第19話 君に差し伸べられる救いの手

 寝たきりのお嬢さんを救い、死神の呪いの謎を晴らす――、というダニエラからの依頼はとっくに姿を変えてしまっていた。

 ナターシャを救うのは大前提であるが、晴らすべきなのはハワード家の屋敷が抱える闇である。


 今日も昨日に引き続き調査である。

 そういうわけで、出発の準備をしなければならないのに、この島にいる全員が神妙な面持ちで顔を突き合わせていた。空気は緊迫感に満ちている。


「ナターシャさんの呪いが酷くなってるの?」


 荊は眉間を押さえ、苦々しく言葉を落とした。


「……うん。これまでは、明らかに殺す気のない呪いだったけど、今は違う」


 今朝に発覚した事実は、この件を知る者を震撼させるものだった。

 ナターシャに駆けられた呪いの悪化。それもペネロペの見立てでは、これ以上悪くなれば命の危険すらあるという。


 ――ペネロペを殺し損ねたからか。


 きっかけとなることで思いつくのはそれくらいだ。

 この状況になって、こちらに求められるのは“今よりももっと迅速で確実な解呪”――、それを実現する方法は一つ、直接接触で解呪に当たること。

 疑惑の屋敷にペネロペを連れていき、そこで解呪をする。そんなの罠にかかりに行く間抜けでしかない。


 今にも頭を抱えそうな荊の隣で「はい」とアイリスが真剣な顔で挙手をした。


「私を連れて行ってください」


 福音。首輪を外した奇跡の力を思えば、その提案は無下にもできないものだ。

 しかし、一度は求婚された身であるアイリスを屋敷に連れて行くなど、新たな犠牲者になりかねない。

 荊は嫌々と顔を歪め「正直、連れて行きたくない」と素直な気持ちを吐き出した。


「そ、そうだよ。危ない。アイリス、屋敷の人に目をつけられてる」

「それでも、私にも二人のお仕事、手伝わせてください。これ以上、不幸になる人を増やしてはいけません」

「それはそうなんだけど」

「私じゃ呪いは解けなくても、力にはなれるはずです」


 救命措置という一点でのみ評価すれば、確かにアイリスに軍配が上がる。

 荊がちらりとペネロペを一瞥し「呪い、どれだけ酷いの?」と尋ねれば、返ってきたのは「いつ死んでもおかしくない。術者の加減次第」とこれ以上なく悪いものだった。


「一番優先されるのは命を守ること。いつ亡くなってもおかしくない状態なら、私に何かできるはずです。応急処置にはなってしまいますが。どちらにせよ、解呪しなければならないのは分かっています。ですから――」


 アイリスはぐっと拳を握り、きりりと眉を釣り上げる。彼女には珍しい、勇ましい表情だ。


「ナターシャちゃんを誘拐しましょう」

「ひ、ゆ、誘拐……!?」

「はい。それなら、呪術師とも離せますし、ペネロペちゃんが直接解呪に当たることもできます」


 荊は感心した。アイリスの作戦は悪くない。むしろ、回答としては最適で、アイリスもペネロペも屋敷に連れて行くことなく、ナターシャを助けられる。


「ですから、屋敷には私も連れて行ってください」

「なんでそうなるんだよ。誘拐なら俺一人で――」

「いつ死ぬか分からない状況なら、私が接触するのは早ければ早い方がいいはずです」


 アイリスの弁舌には力がこもっていた。

 知り合いでもあり、自分の次の犠牲者でもあるナターシャに対して思うところがあるのだろう。


 荊はむっと口を真一文字に結んだ。

 アイリスの主張はその通りなのだが、彼女の身の安全が度外視されている。しかし、それを指摘したところでどんな反論がくるかは荊の想像の範疇だった。

 青年には自覚がある。自分がアイリスを危険の中で放っておけるはずがない、と。


「……分かった。無理はしないでね」

「分かりました。頑張ります」

「い、荊、いいの?」

「俺が守ればいい話ではあるし、この子もこれで結構頑固だから」


 ペネロペは大きな目にアイリスの姿を映した。

 やる気に満ちたアイリスは、話の決着がつくやいなや肩に乗り上げてきたネロに「ひとつ、ボクから離れないこと!」と初めてのおつかいに行く子供のように注意事項を言い聞かせられている。

 ペネロペからの熱視線に気付き、アイリスは「どうかしましたか?」と子首を傾げた。


「あ、アイリス、怖くないの?」


 ペネロペは自分のせいでアイリスを巻き込んでしまったのでは、と懸念していた。

 アイリスとハワード家との因縁は一通り聞かされている。朝一番に聞くには聞き苦しく、重厚な話であった。話が終わった後の重苦しい空気を、ペネロペは今にも思い出せる。


 話を聞き終わったペネロペは、アイリスをハワード家に関わらせてはいけないと思った。せっかく離れられた彼女に嫌な思いをさせることはない、と。

 しかし、当の本人はこの通りだ。


「荊さんがいるなら怖いことなんてありません」


 人生を狂わされたといってもいい相手の巣に飛び込むにしては、随分と気楽な様子である。


「まったく、アイリスは。そうやって持ち上げとけば俺が言うこと聞くと思って」

「ち、違いますよ!」

「単純な荊が悪いんでしょー? すーぐ、可愛いから許すとか言うんだから」

「人聞きの悪い方向で話を進めないでください! 違いますよ、ペネロペちゃん! 私は純粋に信頼をしてですね――」


 わあわあと一生懸命に言い訳をするアイリスをペネロペはぽかんと口を開けて見ていた。

 彼女には驚きだったのだ。

 荊もお人好しの部類だと思っていたが、アイリスもまた同じ部類だった。自分のためにではなく、人のために手を差し伸べるのだから。


「とにかく、私もナターシャちゃんのためにも、ペネロペちゃんのためにも頑張ります!」

「? 僕の、ため?」

「友達が困っていたら、助けたいんです」


 荊はこの台詞を聞いてようやく合点がいった。

 アイリスがらしくもなく協力の主張をしてきたのは、ペネロペのためだったのだ。

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