05 Love,

 走った。


 16時05分。


 一日。


 かかった。


 いままでの人生で、いちばん、がんばった。


 自分自身のことだけど、こんなに底力がある人間だとは、思っていなかった。


 人は。


 変われる。


「くそっ」


 間に合うかどうか分からない。


 さっきから、ひたすら走っている。傘とチケットだけを、持って。


 空港。


 どの便だ。


「碑奈」


 小さな声で。呟いた。


「碑奈っ」


 応えてくれ。


 どこにいるんだ。


「碑奈っ」


 彼女にしか聞こえない、か細い声で、叫んだ。


 飛行機の離陸音。発着のアナウンス。


 それに、紛れて。


 聴こえる。


「柄位くんっ」


 声が。


「柄位くんっ。どこっ」


「碑奈っ」


 声のするほうへ。


 ひたすら。


 走った。


 売店の前。


 彼女。


 見つけた。


 やっと。


 ここまできた。


 彼女が、駆け寄ってくる。


「大丈夫。あせが」


「ごめん」


 息を整えるのに、しばらく、かかった。


「ごめん。ほんとに。つかれた」


「走って、きたの?」


「渋滞は予測できなくて。仕方なかった」


「あなたも、トラブルに、巻き込まれたり、するのね」


「おれは、普通の人間だから」


 彼女のほうを見て。


「また、会えた。うれしい。ごめんなさい。昨日、あんな別れかたをして。ああしないと、わたし」


「おれは」


 昨日と同じ。


 彼女。自分の言葉を待っている。


「おれは」


 でも。


 今日は。


 応えがある。


「おれは。好きだ。だめだった。あきらめられない」


 彼女。びっくりした顔。


「おれは、普通の人間で。碑奈みたいな才能は。なにひとつない。なにひとつないけど。けど」


 走ってきたとき以上に、走る心拍数。


「それでも。なにもないおれでも。きみと一緒にいたい。だから」


 最後の言葉をいう前に、彼女が視界から、消えた。


 そして、衝撃。


「うわっ」


 体幹に、ふたりぶんの重さ。なんとか、支える。


「あ、べたべたしてる」


「ごめん。あせが」


「いい匂い」


「えっ」


「好き。離れたくない。行きたくない。あなたといたい。唄えなくても。喋れなくても。あなたと」


 彼女。叫んでいた。


 彼女の大きな声を、はじめて、聞いた。


 きれいな、声。


「碑奈」


「わたしはっ。わたしはっ。あなたといたい」


「わかった。わかったから。声が。声がおおきいから」


 周り。大丈夫か。


「ご、ごめんなさい」


 彼女が、離れる。


 その瞬間に、手に、傘と、もうひとつ。チケットを手渡した。


「傘。ありがとう」


「これは」


「俺のがんばった、印。人生ではじめて、がんばったんだ。俺」


 彼女が、傘と、チケットを見る。


 そして、泣き崩れる。


 倒れそうになる瞬間に、かろうじて抱きとめた。ふたたび、ふたりぶんの体幹固定。


「あなたと同じ行き先。特殊インターン。ほんとに、がんばった。一日で書類ねじ込んで、交渉して。はじめてあなた以外に、画も見せた。なんとか、なった」


 彼女。泣きじゃくる声。


「碑奈は。何時の、便?」


 これが、いちばん読みづらかった。


「おなじ」


 やった。


「おなじ、飛行機」


「よっし。ぎりぎりの予想だけど、なんとかなった」


 放課後と、おなじ時間。いつも、ふたりで教室に残っていた、16時55分。


「行こう。一緒に。ふたり一緒に」


「うん」


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16時55分、雲りのち雨 春嵐 @aiot3110

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