第5話:忘れ物(恋愛)


 給食の下に広げるあれ──ランチョンマットを学校に忘れてしまった僕は、母のゲンコツを避けるため、帰り道を逆向きに走っていた。


「クソ。安野のせいで……」


 僕は、暮れの空に呟いた。


 安野やすの亜美あみ。11歳。他人の脛すねを蹴飛ばすために生まれてきた足長の悪魔にして、席替えのくじ引きで常に僕の隣を引き当てるエスパーだ。


 給食の時間。僕と安野は席を向かい合わせるたびに、足の蹴り合いになる。僕と安野は、──先に蹴ったのはお前だ(あんただ)! と言い争い、仕返しの蹴りを放つ。先に蹴ってくるのは、いつも安野の方だ。と思う。


 今日の戦争は、帰りの会まで続いた。今までで、一番長くて激しい戦いだった。僕の注意は、ずっと、安野の凶暴な足に釘付けだった。


 安野の足は黒い長靴下で守られていて、バレエで鍛えられた素早さと柔軟さは、油断できない攻撃を繰り出してくる。ボッと別の方を向いている時に仕掛けても、もの凄い速さで強烈な反撃をぶつけてくる。きっと、どぅたいしりょくってやつも凄いんだろう。僕も、鍛えないとけないかもしれない。


 ……とか、色んなことに気を取られていた結果、僕は机の右横にぶら下げていたランチョンマット入りの巾着袋を忘れてしまったのだ。



 幸運にも家のインターホンを押す前に気が付いた僕は、急いで学校にUターンし、人気も少ない半開きの校門をくぐった。静かな廊下に、僕のランドセルの中で物が跳ねる音が良く響く。がっさごっそ、がっさごっそ。僕は階段を二段飛ばしで駆け上がり、教室がある3階へと向かう。


「──お? こんな時間に奇遇だな」

「浅野か。お前こそどうしたんだ?」


 踊り場で、男友達の浅野に出くわした。


「安野に呼び出されてさ。告られた」

「へっ?」


 僕の間抜けな声が、階段に響いた。


「で、フッた。あいつ生意気だから」


 明日、みんなに言いふらしてやろうぜ。

 駆けていく俺の背中に、浅野は言った。





 カラスが嗤い、西陽が慰める茜色の教室は、無人だった。

 差し込む夕日の中で、ホコリがちりちり光る教室には、整列した30個くらいの机と、椅子と、そこから伸びる影の他に、倒された僕の机と、僕の椅子と、安野の上履きが片方、転がっていた。


 僕は廊下の足音に振り返る。


「安野、」

「ぅるさい……」


 入り口に立つ安野のまぶたは、夕焼け空よりも赤く腫れていた。


 あんなに蹴っても泣かないヤツが、しくしくと啜り泣いていた。


 町の方から窓越しに、5時を知らせるチャイムが聞こえてくる。




















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自主企画3本掛け持ち全集 七海けい @kk-rabi

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