第3話 国境への道

「戻りました」

 建物の入り口でミナが言う。そこは立派なお城だった。

 うしろには高い塀。目の前にあるのは、くすんだ白い壁。高い部分に小さな窓がならぶ。防衛能力の高そうな、まさに中世ヨーロッパ風の城だ。

「少々お待ちください」

 兵士が言って、扉の奥に消えていく。大きな扉が閉まった。

「中に入らないのですか?」

「まあ、いいから、待ちましょう」

 すぐに変化は起きた。

 ふたたび扉が開き、入り口から王が現れ、ミナを抱きしめる。

「一人で交渉など、無茶なことを」

「ごめんなさい。パパ。この人が助けてくれたのよ」

「いえ。助けたわけでは」

「魔法みたいなことをして、ハンド魔道砲まどうほうを撃たせなかったんだから」

 鼻息を荒くする娘に、父親は目じりを下げた。

 ミナの顔が広いというよりは、皆が知っていて当然だった。ミナは、この国アジャテラの姫だったのだ。

「ここで叱る約束だったな」

「はい。申し訳ありませんでした」

 王は、ミナの頭をなでた。

 感動のシーンをまるで気にしていない様子のソレ=ガシ。王に屈託なく質問する。

「ここに来れば、世界について聞けるとのことですが」

 そして、逆に質問された。

「エイレンはどうなっておる」

それがしは、異世界からやってきた魔王まおう。それが、この世界のことを聞きたい理由です」

「その服装で、エイレンの者ではないと申すか」

 エイレンという場所には和服がある、という情報を手に入れた。それ以上でも以下でもない。

「ソレは、冗談が得意なのよ」

「はっはっは。わたしも名乗らねばならんな。クニンガスだ」

 異世界の魔王まおうは冗談ではないのだが。どうも誰も信じてくれないらしい。

「クニンガス、情報をお願いします」

「パパ。話してあげて」

「分かった」

 笑いながら、クニンガスが了承した。

「では、お願いします」

「この大陸はクランヴァリネン」

「国はアジャテラですね」

「うむ」

「南にあるのは?」

「同盟国のヴェリと、さらに南には、いまは敵国のシルマだ」

「もっと南には?」

「いまは敵国の、カトソアがある」

 クニンガスの話では、どうやら、この国アジャテラは南のカトソアと敵対しているようだ。

「ほう。滅ぼせば、さらなる情報をくれますか?」

「誰一人として失わなければ、だ」

「なるほど。復興のための駒ですね」

 失礼なことをためらわず言うソレ=ガシ。

「ふっ。そう思いたければそれでも構わんよ」

「ソレは冗談が得意ね」


「もう日も暮れる。明日にしよう」

 ソレ=ガシは眠る必要がない。だが、あえて言わなかった。

 大きな城にふさわしく、客間も広い。シャンデリアも豪華絢爛ごうかけんらんだ。家具も手入れが行き届いている。ただし、ソレ=ガシが興味を示す物はなかった。

「ハンド魔道砲まどうほうでもあればよかったんですが」

 情報がすくない。考察の余地はあまりないものの、時間つぶしにはなったらしい。魔王まおうは、あまり退屈そうではなかった。

 一夜明けて次の日の朝。

 エーッテリには、遠距離の通信手段がない。

 作戦を伝えようがないため、ソレ=ガシはすぐに出発することにした。

 大きな扉が仰々しく開く。

 足元は赤いじゅうたんではなく、石造りのタイル。城の入り口で、三人が会話を始める。

「では、これを持ってゆくがよい」

 王からの書簡をふところにしのばせるソレ=ガシ。

「南の同盟国ヴェリまでは、約133ポマセです」

「知らない単位ですね」

「さすがに、トゥットゥでしょう」

 初めて、ソレ=ガシの顔がほんのすこしだけ歪んだ。

「それも分かりません。まあいいでしょう。では、交渉に行ってきます」

「私も」

「いえ。一人のほうが何かと都合がいいので、待っていてください」

「でも」

 後ろ髪を引かれるような思いを前面に出しているミナを、ソレ=ガシが制する。

「まだ聞きたいこともあるので」

 小さくなっていく後ろ姿を見つめつづける娘。その肩に、父親が手を置いた。

 街をすこし離れたところで、ソレ=ガシがつぶやく。

「やはり、この移動方法がいいでしょう」

 魔王まおうは、飛ばずに走った。

 音速を超えてひたすら南下する。来たときとは別のルートで。山は律義に上を走り抜けていた。トンネルを作らずに。

 遠くで、衝撃波を受けて果物が木から落ちた。

 ソレ=ガシは、兵士を見つけては、普通の速さで歩いて近づいていく。

「攻撃しないでください」

「なぜだ」

「まずはこの書簡を見てください」

 アジャテラの王クニンガスから託された書簡を見ると、みな一様に態度が変わった。

「了解した」

「その服装で、王が気を許した人物とはな」

「続いて、これを見てください」

 ソレ=ガシが陣を広げた。周りの人たち全員が、球状の空間の内部に入った。

「なんだ?」

「ハンド魔道砲まどうほうを撃ってみてください」

「え? 攻撃しちゃダメなんだろ?」

「いいから、お願いします」

 そして、弾は出なかった。

「どんな魔法を使った?」

「これが、攻撃してはいけない理由です。それがしに任せてください」

 兵士たちは狐につままれたような顔をしている。中には、ぎこちなく笑う者もいた。ねぎらいの言葉を受け、ソレ=ガシはふたたび歩みを進める。

 行く先々で兵士に攻撃しないように念を押すソレ=ガシ。誰一人失うわけにはいかない。

 地図を見る。

 アジャテラとカトソアのあいだには、アジャテラの同盟国ヴェリがある。地図上の横線はその先。

 魔王まおうが駆け抜けるのは、広大な草原。

 そのまま町に近づくと、衝撃波で被害が出てしまう。ソレ=ガシは、町のすこし手前で歩きに変えた。

 ソレ=ガシは、南にある同盟国、ヴェリへやってきた。


 水辺で絡みついた細長い草が落とされる。

「さすがに、緊張度が違いますね」

 敵国に近いため、ヴェリは、アジャテラよりも空気がピリピリしていた。

 石造りのタイルが敷き詰められた道と木造建築が、中世ヨーロッパのような雰囲気をかもし出している。

 和服姿で明らかによそ者のソレ=ガシが、兵士に呼び止められる。

「お前、何者だ」

「兵を動かさないようにしてください」

 いぶかしがる兵士に、アジャテラの王から手渡された書簡を見せるソレ=ガシ。

 そして、球状に陣を広げて効果を見せる。

それがしが、戦いを終わらせます」

「こ、これは」

「信じられん」

「ハンド魔道砲まどうほうも使えんとは」

「魔法による防御とは違う」

 騒ぎが大きくなり。石造りの城に案内される魔王まおう

 門を通り、しばらく中を歩く。謁見の間へと通されるソレ=ガシ。玉座には女王が座っていた。

「この者が、国境を通りたいそうです」

「ほう」

 ふたたび書簡を見せた。事情を理解した女王が名を名乗る。

「わらわは、カイスラ。ソレの力を見せてみよ」

 名を名乗らなくても、いつものように誤解されるソレ=ガシ。

「では、いちおう証拠を見せます」

 陣を使い、物理攻撃無効の空間を作り出した魔王まおう。どよめきが起こる。

「これが、陣か」

「そうです。なんでもいいので攻撃を仕掛けてください」

 屈強な体躯たいくの大男が、ソレ=ガシに殴りかかる。そして、攻撃できなかった。当たることさえなかったのだ。

 さらに、ハンド魔道砲まどうほうの引き金が絞られ、やはり撃てない。

 静けさが歓声に変わった。

「クニンガスのケシィかと思ったが、なかなかどうして」

「ケシィとは?」

「犬のような、という意味だ。知らないのか?」

「なるほど。情報提供に感謝します」

 ソレ=ガシは、ほんの少しだけ口角を上げた。メモは取らなかった。

「兵士を同行させなくてよいのか?」

「いりません」

「ならば、せめて見送りだけでも」

「結構です」

 ソレ=ガシは見送りを断り、単身カトソア方面へと向かう。まずはシルマを目指して。

 ヴェリからシルマまで約800キロメートル。この世界エーッテリでは、106ポマセという。


 さらに南へ。

 曲がりくねった深い谷がしばらくつづく。ほかに道は見えない。

「分かりやすい国境がありそうですね」

 ヴェリとシルマの国境へと近づくソレ=ガシ。

 そして、集中砲火をあびなかった。いつものように陣を展開して攻撃を無効化していた。

 魔王まおうは、シルマ側へと走り抜けた。

「おや?」

 誰かの視線を感じて、ソレ=ガシが立ち止まる。

 遥か彼方。

 カトソアの北、敵の同盟国のシルマから、ソレ=ガシは狙われていた。

 そのスナイパーライフルが組み立て式だと分かるのは、すこしあとの話になる。

 長距離狙撃用のスコープを覗いているのは、傭兵の男。体格がいい。カウボーイハットのような帽子のうしろに、小さくケルオと書いてある。

 とはいえ、ここから撃っても当たらない。

 重力の影響を受け、山なりの軌道を描いて飛ぶ弾には、飛距離の限界があるためだ。

 ソレ=ガシがピタリと立ち止まった。

 わかりやすく手を動かし、何かを発射するようなポーズを取る異世界の魔王まおう

 ケルオが身を隠す。

 すぐに男は、この距離でスコープなしで見られているはずがない、と思った様子で立ち上がる。そして、壁に空いた穴を見た。

 ごくりとつばを飲む音が聞こえた。

「悪いことは言わねぇ。とんずらしたほうがいいぜ」

「急にどうした」

 傭兵仲間に警告したあと、赤毛の男はマントをひるがえして去っていく。

 冷や汗をかくケルオは、半笑いで荷物をまとめ始めた。

「ありゃ、化け物だ」

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