第3章 因果はめぐる糸車
第18話 灯った炎は消えはしない
ペネロペの目が覚めたのは日の出る少し前の時間だった。もぞもぞと暖かさに頬擦りすれば、くすくすと誰かの笑う声がする。少女にはそれすらも心地よく、緩やかに
笑い声は次第に大きくなり、ついには「はは、くすぐったい」と言葉が漏れた。
ペネロペはぱっと目を見開き、わずかに体を起こした。
見えるのは自分のものではない洋服を握る自分の手。少し視線を上げると困ったように笑う荊の顔があった。
彼女は今、仰向けになった荊の上で寝ている。
昨日、荊に抱き着いたまま突然に寝付いたペネロペは、結局、今の今まで目を覚まさなかったのだ。
「ぴ」
「おはよう、ペネロペ」
ペネロペは驚きすぎて動けなかった。
柔らかに微笑む青年はペネロペのすべてを受け入れているようで、己の上に人が乗っていることも厭わず「また早いかな。もう少し寝れるよ」と気遣いの言葉を告げた。
「ペネロペ?」
ペネロペは夢を見ているようだった。
人肌の温かさは彼女の大切な人を思い起こさせる。温かさも優しさも少女には久しぶりすぎるもので、どれだけ焦がれても手の届かないものだった。
「……どうして泣いてるの? どこか痛い?」
荊はぽんと慰めるように少女の背を叩く。すると、ペネロペは「おじいちゃん……」と哀愁に満ちた声を漏らした。
荊は胸元に顔を押し付け、さめざめと泣くペネロペの姿に荊は静かに息をついた。一人ぼっちの少女へ、同情を禁じ得ない。
呪術師として世間から厭われ、たった一人の家族は亡くなり、仕事をすれば解呪という特殊性から同業者に命を狙われる。
年端もいかない少女にはいささか重すぎる境遇だ。
「ペネロペのおじいさんはどんな人だった?」
荊の手はくすんだ金髪を
荊からの質問にペネロペは「優しい人」と答えた。涙は止まったようだが、その声は夢うつつのようである。
「おじいちゃんは、すごい呪術師。魔力が強くて、呪術もたくさん知ってるし、難しい呪いもできるし、その解呪もできる」
「おじいさんは呪術もできるんだ」
「うん」
ペネロペが今は亡き祖父の武勇伝を語る。一生懸命に言葉を選び、拙いながらも祖父を褒める言葉を紡いだ。時たま両手で口元を押さえ、ふふと笑う姿は何の変哲もない子供に違いなく、稀有な力を持つ呪術師には到底見えない。
荊は微笑ましそうに聞きながらも、心の中ではペネロペのことを心配していた。
彼女は孤独だ。祖父が死んだのが夏の終わりというのだから、一人になって一カ月と少し。今までは祖父が守ってきたのだろうが、これから先はそうはいかない。解呪という特殊な力ゆえに、今回のように命を狙われることもきっとあるだろう。
――俺にこの子の力になれることがあるだろうか。
知り合ってしまえば、知らんぷりもできなかった。
「素敵なおじいさんだったんだね」
「うへへ」
自分が褒められたかのように照れくさそうにするペネロペに、荊は口元を緩めた。祖父を慕っていたのがよく分かる。
ペネロペは何を思ったのか、唐突に口を閉じ、改まって荊の顔を見つめた。まじまじと観察する瞳は荊を見定めているようである。
ペネロペはぱちりと瞬きをし、こてんと小首を傾げた。
「荊、悪魔使いって、ネロ様が言ってた」
「え? ああ、うん。そうだよ」
「悪魔使い、人助けが仕事?」
――ペネロペにはそう見えるのか。
荊は首を振って否定をする。悪魔使いとはそんな素敵な職業ではない。
「悪魔使いは仕事っていうか異能だね。俺の仕事はギルドで請けた依頼をこなすこと」
「ギルド……」
「そうだよ。昨日、ギルドカード見せたでしょ?」
そう言ってから、荊は昨日の自己紹介など覚えていないかもな、と思った。初対面からこの島に来るまで、余すところなく慌しすぎた。
ミミックドラゴン、傀儡人形、セルクにかけられた呪い――、騒ぎがあったからこそ信用を勝ち得たとも言えるのだが。
すうと大きく息を吸う音。
音に気がついて荊が目を向ければ、神妙な顔をしたペネロペが目を伏せていた。髪の毛のくすんだ金色と同じ色の長いまつ毛が、瑠璃色の瞳を縁取っている。
「おじいちゃん、呪われて死んだんだ」
語るには突然だった。
「……え?」
「僕が物心つく前から、ずっと呪われ続けてた。相手の呪術師のことは、絶対に教えてくれなかった。けど、おじいちゃんの解呪と同等――、ううん、それ以上だったから、すごく力の強い呪術師」
ペネロペは自身の祖父の秘密を淡々と声に出す。
「おじいちゃん、死ぬ時に『ハワード家には関わるな』って言ってた」
“ハワード”と聞いて荊が真っ先に思いつくのは、ルマの街の領主ドルド・イ・ハワード。目下、荊がもっとも警戒している男だ。
そして、ペネロペの祖父とドルドを紐付けるのは決して難しい話ではなかった。
呪術師。
ドス家の祖父と孫の二人はもちろん、ハワード家にも少なくとも一人の呪術師がいる。
「じゃあ、例の呪術師がおじいさんを――?」
「分からない。だから、僕、お嬢さんの解呪の件を請けた。ハワード家のこと、知れると思って」
荊を見るペネロペの視線は怒りと悲しみに溢れていた。強い感情だ。孤独で研ぎ澄まし、鋭くなった復讐の刃。
内気で弱気なペネロペの姿はそこにない。
少女から放たれる、肌を刺すような苛烈な感情。
どこかで見たことがある、と荊は既視感を覚えた。どうしたか、まるで心臓を撫でられたようだった。
「荊、依頼したい」
「依頼?」
「僕、おじいちゃんを呪った呪術師のこと知りたい。それで、探すの手伝って欲しい」
――ああ、あのときの俺に似てるんだ。
荊はもやもやとまとわりついていた既視感の正体が分かり、ざわつく気持ちもすとんと収まった。
荊もまたペネロペと同じく、大切な人間を失った経験がある。そして、あの頃の彼もまた復讐に燃え、今のペネロペのようにギラギラとしていた。
結果、荊は異世界へ追放されている。
――このまま、ペネロペを放ってはおけない。
「依頼なんてしなくていいよ」
ぴくりとペネロペの指先に力が入る。
荊は「違う、突き放したんじゃなくて――」と手を重ねた。熱を持った燃える瞳に対して、手は冷たく、緊張しているのがありありと分かる。
「むしろ頭を下げるのは俺の方」
「え?」
「俺はあの屋敷で悪さしてる奴は一人たりとも許さない。そのためにペネロペに力を貸して欲しい。もちろん、君のことは必ず守る。よろしくお願いします」
共通の敵――、ペネロペもまたドルドの被害者なのだ。
「俺たちの目的は一緒だ。それなら、協力し合う対等な関係――仲間でしょ。だから、ペネロペからの依頼は必要ないよ。喜んで君の力になる」
「仲間……」
「そう、仲間。それから、友達。俺はペネロペに死んで欲しくないし、自暴自棄になって馬鹿なこともして欲しくない」
これは荊の私情だった。経験則から言えるアドバイスでもある。
復讐は多かれ少なかれ、己の人生に影響を及ぼす。それはすべてに置いて悪い意味で、だ。
同じ経験を味わった者として、荊はペネロペを止めたかった。
「友達? 僕と、荊が?」
「うん。俺も、アイリスも、ツクヨミにネロも。それにセルクさんだって、君の友達」
また、この世界に来るまで、友達のいなかった荊は、蘇芳やラドファルールと関わるうちに友好の大切さを学んだ。困ったとき、友達だからと手を差し伸べてくれる存在がいるだけで、案外、心は救われるものなのだ。
ペネロペが友達というミミックドラゴン。その関係性はどちらかといえば家族に近い。ペネロペは昔の荊と同じく、友達というものを知らないのだ。
類似点を探せば探すほど、荊とペネロペは似通っていた。
「おじいちゃんにできなかったこと、僕にできるかな」
ペネロペは不安そうに心のうちを吐露した。
気持ちは昂ぶっているし、復讐の火も消えていない。しかし、相手が強大な力を持っていることをペネロペは知っている。
自分よりも優秀な呪術師である祖父を葬った呪術師――不安にもなるのも当然だ。
「できるよ。俺も力を貸すし、君を一人にはしない」
荊はぎゅっと少女の手を握りしめた。
孤独で可哀想な呪術師の少女に救いの光を見せてやりたかった。自分がアイリスにそうしてもらったように。
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