第22話 ねえ、信じてよ
◆
ラーニャを入院させ(費用は研究所で賄ってもらえた)、俺は自宅に戻った。今となってはもはや懐かしい、自宅だ。俺は自室に戻り、それから体を投げ出した。
ラーニャの容態は、極めて危険だそうだ。体におけるダメージはもう完全に治っている。それでもまだ、ラーニャは目を覚まさない。
つまりは、ラーニャは今、起きることを拒否しているのだ。あいつは決して、寝起きの悪い方じゃないのに。
原因なんてわかりすぎるぐらいにわかっている。だって、ゾーイを失ったのだから。俺たちの間には、間違いなく絆が芽生えていた。それなのに。
今や俺は、何もすることがなかった。ラーニャが目を覚ますかどうかはわからない。そんな状況で、仕事をする意義も見いだせない。ただただひたすら、俺は寝転がっていた。
太陽が部屋を照らし、そして闇に包まれる。それを幾度となく繰り返し、俺は腹の鳴る音でようやく正気に返った。
こんな状況でも、腹は減るのだ。俺は情けなく笑いながら、料理を作るべく台所へ立った。しかし、そこには何もない。
そういえばそうだ。全て、あそこに置いてきたのだ。俺は二本の剣を携え、そこへと向かって行った。
その建物も、死んでいた。主を何度も失い、彼もまた、生きることを拒否しているのだろうか。そこに漂う淀んだ空気は、曲がりなりにも俺たちが生活していた時には、決してないものだった。
いや、これは違うな。あの時彼女がこの家を荒らしたから、そのせいだ。散らかったまま、その家は保存されていた。
謎だった犯人のあの行動も、全てを知った今では、わかりすぎる程にわかった。食欲を満たすと、俺は何度も寝起きした、あの部屋に向かった。魔法の本がうずたかく積まれていた、あの部屋に。
俺は彼女の剣を手に取る。そこに込められていた魔力は、想いと同じだった。アリスと名乗った彼女の抱えていた想い。俺はその一端を垣間見た。
犯人を――ミリアを、取り戻したい。その、強い想いを。
世界を救うために戦った少女たちの、あまりにも惨たらしすぎる結果を。
○
気付けばあたしは、見たことのない場所に立っていた。三人はと見ると、額に汗を滲ませている。ママだけが少し、荒い息を吐いていた。
「私は大丈夫。みんな、絶対に無事でいて。降参したっていい。負けたっていい。絶対に、無事でいて。そしてミリア、大丈夫。この二人は、私よりも強いから」
「ママさんも凄かったけど。あれ全部読みこなしてるんでしょ」
「知識だけよ。実践力は、私にはないから。だから研究者なんてやってたの。さ、みんな、行ってらっしゃい」
ママは笑みを浮かべていた。だけどあたしは気付いた。その笑顔は決して、心からのものではない。だけど、不安を押し殺して、笑ってる。
「大丈夫。あたしは死なない。ママ、パパを取り返したら、すぐ来てね」
「もちろんよ」
それだけ言って、ママは走り去った。残されたあたしたち三人は、誰ともなく、頷き合う。それからアリスの先導で、廊下を歩き始めた。
所員の大半は事件については知らないようだ。あたしたちを見ても、「友達?」ぐらいの反応しか返ってこない。アリスはそれに、いちいち小さくなって頷く。
「あ、親友です。ただの友達じゃ足りないよ」
あたしが笑って肩を叩いた。なんとも覇気のない雰囲気だが、そのぐらいがちょうどよかった。肩の力が抜けていく。所員の人は、「アリスちゃんにもいい友達がいるのね」なんて笑った。
「パパに紹介しようかなって」
「そっか。じゃあまあ、仲良くしてあげてね」
「もちろん!」
あたしは胸を張る。ジルもしかと頷いた。
そんなやりとりを繰り返す内に、次第に人気がなくなっていく。
「もうすぐ。気を引き締めてね」
アリスが短く言い切った。あたしはひとつ、深呼吸をする。ジルも震えを抑えながら、「わかった」とだけ呟いた。
「まず、私ひとりで行きたいの。説得ができるなら、それが一番だから」
「やばくなったら悲鳴をあげてね。そしたらあたしたちが突撃するから」
「うん。ミリア、ジル。よろしくお願い。¥」
そう言う声が震えている。あたしはアリスを抱きしめた。
「大丈夫だから。きっと、全て上手く行くから」
ありがとう。そう、声が聞こえた。あたしは彼女を離す。アリスは「じゃあ、頑張ってくるね」と走り出し、そして扉を開いて、部屋に入る。あたしたちも、その扉の近くまで歩いて行った。ジルが目を閉じて、何かを念じた。
「これで中の声が聞こえやすくなるはず」
「凄いね……魔法って」
あたしは耳をそばだてた。
「そんな戯れ言、信じる意味などない!」
まず聞こえてきたのは、そんな声だった。それに対し、アリスが淡々と証拠をあげる。あたしは聞いたことのないような本のタイトルをページまで挙げ、そこにこういう記述があったからこれは戯れ言とは言い切れない、と理路整然と反論する。アリスパパは、語調を緩めた。
「なるほどね。それだけの証拠をかき集めたら、自信も付くだろう。だけど、その資料の整合性は確かめたのか? 資料にあったから、では理由にならない。その資料に書かれた事物が――」
「真実とは限らない、から」
「わかってるじゃないか。なら当然、確かめたのだろう?」
「……もちろん。私たちを止めようとする存在がいたことが、何よりの証拠だよ、お父さん」
アリスパパの笑い声が、こらえきれずといった体で次第に大きくなっていく。
「状況証拠に過ぎないだろう? そもそも、それも生き返りを殺している奴の戯れ言だ」
「じゃあ、証拠って何?」
「論理だ。資料は所詮、資料に過ぎない。論理から導き出されたもののみが、真実なのだ」
アリスがため息を吐いた。そんな音まで聞こえるのか、この魔法は。
「お父さん、冷静に考えてみて。私たち、こんなとこでまで、意見が一致してない。こんな状態で不死を実現しても、何も意味がないよ」
「生き返りを繰り返すことはあくまでも練習。その究極目標は、誰もが死なない世界を作ること。そのために、死の力を削ぎ、生の力を蓄えることが、生き返りの狙いね。その天秤が崩れた時に、世界は一気に、どちらかへ傾くから」
ジルが注釈を付けた。あたしには難し過ぎたが、ジルは説明を続ける気はないようで、中の話に意識を向ける。
「お前は騙されているだけだ。時間が遡る? そんな神話など、ありえない! どれだけの魔法の粋を集めても、それを実現することは不可能なのだぞ!」
不可能なんかじゃないのにね。ジルがそう、ボソリと呟いた。
「……なんでわかってくれないのよお父さん。駄目なの、この先には破滅しかないの」
「うるさいっ!」
アリスの悲鳴が聞こえた。あたしたちは扉を開け放ち、雄叫びと共に突進した。
剣を振りかぶり、一気に距離を詰め、アリスパパに突き付ける。
「アリスを傷付けさせはしないよ、アリスパパ」
「ミリア危ないっ!」
背後から魔法が飛び、目の前から撃ち出されようとしていた魔法の攻撃を相殺する。あたしは慌てて距離を取った。
チラと振り返ると、攻撃の主はジルだった。
「あたしが、妨害してたその人よ」
冷ややかに言い放ち、ジルは追撃した。彼はあたしを振り払おうとするが、手を使った攻撃なら大したことはない。あたしは軽くそれをかわし、剣の側面を叩き付けた。彼の口からうめき声が漏れる。
しかし彼は、ただではやられなかった。ジルの追撃を魔法で相殺し、彼は体勢を立て直す。
「お前らか、アリスをたぶらかしたのは」
「自分の子どもに何するのよあんた! いい加減にしなさいよ!」
「お前こそ、うちのアリスに妙な知恵を吹き込みやがって!」
途端、剣が熱を持つ。それは瞬時に熱を帯び、あたしはそれを取り落としてしまう。
「ミリアっ!」
アリスの魔法があたしを吹き飛ばした。え、と思うまもなく、さっきあたしが立っていた場所を、鋭い雷の刃が貫いた。ぞくりとする。これが魔法か。あたしは壁際で下ろされた。大丈夫。無事だ。
「アリス……目を覚ませ。お前がやっていることは、間違いだ」
「間違ってるのはお父さんよ! ミリアを攻撃しないでっ! 私たちの話を聞いてよっ!」
「聞いた上で言っている。アリス、がっかりだよ」
「知らないよ! 世界の時が巻き戻るんだよ! 今やめれば、まだ間に合う。お父さん、やめようよ」
「いい加減にしろっ!」
「アリスっ!」
ジルが彼の炎を水の魔法で相殺する。その隙を突いてあたしは彼に向けて走り込み、拾った剣を彼ののど元に突きつけた。熱はもう、消えていた。アリスが解除していてくれたらしい。
「殺したくはないの。アリスのパパなんだから。ねえ、信じてよ」
「……勝ったと思っているのか?」
彼はにやりと笑い、何やら目を閉じて念じた。やばい、逃げなきゃと思う前に、彼の魔法は成就する。
「精神の自由を奪わせてもらった。私の言うことを聞いてもらうぞ」
あたしは彼を見つめた。彼の自慢気な笑みが、気に触った。
彼が手を回す。アリスとジルの方へと向かい、そして歩を進める。手には剣を携えたまま。ジルが青くなって叫ぶ。
「卑怯よ!」
「卑怯はどっちだ。不快なら相殺すればいい。そのぐらいできるだろう?」
あたしはなおも、歩き続ける。背にはアリスのパパ。真正面に、ジルがいる。
「ミリア……解除魔法は……」
アリスが何やら目を閉じて念じる。背後から声が聞こえた。
「無駄だ。その程度じゃ効かない」
あたしは歩みを止めなかった。一歩一歩、ジルへ向けて歩く。そして、剣を振りかぶった。
「ミリアっ!」
アリスの声が聞こえた。あたしは剣を振り下ろす。
◆
やりきれない思いだけが残る。ミリアがどうなってしまったのかを、俺が知る術はない。けれど、アリスの想いは遂げられないままだ。ラーニャももう、戻らない。ゾーイも死んでしまった。アリスが生き返ることすら、ない。誰も得をしない、最悪の結末だ。
まず、研究所での戦いは、ゾーイたちの勝ちだったそうだ。アリスの父親を殺害し、しかしアリスも命を落とした。痛み分けだ。これで世界は救われた。しかし、それでは納得の行かないものがいる。
ミリアだ。
アリスを失った彼女はそれからずっと、呆然と過ごしていたそうだ。当たり前だろう。親友なのだ。彼女は三日三晩何もせず、何も動かず、全てを拒み続けて、そしてひとつの結論に至った。
アリスを生き返らせる。これ以上の生き返りが世界の釣り合いを壊すなら、生き返りを殺し直せばいい。アリスは死ぬべきではなかった。生き返りたちは、死ぬべきだった。ただ、その天秤の左右の釣り合いを、元に戻すだけだ。彼女にとっては、それは明確な真理だった。例えそれが、傍から見たらただの犯罪だったとしても。彼女は当たり前のことを当たり前にこなしたのだ。彼女の手元に残された、複数の魔力を蓄える物体と共に、彼女はゾーイの仕事を引き継いだのだ。アリスを生き返らせたいと願う、彼女の、アリスの母の協力の下に。
冗談じゃない。その当たり前に、ラーニャは壊されたのだ。数多くの人が、苦しんだのだ。俺は床に拳を叩き付ける。ゾーイがひた隠しにしていたのは、俺にこの思いをさせないためだ。敵は敵のまま。同情すべき対象になど、なってはならない。
俺はうめいた。咎めるべき相手は、もう死んでいる。全員、もういない。どうすればいいんだ。俺の中に現れた虚無は、俺を取り込み、膨らんだ。
これが、と思う。これが、ミリアの感じていたものだ。俺はもう、彼女を咎められない。彼女はもう、俺の中で消えることはない。
俺は「天秤の左右」を手に取った。生死の釣り合いについて、俺に教えてくれた本だった。アリスが見付け、ゾーイに手渡した本。彼女はこれを、ここに仕込んでいた。気付かれるのが怖かったのではないのか。狙われているのが生き返りだという事実に繋がりそうな話題を全てシャットダウンしてきた彼女の、唯一の綻び。怪しい態度こそあったが、これがなければ突っ込んだ確証は持てなかった。生き返りこそが、事件の共通項。生き返りの存在が世界の調和を崩すのだとラーニャが知ってしまったら、彼女はきっと落ち込む。そして自ら命を絶つかもしれない。そんな怯えを抱えながらしかし、彼女はこれを、俺の目に入る所に置いておいた。
本当は、気付いて欲しかったのではないか。抱えきるのが、しんどかったのではないか。どれだけ大人びていても、どれだけ数奇な運命を辿ろうとも、彼女はまだ、小学校四年生なのだ。俺よりいくつも年下で、ラーニャと同い年の、ほんの子どもだ。世界を揺るがすような重大な秘密を、ひとりで抱えるなんてできるものか。
どれほどの苦しみなのだろう。ミリアも、ゾーイも、アリスも。俺たち兄妹なんか、比べものにならない程のその感情に押しつぶされ、呑み込まれながら、三人はそれぞれの戦いに身を投じていたのだ。
俺はミリアの剣を見る。柄の部分にはめ込まれた黒いもの。ここには、アリスの魔力も封じられていた。それが俺に、全てを伝えてくれたのだ。
「でもなら、どうしろってんだよ……」
俺のため息は、虚空に融けていく。今更全てをなかったことになんて、できやしない。天秤はもう、振り切れてしまったのだ。ラーニャももう、戻らない。
俺は意味もなく、ラーニャの眠る病室に向かうことにした。
その寝顔は、ある種穏やかだった。苦痛はないのだろうか。そうだとするなら、それだけがせめてもの救いだ。俺の目からは涙すら流れない。ただその穏やかな寝顔を眺めるだけだ。
ずっとそうしていた。星の光が部屋を照らす時間になっても俺は、ただそこに立っていた。眠くもならない。足の疲労も感じない。ラーニャの寝顔をずっと、眺めていた。
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