第11話 ドラゴンの住む森
ルマは臨海の街である。街の入り口に掲げられた”ようこそルマの街”と書かれた看板は海風によって傷んでいた。
右を見れば遠くに海が見え、左を見れば段々と木々が増えていき、その先が鬱蒼とした森となっている。舗装されていない地面は砂っぽい。
「しかし、どうやって魔力の主を追うんだ」
「特徴的な魔力でした。同じ魔力の反応が別の位置にあったので、遠隔で力を使っていたんだと思います」
「……場所は?」
「この方角です。そんなに離れてはいないのでこのまま行きましょう」
荊は延々と続いているような深い森の方向を指さし、先導して歩き始めた。
移動手段は徒歩である。
二人は何の対策もなしにユンの元に行ったことを反省していた。街の領主が相手ということもあり、どこにどんな目があるか分からない。少なくとも、騎士団の中に裏切者がいるのは確かだ。
関わった相手がいるたびに悪魔を護衛につけるわけにはいかない。となれば、おのずと二人行動の徹底がされた。
「後ろの、どうしますか?」
「しばらく泳がせる。我々を始末するための尾行なのか、確保しようとした我々を暴行犯にしたてる囮なのか分からないからな」
気配は荊たちの後ろにあった。近すぎず、離れすぎず、ドルドの屋敷を出てからずっとだ。
荊はセルクの意見を受け入れた。手を出すにしたってこれから行く森の中の方がいろいろと都合がいい。
二人は呪術師を探すため、森へと足を踏み入れた。
樹海。薄暗く、わびしい。ひんやりとした空気が漂っている。どこを見ても同じような景色。ルマの街からそう離れていないのに、世界から隔離されてしまったかのようだ。
「静かな森ですね。こぞって命の気配を隠してるなんて」
「……お前には何が見えてるんだ」
「内緒です」
先の見通し通り、目的地はあまり遠くない。もうすぐだ、と言うところで荊は足を止めた。自然とセルクの足も止まる。
「どうした?」
例の魔力の持ち主がいるのはこの先であるはずなのに、目に見える情報がそれは違うと言っていた。
行く先には立派な木と気ままに生え広がった草しかない。
四方八方、どこを見ても緑である。枝葉に遮られてた木漏れ日は決して明るくはなく、木の幹が重なって視界も良好とはいえない。それでも、決して道を間違っていない自信が荊にはあった。
「呪術師に隠れられたみたいです」
「隠れた?」
「ええ、本当に目と鼻の先にいるんですが」
言われた方向を確認し、セルクは小首を傾げた。
目と鼻の先にあるのは樹海の緑である。しかし、セルクは荊を疑うことはしなかった。おおよそ理解の出来ない異能を使いこなす彼がそういうのならば、何かしらはあるだろう、と思ったのだ。
すっと目を細め、あたりを警戒する。
そうして、セルクは緑の中に黄色の宝玉を見つけた。
人間の頭ほどはありそうな大きな黄色の宝石。その中心には黒い縦の亀裂が入っていて、まるで稲妻を閉じ込めたようであった。
黒の雷が落ちる。
「――っ、セルクさん!!」
荊はじっと宝石を見ていたセルクの腕を取ると後ろに飛び退いた。
轟音。
先ほどまでセルクの立っていた地面は抉り取られ、宝石とセルクを結ぶ道の木々が薙ぎ払われていた。ばきばきと木が折れ、木くずが弾け飛び、差し込む陽の光に当てられて輝く。
セルクは目を疑った。
ほんの数秒前までは絶対に植物しかなかったはずなのである。それなのに、そこにいるのは森と同じく深い緑の色をした鱗を持つドラゴンだった。
「ドラゴン!? なぜこんな街の近くに――」
「セルクさん! ぼけっとしないで!」
地を揺らし、空気を動かす咆哮。
ぎらぎらと輝く黄色の宝石――ドラゴンの目玉はセルクに照準を合わせている。
森の中に隠れるにはぎりぎりといったくらいの巨体だ。先ほどまで荊たちの歩いていた森では、所狭しと木が乱立して歩くこともままならないような大きさ。
太い四肢を素早く動かし、セルクに向かっていく牙。図体の割に俊敏だ。剣を引き抜き、騎士はドラゴンと対峙する。
傍ら、荊は脅威に注意は向けながらも当たりを窺っていた。
――一体、どこに隠れてた? まったく気配もしなかった。
「? ……景色が変わってる」
荊は辺りの景色の変化に目を目を見開く。
緑に囲まれていることに変わりはないが、どうにも視界が開けていた。密集していた木々がなくなり、代わりに何百年も生きているのではと思えるほどの巨木が数本立っている。
荊ははっとして後ろを振り返った。当然のように今まで歩いてきた獣道ではない。
「目隠しされて、迷い込まされた」
ぞわりと荊の肌を怖気が這い上がる。久しぶりの感覚だった。
音もなく手を打ち鳴らす。
「ヘル」
大鎌を握り、荊は地を蹴る。
彼の心の中にあるのは、相手の術中にはまったことへの恥ではなく、ちょっとした興奮だった。元の世界で仕事をしている時でもこんなに間抜けに騙されたことはない。
不謹慎ながらも、魔力の主に俄然興味が湧くというものだった。
とはいえ、ドラゴンが姿を現してしまった時点で敗者は決していた。姿を隠したまま、気づかれる前に荊を殺す。それができなかったということは相手側が負けたということだ。
荊は大きく振り上げた鎌でドラゴンの首を狙う。
どれだけ骨が太く、肉が詰まり、厚い皮に覆われていたとしても、死神の大鎌の前には斬首されるだけの罪人だ。
ドラゴンは向けられた殺意に身体を震わせた。殺されてしまったと生きている本能が理解する。
「殺すな! ミミックドラゴンだ! 絶滅危惧種だぞ!!」
荊はセルクの言葉に慌てて切っ先の軌道を修正した。ドラゴンスレイヤーになり損ねた鎌は長寿の巨木を切り落とす。断面からずるりと滑った木の上部が騒音とともに森の一部を潰した。土煙が巻き起こり、視界を濁らせる。
切り落としたばかりの巨木の上に着地した荊はばっとセルクへ顔を向けた。彼女の表情は驚愕と焦燥を混ぜ合わせたものだ。
「魔物じゃないんですか!?」
「貴様の目は節穴か!? 魔物と動物の区別もできんのか!」
荊はくるくると鎌を回して構えなおした。ぱしんと音を立てて革手袋をした手に柄が収まる。
「んなこと言われてもな」
荊はちらりと殺し損ねた獲物を見やる。
緑の鱗をしていたドラゴンは、その身体のところどころを地表の茶色の色にしていた。擬態能力があるらしい。
身体はどっしりとしていて、背中には申し訳程度に翼があった。とっくに退化しているであろうそれでは空は飛べなさそうだ。
改めてまじまじと観察しても、荊には魔物――悪魔にしか見えない。
「セルクさん、周り気をつけてください」
「ちっ、騒ぎに集まったか」
いつの間にかドラゴンとは別の生き物たちが木々に隠れ潜んでいる。
姿は見えないが敵意は分かる。一番に殺意に満ちているのが唯一、姿を見せているミミックドラゴンだ。弱肉強食。彼がこの一帯の主らしい。
「式上、立て直そう。この数に襲われては――」
「必要ありませんよ」
荊がぎろりと周囲を睨み付ければ、集まっていた命たちはぞぞぞと這い上がる悪寒に身体を震わせた。動いたら殺す、という命令。
びたりと空気が凍った。
ヘルが力を使ったのではない。一瞬、この場にある命あるものすべてが息を止めたのだ。セルクも例外ではなく、ひゅっと喉を鳴らして荊に視線を向けた。身体は動かせず、眼球しか動かない。今のが人間に出せる威圧だというのか。
正しい呼吸に戻れたのは、セルクとミミックドラゴンだけであった。
「さすがにこのレベルは黙ってくれないか」
荊はとんとんと軽快な足取りでドラゴンとの距離を詰める。外野からの横やりは一切ない。
簡単にドラゴンの目前にやってきた青年はにこりと口元に弧を描いた。大きな瞳が小さな人間を捕え、ぎょろりと動く。
「俺、この森の奥に行きたいんだけど」
返されたのは地鳴りのような咆哮だった。
決別。
ならば、手は決まっている。
荊は大鎌を手放し、ぱちんとわざとらしく指を鳴らした。すると、ばきばきと乾いた音を立てながらドラゴンの身体が凍り付いていく。正しくはドラゴン自体が凍っているのではなく、その周りに氷の膜を作っているようだ。
すぐに身体全体が氷に覆われ。ドラゴンの表皮の色も白へと変わった。黄色の目の色だけは変わらず、ぎょろぎょろと動いて荊を窺っている。
「大丈夫、俺は君が守るものに何もしないよ」
荊はとんとドラゴンの鼻先を叩く。
叩いたところから氷の膜にひびが入り、崩壊していった。剥がれ落ちた氷は雪のように宙を舞い、きらきらと森の中で輝く。幻想的な光景だ。
「約束する」
場にそぐわず、荊はにこにこと愛想よく笑って見せた。
もはやそれは傍から見れば脅迫である。荊が手を差し出すと、ミミックドラゴンはそっと鼻先をこすり当てた。
それから、すっと身体を引くと森の中へと戻っていく。後から来た命たちも彼について去っていった。
静かになった森で荊は「行きましょう、セルクさん」と未だに剣を構えたままの騎士へと声をかける。
セルクは黙ったまま、ゆっくりと鞘に剣を戻した。
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