだ止みそうにない。


「ほんとすごいわね、嵐…。無事に帰れるかしら」


大粒の雨が車に当たる音で聞き取りにくい母さんの声は、心配そうに、しかしそんな非日常を少し楽しんでるように聞こえた。


「ねぇ、悠ちゃん」


バッグミラー越しに母さんと目が合う。


「あら、よかった。起きてたのね」


うん、と笑った。

ああ、僕も楽しんじゃってるのか。


基本的に無口な僕と、三十後半になるはずだけど未だに少女のような面影を残す母さんは、意外と似てるようだ。







何もすることがなく暇で、曇ってる窓に雲を描く。

曇る、と雲を掛けたその絵に、僕はまた、クスリと笑ってしまった。


次第に窓に描かれた雲に沿って水が垂れてくる。

川のように、合流して流れてくるそれは、今の外の天気のように、雨が降ってることを描かれているようにも見えた。


心地よい音で落ちてくる雨粒は僕を安らぎの世界へと誘う。

僕は暫くそれを見ながら雨の音を聞いていた。





「ふふ、何描いてるの?」


はっ、と母さんの声で現実へと引き戻される。

跡になる、と怒られるだろうか。

彼女は優しい声でも怒る時は怒る。


「な、何でもないよ」


僕は今までの経験を思い出し、慌てて窓に手を伸ばし、消そうとする。


しかし窓は思ったよりも冷たく、反射的に手を引っ込めてしまった。

その瞬間。




「っきゃあ!」


女性特有の叫び声とともに前方から大きな衝撃があった。


何かに衝突したような振動が収まるまで、自分でも信じられないくらいの強さで助手席のヘッドレストを掴んでいた。


「悠ちゃん、だ、大丈夫?」


母さんは慌てて何が起こったのか分からない僕の生存を確認した。


急なことで固まり母さんの問いに、反応出来ない。

しかしそんな僕を見て、母さんは安心させるように微笑み、震えが治まらない僕の手を握ってくれる。


「大丈夫よ、待っててね。前から来た車にぶつかっちゃったみたい」


僕がこくり、と頷いたのを見てから、窓の外を確認している。


この事故では、母さんも、僕も奇跡的に無傷だった。


その事に安心し、傘をさしながら外に出て、相手の車へと近寄る母さんを見つめていた。





遠くで雷がなる。

ピカリと光る、暗い雲。

ゴロゴロとなる、大きな音。




もしかしてそれは、これから起こる不吉な2回目の事故を警告していたのかもしれない。






キキーと鋭いブレーキの音がした。

ピカリと光が見える。

母さんは音のする方をみようとして振り返る。

僕もその方向を見ようとした。

しかし目を向けた瞬間母さんはいなくなった。


ゴン、と鈍い音がきこえる。




「っいやあああぁぁ!!」




母さんの悲鳴が響く。


「へ…、え、母さん…?」



嫌だ、嫌だ、見たくない。

いやだ、やめて。



車のドアを開け、傘もささずにふらふらと母さんのところまで行く。


「っあ…、ゆう、ちゃん」



雨の音がきこえる。


車の中で聞いていた音ではない。

心地いい音ではない。


ザーザーと忙しく降り注ぐこれはまるで僕の無力感を嘲笑っているようだった。



「おい!君!何やってるんだ!早くこっちに来なさい!」


遠くからサイレンが聞こえる。


「ゆうちゃん、お母さんはへいきだから、ここは危ないから、___」


「おい!聞こえてるか!おい!___」



いや、聞こえない。何も聞こえない。





僕は雨の音しか聞こえない。

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