第23話 いい加減に負けを認めて
◆
――お兄ちゃん。
ふと泣きそうな声が聞こえた。ラーニャのものだ。俺はラーニャに駆け寄る。彼女の顔はしかし、時を止めたままだ。え、と辺りを見回すと、そこはさっきまでいた部屋ではなかった。
描かれた景色は、あの決闘の場だ。けれど空には暗雲が立ちこめていて、あののどかな草原の様子はどこにもない。そしてそこにはラーニャがうずくまっていた。俺はそちらに駆け寄る。
「ラーニャっ!」
ラーニャが顔を上げて、それから凍り付いた顔に、辛うじて笑みを浮かべた。
「お兄ちゃん……」
俺はラーニャを抱きしめる。ラーニャも俺を抱きつき返し、それから涙を流し始めた。うわんうわん。俺はその頭をそっと撫でた。それ以上のことは、何もしなかったし、できなかった。
しばらく経って、落ち着いたラーニャは、ぽつりぽつりと事情を話し始めた。
「ここは、お兄ちゃんの中らしいの。びっくりするよね、魔法で、精神の中に入り込めるんだってさ。あのバトルフィールドは、お兄ちゃんの心の中だったんだよ」
絶句する。そんなの、全く気付かなかった。それなら、これはどういうことなのか。
「あたしはなんとか抜け出せたみたいだけど、体だけだった。心は中に閉じ込められたままだったの。ゾーイが、最後にあたしを逃がしてくれた。だけど、間に合わなかったみたい」
そういってラーニャが指を指す。そこには二人の少女が倒れていた。小柄なのがゾーイで、大柄なのはミリアだろう。
「……相打ち、だったのか」
「違うの。あたし、殺したの。ねえ、あたしが、殺したんだよ、あの犯人を。ねえ、いくらあたしを殺そうとしてる人だって、殺したくなんてなかった。お兄ちゃん、あたし、怖いよ。怖いの……」
ラーニャを見る。彼女は震えていた。
「犯人の攻撃がゾーイを貫いた時、あたしは隙を突いて犯人を殺した。その瞬間、ゾーイはあたしを外に逃がそうとしてくれたみたい。あたしとゾーイが二人がかりで、やっと勝てたの。あたしを逃がしちゃ駄目じゃないのゾーイ……」
言っていることが支離滅裂だ。殺したことを怖がりながら、逃がしちゃ駄目だとも言う。二つの矛盾する感情が今、せめぎ合っているのだろう。俺は首を振った。
「最後の手段だったんだよ。ゾーイの目的は、ミリアに……犯人にこれ以上殺しをさせないことだったから」
「でもあたしたち、友達なんだよ! ……ねえ、わかんないよ、お兄ちゃん」
それは、俺もなのだ。俺だって何も、わからない。
「帰りたくないよ、もう。あたし、ずっとここにいたい。もう、外が怖いの……」
俺は彼女をまた、抱きしめる。今度はラーニャは、抱き返しも、泣きじゃくりもしなかった。ただ、俺にされるがまま。
ラーニャもまた、壊された。それなら俺は、どうすればいいのだ。
ふと、天啓が降りてきた。それはまさしく、天啓としか呼べないものだ。ひとたび思いついてしまえばもう、それしかあり得なかった。だが、俺にそんなことができるのだろうか。俺が今持つ魔力だけで、それを成し遂げられるのだろうか。
「お兄ちゃん?」
思い出すのは、「天秤の左右」に書かれていた記述。そして、この世の終わりに起こること。あれしかないのだ。俺に残された手段は、それだけだ。
「可能性はある。全てを救えるかもしれない」
○
ジルの驚いた顔が、あたしを見つめる。あたしはにやりと笑った。アリスも同じ表情をしている。あたしはアリスを振り返り、手を高く打ち鳴らした。
「大成功!」
アリスがあたしに来て欲しいと囁いた時、あたしはアリスの声を聞いた。
「ミリアには効かない魔法もあるの。催眠とか」
どういうメカニズムなのかはわからない。ただ、あたしには催眠魔法はかからない。アリスの言葉を信じれば、アリスのパパがあたしに催眠魔法を掛けた時点で、あたしは時間を稼げるようになったのだ。アリスの欲していたのは、魔法封じ魔法を唱えるための隙。であれば、あたしのやることはただ一つだった。
アリスは魔法を唱えることに成功した。もうここでは、魔法は使えない。
アリスはがくりと崩れ落ちる。
「ごめん、疲れた限界……。ミリア、パパを止めて」
「わかった。ジル、もうここでは魔法を使えないよ。やろう!」
アリスパパの顔に驚きが浮かび、それから目を閉じて、そして唸る。
「どういうこと?」
ジルは問い掛け、それから首を振る。「ううん、それは後。今はチャンスだよね」
あたしは剣を右手に抱え、アリスパパに向き合った。彼も剣を手に取っていた。剣を持つのはあたしだけだ。ここからは一対一。やるしかない。
「魔法封じはそう長くは続かない。ミリア、急いで蹴りを付けて」
「わかった。っしゃあ!」
あたしは雄叫びをあげ、自らを鼓舞すると、彼に向けて走り出す。アリスパパは剣を振るけれど、慣れていないのがバレバレだ。その一太刀をはじき飛ばし、あたしは再び、彼ののど笛に剣を突きつける。
「魔法ばっかで、剣は使えないんだよね。残念でした。さ、諦めなさい。そして、もう二度とやらないと誓うの。わかった?」
「なぜ……なぜ理解しないのだ! この世界から、死が消えるのだぞ! お前らの言うとるにたらんリスクなど、どうでもいいだろう!」
「どうでもいい、か。じゃあさ、実際に実例を見せればいいのね。時が巻き戻った、実例を」
◆
できるかどうかはわからなかった。けれど、ゾーイの境遇がアリスの語った通り、死の神に見初められて殺人を犯していた、というものであるのなら。魔力については充分過ぎる程にあるはずだ。彼女の魔力に加え、ラーニャの魔力とアリスの魔力、そして微力ながら俺の魔力もつぎ込めば、神にだって劣らないはずだ。
「あたしもやり方はわからない。たぶん誰も、知らない。だけど、それなら可能性はあるよね」
「ああ。全部、なかったことにすればいい。生命のバランスが崩れたら神は時を巻き戻す。それなら、それに匹敵する力があれば、時間を全て巻き戻せるよな」
俺たち二人はゾーイを取り囲む。剣の中に封じられているというアリスの声も聞こえた。
「それなら、できるかもしれない。やってみよう」
俺はかすかに頷き、そしてラーニャと手を繋ぐ。ゾーイの体にミリアの剣を寝かせた。
「魔法は、強く祈ること。時を巻き戻したいって願って、お兄ちゃん」
ラーニャの声に従い、俺は目を閉ざした。
ミリアが感じていたであろう苦痛。
命を落としたアリスの、悲痛な願い。
ゾーイが抱えていた、年若い少女には大過ぎる秘密。
ラーニャが負った、人殺しという深すぎる傷。
その全てを抱えて、俺は祈った。全てをなかったことにしたい。なんとかして、時を巻き戻したい。
汗が滲む。ラーニャはゾーイの上に崩れ落ちる。俺も膝をついた。熱い。体中の血液が、いや、体の細胞全てが沸騰している。世界がぐにゃりと歪んだ。それは俺の意識が見せる幻覚か、魔法の産物なのかももうわからない。ただ俺は、ひたすらに祈り続けた。四人の少女の抱えた悔恨を、その身に宿していた魔力を全て背負い、俺は
そして、俺の意識は途絶えた。
△
ふと気付くと、あたしは背後から攻撃を受けていた。その不意打ちは、致死的なものではなかったものの、かなり大きなダメージをあたしに与えていた。いや、それだけではない。体中が燃えるように熱い。まるで、強力な魔法を使ったばかりのような。
「あんた……」
あたしは倒れながら、うめく。そこにいたのは、アリスだった。あの戦いで命を落としていたはずの少女が、そこにはいた。
「な、なんで……」
「……あなたが、殺人犯だから」
会話がかみ合っていない。そして気付く。これは、あの瞬間だ。あたしとアリスが初めて出会った、あの戦いの時だ。
「違う、そうじゃな……いや、あたしがやった。ねえ、話を聞いて……」
アリスは警戒を解かない。しかしひとまず、聞いてはくれるようだ。あたしは痛みに耐えながら、混乱する頭を必死に整理し、そしてぽつりぽつりと話し始める。
あたしは前にも、こうやってあなたと戦ったこと。そしてその時は、生き返りによる世界の崩壊についてあたしに取り憑いている神が説明して、あたしは逃げ延びたこと。その後それについて確証を得たアリスと共に、あたしはアリスの父親を説得しに向かったこと。それを聞き入れてもらえなくて、戦いの中でアリスと父が相討ちしたこと。それに悲しんだミリアが、アリスを生き返らせようと必死に生き返りを殺し始めたこと。アリスの、「ミリアをお願い」という頼みを受けていたあたしは、それを止めるために動いたこと。そしてラーニャという少女を護る戦いの中で、あたしとミリアは同時に命を落としたこと。そして気付いたら、ここにいたこと。
話しているうちに、ひとつの可能性に思い至る。
「あたし、時が巻き戻ったんだ。きっと、ニールたちだ……」
「……そう、なんだ」
アリスは全てを聞き遂げ、それからそう呟く。
「ごめん。でもやっぱり、いきなり信じろと言われても無理があるから……確かめたいの。本当に、世界のバランスが崩れたら時が巻き戻るのかを」
「それじゃ駄目なの! 何も変わらない!」
あたしは思わず声を張り上げ、そして痛みに顔をしかめた。ここにはあたししかいない。ニールとラーニャが記憶を維持しているのかは知らないけれど、この事件にはどうやったって絡まないし、絡めない。接点が何もないのだ。生き返りであるということを除けばだが、彼女の命を狙うのは今の時点ではあたしの役目。であるならば、あたしが動かなければ彼女たちを巻き込むことはできないはずだ。そして二人の実力を考えれば、父親との戦いには巻き込めない。だからあたしがやるしかない。なんとかして、少しでも一周目とは状況を変えないといけない。
「……わかった。それなら、あなたは、ミリアと仲良くなって。ミリアが重要なんだから、それがいいんじゃないかなと思う。記憶だけ、なくしてもらうけど」
「えっ」
「大丈夫、返せるよ。だから、一旦。そうじゃないと、とてもミリアの近くには置いておけないよ。あの子は何も知らないんだから」
「……まあ、それならわかった。その記憶、いじれるの?」
「それは無理だと思う。置いておくしかできない」
「わかった。アリス、あたしはあなたが正解に辿り着くって知ってるから信じてるよ」
「まあ、でもそうだね。あなたは私の名前を知ってた。だから、あなたは嘘を吐いてない。調べたら、ちゃんと返すから」
「わかった」
彼女はあたしの額に手を当てた。彼女は目を閉ざし、そしてあたしの意識はぷつりと途切れた。
○
「ラーニャ。生き返った人の中に、そういう名前の人がいるでしょ」
あたしは鋭く言う。そして付け足した。
「そのお兄ちゃんの名前は、ニールって言うの。ニールさんの名前は、知る方法なんてないはずだよ」
「未来でラーニャを護るために、ニールと共闘したりしてない限りは、だけど」
ジルがぶっきらぼうに言う。アリスパパは、だがしつこい。
「そんな名前、私も知らない。それならばどうとでも言えるだろう」
時が巻き戻った実例。それはすなわち、ジルのことだ。彼女の過ごすこの世界は、二周目の世界なのだ。一周目ではあたし抜きの二人で突入し、そして悲しい結果を引き起こした。それを変えるため、そのファクターに、あたしがいる。
「あのね、理由もなく生き返りばかりを狙って殺すなんてことが、普通の人間にできると思うの? 普通なら、生き返りが誰かなんて知ってるはずないような、こんな小四の女の子がだよ?」
「それも入れ知恵だろう」
「それってつまり、ここの情報がそんなに簡単に漏れ出すような脆弱なシステムだって認めてるようなもんだよね。それってどうなの?」
ジルが冷たく言い放つ。これには彼も、黙り込まざるを得なかったようだ。
「いい加減に負けを認めて。これは神とかそういう、超自然的な物事を絡ませないと、解けない問題だよ」
ジルが高らかに、勝利を宣言した。彼の目は、泣き出しそうに歪んだ。あたしはのど元に突きつけたままの剣を下ろす。そしてあたしは思わず、彼の頬を強くぶつ。
「……あたしたちのことはどうでもいい。だけど、アリスのことぐらいは、信じてあげて。お父さんなんだから、あなたはまだ生きてるんだから、アリスの味方でいてあげてよ」
思わず言葉が漏れた。あたしの拳は、知らず固く握りしめられていた。
「あなたの負けよ」
不意に背後から声が聞こえた。そこには二人の女性が立っていた。ママと、アリスのママだ。声の主は、アリスのママらしい。
「私たちは、知らなかった。だけど、知らないことは罪じゃない。過ちを見付けたら、修正してやり直せばいい。研究っていうのは、そういうものでしょ」
アリスママが、アリスパパにそう言って、彼はがくりとうなだれた。それを見届けて、あたしは思わずへたり込む。
「……こ、怖かったあ」
今更ながらに、震えが襲ってきた。集中によって隠れていた恐怖感が今、あたしの中を暴れている。ママがあたしの方へと駆けて来て、あたしを抱きしめた。あたしはそれを抱きしめ返す。
「ミリア、お疲れ様」
あたしは何も言えなかった。
「まさか私抜きで、三人で決着まで付けるとは思わなかった。頑張ったね」
その言葉を聞いて、あたしの中で何かがほどけた。瞼の防波堤は、決壊した。優しく頭を撫でるその暖かさに、もうあたしは止まらなかった。
△
眠るアリスにヒーリング魔法を掛けたアリスのママは、その頭をそっと撫でる。それから彼女は、私の方へと向き直る。
「ミリアちゃんのお母さんから、事情は全部聞きました。未来の私が、あなたに迷惑を掛けたそうで。ごめんなさい」
「いいですよ別に。そうする気持ちもわかるから」
あたしから彼女に言うべきは、それだけだった。今の彼女は何も知らないし、何もしていない。例えあの事件で、ミリアに生き返りの居場所を提供していたとしても。魔力自体を提供していたとしても、それはここにいる彼女とは関係のない話だ。
「そして、娘と仲良くしてくれてありがとう」
彼女の顔を見る。その顔に浮かんでいたのは、笑みだった。あたしは曖昧に頷いた。
やはり感じるのは、羨望だ。壊したのはあたし自身だけれど、家族というものには、やはり焦がれる。血の繋がりというのは、やはり大きいものだ。
「ゾーイちゃん」
久々の名前に、あたしは一瞬反応できなかった。遅れて反応すると、彼女はあたしの手を引き、そしてアリスの所へと連れて行く。
「この子と魔法で競い合えるのは、あなたぐらいの実力がある子だけ。ねえ、これからもアリスのライバルで、友達でいてあげてくれる?」
その宣言に、あたしはふと思い出す。ラーニャのあの優しい言葉を。その両手を血に染めたあたしに、初めてかけられたあの言葉を。
「これから、あたし、普通の子になっていいのかな」
眠るアリスに問い掛ける。
「あなたやラーニャと一緒に魔法を勉強したり、ミリアやニールと一緒に剣を鍛えたりして、いいんだよね」
「うん」
ふと見ると、ミリアが隣に立っていた。
「あたしたちみんな、あなたに助けられたんだよ。もう、罪は償ったんじゃない?」
「……ううん、償いなんて、できやしない。一生かかっても、何人も殺したってことは消えない」
「でも、その分いいこともできる。ね、ジル。これからも一緒にいて欲しいんだ」
その笑顔に、あたしは小さく頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます