エピローグ
天秤は釣り合った
○
アリスたちは、しばらく家族で話し合うらしい。あたしとジルは、ママと三人で家に帰ってきた。そして、いつしかのあのハンバーグを食べる。
相も変わらずの絶品だ。いつものあの、あたしの自慢の味。それを食べている内に、ジルが泣き出した。あたしもママも、それを感じながら、黙ってハンバーグを味わっていた。溢れる肉汁が、優しく口の中を温めた。
「ミリア」
ママがあたしを呼ぶ。そちらを見やると、彼女の手には黒いあれが乗っていた。
「これって」
「あなたの魔力よ。これがあれば、間違いなく所長にも勝てる。そう思ったから別行動したのに、まさか勝つとは思わなかった。まさか魔力のないミリア相手に催眠をかけるなんて初歩のミスを犯すとはね」
どうやら催眠魔法というのは、魔力の振動を同化させることにより相手の自由を奪う魔法であり、魔力を持たない物体には通用しない。そしてあたしには一切の魔力がなく、魔法的観点からすると、あたしは物体なのだ。服なども一緒に動かせるテレポート魔法ならともかく、催眠魔法は通用しない。
「もしかしたらこれ、アリスちゃんのあがきだったのかもしれないね。催眠魔法を出しやすくするように、催眠を掛けていたのかも」
だとしたら、とあたしは唸る。アリスの完全勝利じゃないか。
「所長なら、魔力移植について知らない訳ないし、か。アリス、凄いな」
ジルがため息とともにそう言う。涙はもう引いていた。
「まあ所長も、悪い人じゃないの。ただ少し、自分に自信があり過ぎて、真実を絶対視し過ぎる傾向があるだけ。ああなったらもう、大丈夫よ」
ママが言う。あたしたちは揃って、ため息を吐いた。
「とにかく、だからこれはミリアのもの。これがあれば、あなたは魔法が使える。ほら、もらっときなさい」
ママがあたしの手にそれを押しつけた。あたしはそれを受け取り、そして笑った。
「うん。ちゃんと、正しく使えるように頑張るから、だからママ、これからいろいろ教えてね」
「あたしも教えるよ。もちろんアリスも、それから……」
「ルミアもね。あたしの周り、魔法が凄い人多いから」
「それとさ、紹介したい人がいるの。こっちの世界では何もしてないけど、この事件に密接に関わった二人に、是非会って欲しくて」
「うん、それいい! でも、そのラーニャちゃんたちだっけ、ジルのこと知ってるの?」
「一緒に戦った記憶はない。だけど、ラーニャとはこの前、たまたま会ったの」
「嘘、凄い偶然」
「お弁当少し分けてもらったし、そのお礼も兼ねて、また会いたいと思ってたんだ」
「なら、一緒に行っていい?」
「まあ、いきなりはあれだから、ある程度仲良くなったらね」
△
ラーニャはもう、あたしの――ゾーイのことは覚えていない。けれどジルのことは知っている。偶然にも、あたしは彼女と既に、会っているのだ。
あたしは四年生の、行き慣れたクラスへと向かった。扉を開き、その姿を捜す。彼女は気付いて、手を振ってくれた。
「あ、ジル!」
周りを取り囲むのも、かつて見慣れたクラスメイトだ。もちろん全員、あたしのことは知らない。そのことに一抹の寂寥感も訪れないではなかったが、ラーニャが駆け寄ってくるのを見てそれも吹き飛んでしまった。
「よかった、ちゃんと来れてるんだ」
「まあね。なんとか仲直りしたよ。今日はそのお礼に行きたくて。お弁当作ってくれた人にもお礼を言いたいからさ」
「ああ、うちに来たいのね。いいよ、わかった。予定もないしね。放課後にグラウンドで待ち合わせよっ」
「うん。ありがと」
「いいよいいよ。それじゃまたっ」
そう言って彼女はまた、クラスの輪の中に戻る。あたしも自らの学年――五年の教室へと向かった。
屋上で四人、昼ご飯を囲む。平然とお弁当を食べているあたしたちに、ルミアは愕然として言った。
「よく無事だったねあんたら」
「まあね。もう大丈夫だから、心配しないで」
ミリアがふんぞり返って言い、そして破顔した。
「フームにもちゃんと言っといたよ。友達としてならやり直せると思う。そこからはルミア次第だけど」
「……ありがと、ミリア」
アリスはその間、ずっと黙ってごはんを口に運んでいた。その表情は、穏やかなものだった。
きっとこれから、あたしたちは大丈夫だ。こうやってご飯を一緒に食べていて、思う。根拠はない。ただ大丈夫という結論だけが、はっきりと胸にある。
傾いていた天秤は、とあたしは呟いた。
「ちゃんと、釣り合わせたよ、ニール」
◇
「ただいま、お兄ちゃん」
ラーニャが勢いよく家に戻って来て、俺はお帰りと声をあげる。その後ろからお邪魔しますと続き、今日は誰か呼んだのかと知る。また手元のお尋ね者討伐レポートに取りかかろうと視線を落としたタイミングで、ラーニャは「お兄ちゃんちょっと来て」と俺を呼ぶ。
「なんだよ、今作業中!」
「この間話した子がお弁当のお礼だって!」
「はいはい」
俺は滴る汗を拭いながら立ち上がる。春の気配は少しずつ引いている。肉体労働が主な俺は、少しの夏の気配でもう汗をかいてしまうのだ。
リビングに出ると、ラーニャの後ろにひとりの少女が立っていた。
「この子がジルだよ」
「この前はありがとうございました。サンドイッチおいしかったです」
ぺこりとお辞儀した顔を上げると、その顔がよく見えた。小柄な体格に、あどけない童顔。ラーニャの言う通り、かわいらしい少女だった。そして、とふと思う。
「あれ? ……どこかで会ったことあったっけ」
ジルは少しだけ目を見開き、それから首を横に振った。
「いえ……初対面だと思います」
「お兄ちゃん、ナンパ? もしかしてジルのこと、好きになっちゃった?」
俺はその頭を軽く叩いた。ジルはクスリと笑い、それからごめんなさいと謝る。
「いいのいいの。頼りないお兄ちゃんをよろしくお願いね」
「おい」
「なんちゃって。それじゃ、仕事の邪魔してごめんねお兄ちゃん」
そう言って、ラーニャはジルを連れ、自室へと駆け込んでいった。俺は苦笑しながら、部屋に戻ってお尋ね者討伐レポートに取り掛かる。レポートと言っても、指定されたことを記入するだけなのだが、正直こういうのは大嫌いだ。戦いだけできればいいのに、そういう訳にはいかないのだろうか。
とは言いつつも、トップクラスの戦士や魔法使いは、こういうことは人を雇ってやらせることができるらしいので、やっぱりこういうのが底辺の辛い所なのだろう。
「所見……特になし、っと。終ーわり」
俺はうーんと伸びをして、それから確認のために記入漏れがないかを確認して……そしてふと気付く。名前の欄が空白だった。寝ぼけてんのかな俺と愚痴りながら、その欄を埋める。
「ニール、っと」
他に漏れはない。それを確認している最中に、数滴汗が紙に滴った。ため息を吐きながら立ち上がり、それから時間を確認した。そろそろ夕食を作らないといけない。俺もラーニャも、夕食の頃にはくたくただ。しっかり食べて、よく眠る。これさえ守れば明日も元気だ、というのは母親の教えである。
「さてと、今日の献立は……」
(了)
天秤の左右 芦原マリン @asyamann_dom
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