ならのきしたにて
純木蓮
第1話 無線
「ピーピーピー ピーピーピー ピーピーピー」
無線が車内にけたたましく鳴り響く。
ちょうどタクシー運転手として一年を過ぎようとしていた初冬の頃でした。
長年、仙台を離れていた私は土地勘がないにもかかわらず、転職先として、あえてタクシー会社を選びました。
これから来るであろう不確実な世の中、年齢を重ねた先でも、ひとに頼らず自力で稼いでいける手段になるのではないか、また学生時代までの記憶で止まっている仙台を縦横無尽に走ることで、地域の人々と触れ合い仙台文化を知ることは、いい経験になる財産になると思ったからです。
JR仙山線の仙台駅から一つ目の駅、東照宮駅近くにある「居酒屋まつなみ」から無線が入るのはこれが初めてではありませんでした。
仙台駅から北に位置する東照宮までに向かうこの道路は、宮町通りといわれ片側一車線の直線道路で、これから国分町に行く人、これから帰路につく人、またここで、もう一軒はしごする人が捕まえられる場末スナックエリアにもなっており、タクシーも頻繁に通る街道となっています。
「居酒屋まつなみ」があるこの地域は青葉区小松島が正式な住所なのですが、昔からこの界隈に住む人は、この辺りを「ならのきした」と呼んでいるようです。
「楢の木下」と書くようです。ここから不思議な体験がおきます。
「こんばんわー、タクシー来ましたー」
店の玄関前にタクシーを横づけし二枚ある引き戸を、ひとつひとつと開いていき店内に声を掛けました。日本酒と煮物が入りまじった匂いとともに、なま暖かい空気がフワーっとながれてきます。
「はーい、いま行きまーす。」
店のおかみさんと思しき女性が返事をしています。
車に戻りお客さんが店から出てくるのを待っていました。
(あぁー、どっち方面いくお客さんかな。分からなかったら聞くしかないけど。まあ聞くのも仕事のうちだ。しょうがないな。)
まだそれほど道に詳しくない私はお客さんを待っている間、助手席に載せてある見開いた状態の地図をながめつつ、いつもそのようなことを考えていました。
「お迎えいつも、ありがとねー」
と言いながら、店の主とおかみさんの二人が、お客の見送りのために先に店から出てきました。つづいて出てきたのは、見たところ60代前半の、仕事帰りに寄ったと思われる白っほい作業服を着た男性客でした。ひとりで出てきました。
「ありがとうございましたー。それじゃー運転手さん、おねがいしまーす」
と主とおかみさんがドアー越しに声を掛けています。
「いらっしゃいませー。どちらまでいらっしゃいますか。」
男性客が乗り込んだのを確認して声を掛けました。
「はいどーも。それじゃ清水沼までよろしく。」
と返事がありました。
「はい、清水沼ですね。わかりました。」
周囲の安全確認をし車を発進させます。ルームミラーには店の主とおかみさんが、こちらを見送りつつ、緑の暖簾をくぐっていくのが見えます。
「こちらから清水沼ですと踏み切りを越えて小田原を抜けていくルートでよろしいですか」
と経路の確認を行いました。
「うん、それでいいよ。あとは運転手さんにまかせるよ。」
と返事がありました。
(ここから清水沼かー、わかりづらいとこだなー。酒も入っているし、あんまりこまごま聞けないなー。)
などと内心思いつつ
「はい、わかりました。それじゃ、とりあえず清水沼方向へまいりますので、あと、近くまで来たら教えていただけますか」
と返事をしました。
「ならのきした」から清水沼までのルートは、距離はたいしたことはないのですが途中で越えなければならない東北本線の踏切が何か所かあること、またこの辺りの道はすべて狭い一歩通行になっており、極めて難解な地域のひとつとなっているのです。当然、タクシー専用の詳細なナビは装備されていますのでそれを頼りにしながらの運転にはなりますが。
「いやー今日は飲んだなー。久しぶりに飲んだ。今日の酒はよかった。いい話が聞けた。ほんとに、たのしかったナ~。ふうー。」
上機嫌な男性客は、今夜の酒の余韻に浸りつつ車に揺られているようでした。
深夜のお客さん相手の営業は酔客が大半を占めます。相手の機嫌を損ねないように「そおーっ」と対応して、さっさと目的地に到着し料金を頂いたら、すみやかに降りてもらうこと。これが鉄則です。
うす暗い街灯がポツポツと灯っている、狭い一方通行を走行中です。しばらくすると、車内は静かになりました。寝てしまったのかと目だけをチラッと座席に向けると男性客はひじを膝に当てる格好で前かがみの状態をとったり、再び背もたれに戻ったり、なにか前方を気にしているようでした。
そうこうしているうちに清水沼近くまで来たので
「ここからまっすぐで大丈夫ですか。」
「ここから右へ入ってよろしいですか。」
などと間違い防止のため、こちらから声掛けをして道順を聞いていきます。
「えーと、そこのブロック塀のとこ左へ、ここ狭いので気をつけて曲がってね」
「はい、ここ左へ曲がりまーす。はい、つぎ右へ曲がりまーす。」
このような会話が何度か続いたあと
「その先の灯りがついてる電柱のとこでいいよ。はい、この辺でOK。」
ハザードを付け、指定されたまえで停車しました。
「ありがとうございまーす。1680円です。現金でよろしいでしょうか」
と声を掛けます。
「はい、ありがとうー。じゃあ2000円からでおねがいねー」
とお金をお預かりし、領収書とともにお釣りを渡し、無事終了。
ここでホッとする瞬間です。
と、そのときです。
「運転手さん、ちょっといいかな?」男性客
一瞬、気に障るようなことでも言ったかしたか、遠回りでもしたかと思い、でも、お勘定は済んでるし、変だなーと思いながら
「はい、どうかしましたか。どうしました?」
「あの~。ちょっと言いにくいんだけど。いいかなー。運転手さん、ちょっとだけ時間いいかな?・・・聞いても大丈夫?」男性客
「はい、いいですよ。どうかしたんですか?」
声のトーンからするとクレームではない雰囲気でした。
意を決したように
「運転手さん!となりの席にひとがいるんだけど。確認できる?」男性客
自分がここで降りる前に「このこと」を伝えておかなければならない、という決心と覚悟のようなものがその神妙な口ぶりから漂っていました。
「えっ、ひとですか?先に誰か乗っていたんですか?」
そこにいるはずがないのは分かっていましたが、一応、男性客の座っている隣へグルっと首をまわして目を向けました。当然、隣には誰も座ってはいません。
ご存じだと思いますが、運転席と真後ろの座席は、あいだに透明の防護プレートで仕切られています。そのため運転席から見て、真後ろに座っている乗客は見えにくいのは確かです。繰り返し数人がまとめて乗車したときや深夜などは、そこに乗客がいること自体、気づかない時もあります。しかし、
「運転手さん、後ろじゃないよ。うしろは俺一人だよ。」男性客
「そうですよね。お客さんが乗るまえには誰もいませんでしたよね。」
この時までは、(このおやっさん、結構、酔っぱらってたんだな。隣にいるってどういうこと?)と思っていました。が・・・!
「あ、ごめん、ごめん。俺の隣じゃなくて、運転手さんの隣にひとがいるんだよ。わかるかな?」男性客
「えぇッ!・・・そんな、ちょっと待ってくださいよ。私の隣のことをいってたんですか?・・・いや、助手席には誰も乗っていませんよ。最初から誰もいませんけど。ひょっとして乗ってきた時に光りにでもあたって、車の中に人がいるように見えただけなんじゃないんですか?」
男性客が店から乗り込む際、店の明かりやヘッドライトの反射で、助手席のまどに誰か乗っているように映りこんで見えたのでないかと思い、そう問いただしました。
「いや、ごめん、ちがう、ちがう。そうじゃなくて、いま、いるんだよ。運転手さんの隣にひとが座ってるんだよ。うしろから髪の毛が見えるし、肩も見える・・・運転している最中に声を掛けるのはまずいと思ってね・・・。運転手さん、気付いてないみたいだったんで、あぶないと思って言わなかったんだよ。」男性客
この時、私は助手席にからだを向けつつ、上半身ごとグイッと後ろにふりかえり、この男性客の目をまじまじと見つめながら質問しました。
「本当ですか? 本当に、ここにいるんですか。いつからですか?」
「うん。さっきね、座席についたときから、俺の前にひとがいるのは分かってたんだ。なんか、運転手さんと一緒に仕事に来ている感じにはみえたけど、ずっと黙ってなんにもしゃべんないんで、なんかこっちから話しかけにくくてねー。店にタクシーの予約を取ってもらったんで、まあ二人で来る事もあるのかな~ぐらいに思ってたんだ。」男性客
これを聞いてはじめてゾ~っと総毛出しました。
「いまもわたしの隣にいるんですか?・・・ここに座っているんですか?・・・ お客さん・・・霊感あるんですか?」
「ないない。霊感なんかないよ。おれ、建築屋で所長やってんだけど、こんなこと、うちの職員にも言ったことはない。若い頃は、そりゃーやんちゃなこともやったけれども、そんな、ひとをおどかして喜ぶような人間じゃないよおれは。」男性客
「そうですか。いまここに見えるんですよね。それは男か女か分かるんですか?」
「女のひとだよ。」男性客
「顔とかは見えるんですか?」
じーっつと目を凝らしながら
「まえを向いてるから顔はみえないんだよ・・・髪は肩ぐらいまであるね。」男性客
「ちなみに・・・何歳ぐらいなんですか?」
まえを見つめたまま、しばらくして
「・・・40ぐらいだな。」男性客
「で、いまはどういう状態でいるんですか?」
「ここに止まってからは、ずっとまえを向いてこの会話をきいてるね。ただ、走ってるあいだは運転手さんの方をじぃーと見てたよ・・・運転手さん、とにかく今夜は気をつけて帰った方がいいよ。」男性客
直感的に、これ以上のことを聞いたら何か起こると思い、話を打ち切り、そうそうとドアーを開けて男性客を降ろしました。
ぼんやりと光る電柱の下で、車内を凝視するようにこちらを見送り続ける男性客をルームミラーで確認しつつ、その場をを走り去りました。
ならのきしたにて 純木蓮 @junmokuren
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