2.
寿命は10年から15年だと聞くが、どうやらうちの金魚はもう限界のようだった。掃除したり設備を交換したり、餌の量を調整したりしてみても、どんどん衰弱していく。
ひっくり返ってしまうのだ。
水槽の只中で真横や真上を向いてしまって、微動だにせず無気力に漂っている光景が珍しくなくなっていた。時折思い出したかのように尾びれで水を力強く蹴るのだが、しかしまたすぐに泳ぎ方を忘れて沈んでいってしまうのだ。
死にかけの状態を常につづけているようで、自分まで息苦しく、四六時中ずっと水槽に張りついては様子を観察していた。あまりに長いこと転覆したまま戻らないときは、清潔な割り箸で体勢を正す。
この行為が適切だったかは分からない。繊細な金魚の体を傷つけていたのかもしれない。逆さまでいるのは気分が悪いだろう、このまま放置したら本当に死んでしまうだろう、としか当時の自分は考えていなかった。
しかし奴は意外とタフで、死ぬか死ぬかと思われても突然に息を吹き返す、これを一日に何度も繰りかえした。しぶとく生きていた。魚には表情がないので、人間の目ではどのような気分で下手な泳ぎをつづけているのかも察しがつかない。
小さな生物の挙動に神経質になりながら一週間以上をすごした。
ある朝、金魚は腹を上にしてぷかりと浮いていた。
どこからどう見ても死んでいた。
低い振動音とともに酸素ポンプから生まれる水泡と水流で徐々に体が押されている。くちもエラもヒレも止まっているが、止まっているだけなのにやけに目立つからふしぎだ。いつものように突然に息を吹き返すドッキリが、今回だけは起こりえないとなぜだか確信できる。
水槽の上に浮いている体を割り箸でつまんだとき、それを見ていた父親が
「刺身にして食べてしまおうか」
と冗談を言った。残る金魚たちも呑気なもので、死体を意に介さず泳いでいる。自分は悲しいやら腹が立つやらでごちゃごちゃとしてきて、箸で金魚を挟んだまま無言で玄関を出た。
自分はこの金魚を庭に埋めることにした。
埋める前に、口の中の様子を覗いた。こまかくギザギザしたものが並んでいる。このとき初めて歯があることを知って、
「なんだ。奴ら餌を丸呑みにしてたわけじゃなかったんだな」
と安堵した。金魚というのはばくばくと餌をよく食べる。どこにあの量を収納できる胃袋をかくしもっているのか。自分は金魚を掌にのせてみた。
「汚いから素手で触っちゃ駄目」と直前に母親に言われていたが、気にしなかった。
最期くらい触れたかったのだ、ガラス越しでなく。金魚の体はぬめりがあって鱗はやや固く、尾びれの方から逆さになぞるとざりざり抵抗してくる。
家に来た最初の日には鱗など見えもしなかったのにずいぶん成長したものだ。赤い和紙のちぎり絵の断片でしかなかったものが、鯛のように立派になった。こいつも魚だったんだと気付いた。透けるほどに薄い、尾びれ。
しばらく両手にのせて観察していたが、どこかで聞いた、イカは人間の体温でも火傷するという話を思い出してすぐにスコップを手に取った。
庭の硬い土を突き刺しては掘り起こす。
突き刺しては掘り起こす。
そうしてできた深い穴に、金魚を横たえた。きれいに真横に置いた。午前10時ごろの日の光に照り映えて、鱗が輝いてみえる。
そういやこいつを掬ったあの祭りは夜のことだったか。それから日の当たらない所に水槽を置いたので、きょうまで自分は太陽を見せなかったのだ。今、金魚の目は何だか白っぽかった。
黄金色の鱗に土くれが被さっていくと、金魚が金魚でなくなった気がした。もはや金でも魚でもないのだから当然かもしれない。だが「物」と呼ぶにはあまりにも思い出が詰まりすぎていたので、「品」が呼ぶにふさわしいと思う。なんだかんだで愛着が湧いているが出会いは、的当ての景品に似たなにかだったのだから。
途中、細い虫が出た。ムカデか何かか、穴のなかをするするぬるぬると這う。すばしっこくて妙にとくいげなその頭部の、顎のような二つの突起を見たとき、汚れていく感じがした。
他にも虫けらがたくさんいたかもしれない。いたにちがいない。それらが一緒になって、うずもれていく。
自分はそのまま、土を直してスコップで数回叩き固めた。
手についた金魚のぬめりは、いつの間にか空気で乾いていた。てきとうな石を墓標代わりに差して、一週間はお参りを欠かさなかった。
今、庭には墓石が並んでいる。
金魚が死ぬたびに埋葬して、とうとう水槽は片付けられた。
全てを終えたとき、祭りの夜から7、8年が経過していた。
金魚が死んだ話。 @donuts_07
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