血吸い姫と仙境者-Blood-sucking night-

 踊りを終え、優雅に奏でられる旋律を背に、紅音あかねとシノブは肩を並べて歩いていく。

 疲労を感じさせる足取りの紅音あかねに合わせ、いつも以上に歩幅を短くするシノブは、まだまだ余裕を見せている。


「シノブさま大丈夫かえ? 紅音あかねちゃん、結構足踏んじゃった気がするのじゃが」

「ん、これくらい平気だよ。紅音あかねこそ大丈夫?」

「んー、紅音あかねちゃんはだいじょうぶなのじゃよー」


 口では大丈夫と言いつつも、隠し切れないほど疲れの色が見える紅音あかねの口調は、いつにも増して間延びしたものになっていた。

 ふらふらと進む彼女の手を取りつつ、周りに休める場所が無いかを見渡すシノブは、会場内では目ぼしい場所は見つけられず扉へと目を向ける。


「――外に出ようか。ほら、こっち」

「んーなんじゃなんじゃ」


 祝宴の席では休み切れないと思い、外の空気でも吸えば少しはマシになると踏んで、紅音あかねの手を引っ張るシノブは人波をかき分けていく。

 大してアルコールを摂っていないのにも関わらず、千鳥足ちどりあしな彼女を連れて外へ出たシノブが見たのは、雄大ゆうだいな満月。

 青みを帯びた静かで優しい月光は二人をへだてなく歓迎し、優しく見下ろす月へシノブは思わず目を奪われる。


 ――あれと代わるって紅音あかねは言ってるんだよな。


 けっして口には出さず、心の奥底で隣の少女へ思いを馳せていると、彼が来ている燕尾服えんびふくの袖がクイクイと引っ張られる。


「どうしたのじゃ、シノブさま」

「ん、いや。何でもない」


 見上げてくる赤と青の双眸そうぼうに、シノブは笑い返すだけ。

 ジッと交わされる視線はすぐさま途切れることは無く、心臓の鼓動が聞こえるほど静寂せいじゃくな時間が過ぎていく。


 ドクン、ドクンと。

 永遠えいえんと思えるほど長い刹那せつなに、紅音あかねの鼓動は強くなっていく。

 息を呑み、呼吸を忘れてしまうほど強く、熱い何かが湧き上がってくる。


紅音あかね?」

「あー……なんじゃ、その。あれじゃ、あれ」


 自分の意思では逸らせない紅音あかねの顔は赤く染まり、結われた白髪を揺らす夜風ですら、彼女に起こった熱は冷ませない。


 頭はうまく動かず、口も浮かび上がる単語を吐き出すことが叶わない。

 自分自身ですら緊張と熱を感じ、戸惑いに冷静さを無くす紅音あかねは、ようやくうつむけたことにより続きを口にする。


「血を、吸いたくなってしまったのじゃ……」

「――……あー、なるほど」


 ちょっとそこで休むのじゃと、胸に手を当てて深呼吸をする紅音あかねは、ドレスなのを気にせずに壁際へ腰砕けに座り込む。

 その様子を見るシノブは合点がいったのか一人頷き、この先を思案しながら辺りをうかがう。


 城内からは人が来る気配は無く、外も同様にこちらへ向かう人影も認められない。


 未だ深呼吸を続けている紅音あかねを置いてほくそ笑むシノブは、白い蝶ネクタイホワイトタイを軽く緩めながら彼女に近づいていく。


「じゃあ紅音あかね。ここで吸う?」

「ちょっ、まっ、待つのじゃシノブさま!」


 紅音あかねの真正面に腰を下ろし、左手を壁に当てて自重を支えるシノブは、それでも視線が平行にならない彼女に、そっと問いかける。

 立ち上がる事すら出来ない紅音あかねは、治まるよう努めていた呼吸すら忘れ、見上げた先にいる彼の黒い瞳に心を奪われていた。


 再び蘇る心臓の鼓動と熱い情動。

 渇いていく喉につられ、紅音あかねの視線は瞳から頬を伝って、覗く首筋へと流れていく。


 ――ゴクン。

 渇きを癒せと鳴らされる喉をシノブは了承と受け取り、空いた右手で衣装の首元を晒す。


「シノブさま、紅音あかねちゃんは――」

「いらない? じゃあここで止める?」

「……っ。いやっ、それはじゃな」


 シノブの晒した首筋から視線が外れない紅音あかねは、湧き上がってくる情動に抵抗をするも、彼の一言に呪いめいた否定が体を走り抜けていく。


「気乗りしないなら仕方ない。何より、ここに来たのは休むため・・・・だし」

「まっ、待つのじゃ。シノブさま。お願いじゃから」


 ふぅとため息をつき、立ち上がろうとしたシノブの裾を、紅音あかねは弱々しくつまむ。

 立ちあぐねた彼はうるみ始めた瞳で見上げる紅音あかねの手を、払うどころか両手で優しく掴み取り、彼女の目の前で祈る形でしゃがみ込む。


 シノブはそれ以上何もせず、ただ見つめ合って無言を通す。

 紅音あかねもキョトンとした表情を浮かべるも、次第に顔へ熱を取り戻し震えるくちびるを必死に動かそうとする。


「……たいのじゃ。じゃから、その。もっと近くに。近くによって……くれんかの」

「よく聞こえなかったから、もう一回言ってくれるかな」

「……もうよかろうて。分かっておるくせに、シノブさまはズルいのじゃ」


 静寂を破ったのは紅音あかねの小さな声。

 彼女の声が聞こえなかったと言うシノブに、紅音あかねはそっぽを向いて頬を膨らませる。

 それを見たシノブは頬を緩め、彼女の手を離す代わりに頭へそっと撫でる。


「ごめん。――ほら、いいよ」

「……はぁむ」


 むくれる紅音あかねに、シノブはおおいかぶさる形で首筋を差し出す。

 紅音あかねも首の後ろへと両腕を回し、互いに抱き合う形となった状態で、彼女はシノブの首筋へ口を付ける。


 最初は牙を立てず、甘噛みにもならない力で口に含む彼女は、恨めしそうにシノブへ視線を送る。


「いひゃひゃきまぁふ、なのひゃ」

「くすぐったいから、そのまま喋らないでよ。紅音あかね

「……ひらひゃいのひゃ」


 ハムハムと口を動かす紅音あかねは、次第に舌も使い始め吸いたいと思う場所を舐めていく。

 大胆にはやらず、ペロペロと慎ましくしている紅音あかねの後頭部を、シノブは愛おしそうに撫でていく。


 時折当たる歯の感触に微笑ましさを感じる彼は、紅音あかねの吐息が離れた事で次に来る痛みを想起そうきする。


「――……っ!」


 ゆっくりと差し込まれる牙は、押し込まれる感触に続き、鈍い痛みを与えていく。

 かかる吐息に流れ始める血を逃さないと動く舌、紅音あかねの鼓動を間近で感じるシノブは、奥歯を噛み締める。


 それは痛みによるものか、それとも――


「……ぅん」


 コクリと口の中に広がる鉄の味を捕らえ、舌で転がし、喉を鳴らす紅音あかねの表情は甘い物を前にした女性同様にとろけていた。

 少しずつ少しずつ、付けた傷口から流れ出す血の味を感じるたびに、さっきまでの感情は高揚感こうようかんへと変わっていく。


 もっと、もっと欲しい。

 心身ともに欲求を満たそうとねだり、無我夢中で牙を突き立てる。


「いっ……! 紅音あかね、落ち着いて」


 シノブの静止は耳に入らず、紅音あかねは彼の体にすがりついたまま更なる血を求める。


 今彼女が飲んでいるのは、血液という名の至上のカクテル。

 匂いに味に酔い、飲んでもなお満たされるどころか渇き続ける、最上さいじょうのキッス・イン・ザ・ダーク。


 密着し帯びる熱に身を任せ、情動のおもむくままにすすっていく。


「…………ぷはぁ」

「結構吸ったね、紅音あかね。今度は私の方がふらふらするんだけど」


 いったいどれほどの時間が経ったのか。

 ようやくシノブを開放した紅音あかねは満足げに口を離すと、全身に溢れる快感の余韻に浸ったまま、最後に一口とばかりに傷跡に残った血を舐め落とす。


 今度は別の意味で顔を赤らめている紅音あかねは、シノブの苦言が聞こえていないのか、無造作に壁へ寄りかかると、すぅすぅと静かに寝息を立て始める。


「あー……、これはまいったなぁ」

「しのぶ、さまぁ……」


 立ち眩みでバランスを崩すも、何とか立ち上がれたシノブは、貪欲どんよくに自分の血を求めていた彼女の寝顔に頭を抱える。

 夜風が吹き抜けると体を縮こませる紅音あかねは、猫のように丸くなり震えるも起きる気配はない。


 どうしたものかと一考するシノブは月を見上げると、ひっそりと笑って少女を抱きかかえた。

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月代紅音二次創作集 薪原カナユキ @makihara

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