第4話:太陽に嫉妬して(異世界ファンタジー&百合)



*マツバユリ(Amana edulis)

……別名アマナ。ユリ科の多年草。日当たりの良い草地に自生する。二〇センチの茎の先に淡い赤紫色の花を1コ開く。鱗茎は甘く、食用となる。


*ワカバグモ(Qxytate striatipes)

……クモ目カニグモ科に属する蜘蛛。体色が透き通るような若葉色をしていることから、この名前が付いた。体長は12~13ミリメートルで、主に植物の葉の上を徘徊する。網を張らず、小さな虫を待ち伏せて捕える。



***



 ここは、ユリの国──フルーダリス王国の辺境。

 ユリを食い荒らす害虫たちから、少女たちの植生コロニーを守るための防衛線だ。


「眩しい……」


 本日は晴天なり。思わずそう呟きたくなるような青空の下。

 緑髪の少女が1人、目を細めながら、大草原を歩いていた。


 彼女は、甲虫の外骨格ケラチンを加工した胸甲きょうこう手甲てっこうで身を固め、蟷螂カマキリ手斧ておのを加工した双剣を腰に差していた。


「……あの」


 緑髪りょくはつの少女は、丘の南斜面で寝っ転がっている1人の女性に声を掛けた。


「……ん。…………君は?」


 白髪の女性は、上体だけを起こして首を傾げた。彼女の長髪が、早春そうしゅんぬくい風になびく。彼女は紫色の鎧の上に、藤色ふじいろ外套がいとうを羽織っている。

 琥珀こはくの如き薄黄色うすきいろの瞳は、未だ微睡まどろみの中にいる。


「ワカバと言います。ワカバグモ族の、ワカバです」

「わかば、わかば……。ぁあ、頼んでおいた傭兵益虫さんだね。私は、マツバユリ族のアマナだよ。よろしく」


「よろしくお願いします。……害虫は、どこですか?」

「まぁまぁ、そう焦らずに」


 アマナは、また草原に寝っ転がった。

 ふぃーっと、全身から力と雑念を抜くように、彼女は息をはく。


「ぁの……」

「敵さんはこっちの都合で動いてくれるわけじゃないからね……。日向ひなたぼっこでもして、のんびり待ってるのが正解なんだよ~」


 アマナは、傍らの地面をペンペンと叩いた。


「? ……」

にぶいなぁ。……ほら。お隣どうぞ?」


 アマナは、無邪気な目口めくちで微笑んだ。

 ワカバは、無表情の裏で溜息を付く。


「……遠慮しておきます。敵が来たとき、機敏な対応ができなくなりますから」

「ワカバちゃんはカタブツなんだね……。そういうコ、好きだよ」


 無表情なワカバを余所に、アマナは微笑んだ。


「……偵察に行ってきます」

「行ってら~」


 ワカバは、小丘を越えて巡回に出た。

 背の高い茂みが、微風に揺れている。


「……っ」


 ワカバは足を止めた。

 そして、双剣を抜く。右手は順手じゅんてに、左手は逆手さかてに構える。


「来る……」

 ……コソコソコソ


 茂みの中から、1匹のユリクビナガハムシの幼虫──というか幼女が飛び出してきた。黒のエプロンドレスに、若草色のリュックサックという出で立ちの彼女は、外見こそ愛らしいが、その「食欲」は旺盛だ。あっという間に、百合を「食って」しまうのだ。蝋でできた鎧で身を守り、強靱な手足と「口」で襲い掛かってくる。

成虫──というか年頃の娘になると、オレンジや赤、ベージュといったイケイケな格好をするようになり、ヒヨヒヨと触角を左右に動かすようになる。


 両者は睨み合いの末、互いに一歩も引く気がないことを理解した。


 ……ッ!

「……いざ!」


 ワカバと敵は、ほぼ同時に踏み出した。ワカバは敵の突進を左の刃で軽くいなすと、上段から右手の一太刀を振り下ろした。痛烈な一撃が、敵のひたいを打ちえる。


 ……ムキュウッ!

「ふぅ──」


 ワカバは、──まだやりますか? という風に敵をにらみ付けた。


 ムムム……


 敵は頭をさすりながら、茂みの中に退散した。



「──見事なお手前だね」



 ワカバが小丘を見上げると、そこにはアマナが立っていた。そよぐ銀髪を抑える華奢な右腕。膝頭ひざがしらすねを紫色の防具に守られた、伸びやかな美脚。藤色の外套からのぞく、すらりとした腰上。


 ワカバは、不思議な胸の高鳴りを覚える。


「……」

「……どうしたの?」


 ボッと立つワカバを見て、アマナは肩をすくめた。


 ──あの程度の戦闘で、息が上がるわけがない。と、ワカバは思い直す。


「……ぃぇ。あの程度の敵。者の数ではありません」

「ワカバちゃんは照れ屋さんなんだね。百合ひとが誉めてるときくらい、少しは可愛いところ見せてよ」


「可愛いところ。……ですか?」

「そうだよ。──天を流れる青い空。風に泳ぐ白い雲。そして、どこまでも広がる大草原。最後に必要なものは、美少女の笑顔だよ!」


 アマナは両手を広げ、高らかに言った。


「……美少女ごっこなら、一人でどうぞ」


 ワカバは溜息混じりに、双剣を収めた。

 ──ドライに答えて、放っておいてもらおう。そう、ワカバは考えた。


「んっ。てことは、ワカバちゃんの目には、私は美少女に見えるってことだね?」

「……」


 ──つくづく面倒っちい人だ……。と、ワカバは心の中で肩を落とす。


「ぃやー、素直に嬉しいなー! 私を美少女扱いしてくれる女の子なんてそうそういないから……」


 ──……ガゥー!

 ──……コソコソ、

 ──……コソコソ、


 アマナの声を遮るように、ワカバの真後ろ──背の高い茂みの中から、計3匹のユリクビナガハムシが突っ込んできた。

 仲間の仕返しに来たのか、黒服ランドセルの敵は、一様に殺気立っていた。


「しまっ……」


 ワカバは反応が遅れた。

 彼女が双剣に手を掛けた頃には、敵の指が背中に触れていた。


 ワカバは覚悟を決めた。

 その時。


 ワカバの両脇を、衝撃波のような光の筋が過ぎ去っていった。


 否。それは、殺虫成分を含んだ水鉄砲の弾道だった。ワカバの目が、刺激で少しだけうるむ。


 ……ウシュ!

 ……ヒャウッ


 ……グヌヌ


 2匹は飛び跳ねながら、茂みの奥へと逃げていった。残された1匹は、体を低く構えて威嚇する。


「これは、……」


 ワカバは、アマナを見上げた。


「──いたずらはダメだぞー!」


 アマナの頭上には、二つの同じ形をした魔法陣が展開していた。それは、一部の百合の戦士たちが使う攻撃魔法──フェニトロチオン・バレットだった。ユリクビナガハムシは勿論、胴長のアザミウマや、重武装のカメムシといった大抵の害虫、そして、ワカバのような益虫にも効力を持つ、強力危険な技である。


 ……ンッ


 ユリクビナガハムシは、首に提げた笛を吹いた。

 ──ピーっ! という高音が、草原に鳴り響く。


「仲間は呼ばせないよ。……──」


 アマナは不敵に微笑むと、敵の足下に魔法陣を穿いた。


 ……ッ!


 噴水の如く吹き上げた殺虫光線は、敵の軽い体をいとも容易たやすく吹き飛ばした。

敵は、茂みの遙か向こう側に消えていった。


 草原には、いつもの平和が戻ってきた。


「よーし、ミッション・コンプリート!」

「……」


 アマナは、丘の斜面を滑り降りてきた。


「どうどう、私って結構強いでしょう?」

「……ム」


 ワカバは、そっぽ向いた。


「ぁれ。ひょっとして……、少し不機嫌?」

「ぃぇ。……」


 アマナは身を屈め、拗ねるワカバの顔を下から覗き込んだ。


「ワカバちゃん……?」

「……そんなに強いのなら、どうして私を呼んだんですか?」


 露骨に口を尖らせたワカバを見て、アマナは目を輝かせた。


「その顔、すっごく可愛いよ」

「真面目に答えてください!」


「ムキになったワカバちゃんも可愛い!」

「……」


 ワカバは、羞恥と不平から頬を染めた。


「いや、ね? 攻撃を待ったのもね、ワカバちゃんが焦ったり怖がったりする顔が見たいなーって思ったからでね……」

「…………っ!」


 ワカバは、アマナの背に蹴り入れた。


「痛っ! ぁはは、ごめんごめん……」


 アマナは背中をさすると、パタリと斜面に寝転んで、青空を仰いだ。


「ぇーっとね。……真面目に答える前に、ワカバちゃんに1つ、見て欲しいものがあるんだ」

「……?」


 アマナは、傍らの地面をパンパンと叩いた。

 ワカバは、渋々、彼女の隣に腰を下ろした。


「ワカバちゃんはさ。お日様って女の子だと思う? 男の子だと思う?」

「……? ……今まで、深く考えたこともありませんでしたけど。……」


「私はね、とーっても綺麗な女の子だと思ってるんだ」


 アマナは、どこまでも澄み切った目で語る。


「暖かいし。良い匂いもするし。まぶしいし。たまーに雲に隠れちゃうところとか、気まぐれ屋さんって感じで、ポイント高いんだよねぇ」

「そうですか……?」


 ワカバはアマナに倣って、天上の太陽を仰いでみた。

 さんさんと輝く太陽が、ワカバの体を温めてくれる。


「……」


 陽の匂いに乗って、甘い香りも漂ってきた。


「良い匂いでしょ?」

「……」


 心の奥底をくすぐるような、しっとりとした芳醇な香りは、多分、アマナの香りだった。香り一つで、この百合への印象が変わるものか。ワカバは、何だか悔しい気持ちになる。

 でも。それ以上に、かれる気持ちもある。


「……でもさ。お日様って、ズルいんだよね」


 アマナは、声音を曇らせた。


「……どういう意味ですか?」


 ワカバは、アマナの方に首を傾げた。


「お日様ってさ、優しいから。……みんなを照らしちゃうんだよ。私がこうやって寝っ転がってる間にも、私の知らないどこかで、他の誰かを勝手に照らしている。きっと、あの子は世界一の浮気者なんだよ」


 アマナは、本当に不満げな顔をしていた。

 彼女の黄色い瞳は、危うげに揺れていた。


「……私だけのお日様が、欲しいな」


 アマナの呟きは、薄暗い色を帯びていた。


「私の力ってさ。……強いじゃん?」


 アマナは、また語り始めた。


「あの魔法があれば、何だって殺せる。何せ、殺虫光線だからね。寄ってくる蟲を何匹でも殺せちゃう。浴びせすぎると、同族でも枯らせちゃう。だから、その気になれば、一人きりになれちゃう。……お空に太陽が一つしかないみたいに、一人になれちゃう」

「……アマナさんは、一人になりたいんですか?」


 ワカバは問うた。


「一人になったら、私も、お日様になれるかな?」

「……どうでしょう。……」


 ワカバは、もう一度青空を仰いでみた。

 太陽が纏う射し込むような光りは、よりいっそう眩しく見えた。まるで、太陽が自らの不義を必死で誤魔化しているかのようだった。


「お日様になったら、あの子の気持ちを、分かってあげられるかな……?」

「……」


 ──何て答えるのが、正解なのか。

 ワカバが思いつくよりも先に、アマナが答え合わせをする。


「……。多分、分かってあげられないんだろうな。……だって。私が、孤独が嫌いだから」


 アマナは、はぅ。と、息を漏らした。


「さっきは、あんな距離で魔法を撃ってごめんね。おめめ、痛かったでしょう?」

「こちらこそ……、使いたくない魔法を使わせて、すみませんでした」


 ワカバは、アマナの方に首を傾げた。


「ワカバちゃんのためなら、何回でも使うよ。……いっそ、二人きりになるまで」


 アマナの目は、空を向いていた。

 まるで、空っぽの恋文を送りつけるような、微睡みの中に、一筋の針を忍ばせたような、そんな声を、彼女は空に告げた。


「……なんて、ね。……」

「……」


 ワカバの想いを余所に、アマナは微睡み始める。


 ──アマナの誘惑は、その蠱惑的こわくてきな香りと同じくらいに甘美で、魅惑的みわくてきで、強引で、恐ろしい。


 ──彼女の満たされない独占欲は、温かな日差しに焼かれ、心の底に焦げ付いていくばかりで。

 ──嫉妬にも似たあきらめと、諦めにも似た羨望せんぼうが占める毎日を、この百合ひとは独りで過ごしていて。


 ──孤独が嫌いな独占癖どくせんへきは、二人きりの孤独を求めていて。


 ──よりにもよって。お日様の下で、それを迫ろうとする。


「……ねえ、ワカバちゃん」

「はい」


「……ワカバちゃんは、傭兵さんなんだよね」

「はい」


「……だから、……時間が来たら、またどこかに行っちゃうんだよね」

「はぃ」


 百合から百合へ渡り歩くのは、ワカバグモ族の定めである。


「……でも。今は、アマナさんだけの私ですよ」


 ワカバは、うっかり呟いてしまった。


 太陽の光りに、そそのかされたのか。

 アマナの香りに、誘われすぎたのか。


 でも。それが、何だか心地よかった。


「ほんと……?」

「はぃ」


 二人の目が合った、その刹那。

 春の微風が、2人の肌を優しく撫でていった。


「……ぁりがとう」


 アマナの手が、ワカバの頬にそぅっと触れた。

 ふんわりとした甘い香りが、ワカバを抱いた。




 草原のざわめきが、2人を優しく包み込んだ。
























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