第12話 瑠璃色の羽の呪術師

 派手に倒壊させてしまった森を背に、荊は何事もなかったかのように歩き出した。先ほどまでは見えていなかった建物がある。


「随分質素な小屋だな。馬小屋か?」

「……いえ、人が住んでる家だと思いますけど」


 みすぼらしい杣小屋そまごやではあるが、それでも荊とアイリスが住居にしている島の小屋よりはしっかりした建物である。それを馬小屋扱いされ、島の小屋の立て直しは急務だな、と荊はぼんやり考えたが、その希望はすぐに頭の隅に追いやった。

 今はそれどころではないのだ。


「ということはあの小屋だな?」

「ええ。例の魔力の持ち主――、呪術師がいます」


 荊は柄にもなく高揚していた。

 一体、どんな技を使って呪術師は荊たちの目を塞いだというのか。呪いをかけられる――魂に触れられるようなことがあれば荊は気づく。それができなかったということは、外界からの干渉で呪いの一端を受けたということ。

 敵なしの悪魔使い”死神”として、たくさんの悪魔の力を見てきたがそれと比べても特殊である。夜ノ森家の機嫌以外で危険に晒されることなど一生ない、と思っていた荊には新鮮な経験だった。


「正面から行くのか?」

「下手に裏をついて罠を仕掛けられていたら厄介ですし、腕っぷしには自信あるので」


 そう言われてしまうとセルクは抗議の声を呑み込むしかない。とはいえ、先ほどの一戦を見ていれば不安もなかった。


「すみません」


 荊は山小屋の扉をノックし、返事を待つ。

 しかし、帰ってくる言葉はない。代わりにがしゃんごしゃんと衝突音と落下音が激しく響いた。

 留守のようですね、というわけにはいかない。


「こんにちは」


 許可もなく小屋の扉を引き開け、中を覗き込む。

 耳に聞こえていた通りにものが散乱していた。外観に反して、ごちゃついた部屋だ。荊の目にはがらくたに映るものばかりで溢れている。

 人影はない。


「お邪魔します」


 隠れたところで荊にはお見通しである。

 セルクは出入口の前で止まり、剣の柄に手をかけた。逃げ道を塞ぐには十分だ。

 散らかった部屋の中、荊はくすんだ金色の額縁に入った大きな絵を手に取る。それをどかすと後ろには縮こまった小さな身体があった。

 魔人の女の子。


「で、ででで、出て行け……!」


 荊は彼女の姿に目を奪われる。

 背中からは瑠璃色の羽が生え、下半身は二足歩行でありそうだが作りは鳥の足だ。白い羽毛から黒の細い足が続き、あしゆびがある。

 くすんだ金髪に羽と同じく瑠璃色の瞳。黒のローブに身を包んだ少女は今にも泣き出しそうだ。想像よりも随分と若い、というより、幼い。


「ろ、ろん君を、ど、どど、どうした」

「ろろんくん? 君が呪術師だよね?」

「ひ、う」


 泣いた。

 荊は両手を上げ、少女から一歩、二歩と遠ざかる。無抵抗を示すそれであるが悪魔召喚を戦う術にしている荊がしたところであまり意味はない。


「ごめんなさい。急に押し入って悪かったよ」


 口ではそう言いつつ、荊は眼を開いて魔力を確認した。廉直な心の在り方を表すような清い魔力。それも相当に強い。やはり、彼女が探していた魔力の主に間違いない。

 魔人の少女は涙に濡れた目で荊とセルクを睨みながら、がたがたと震えていた。顔を真っ青にそめ、かちかちと歯を鳴らしている。魔力こそ強いが腕っぷしはひ弱そうだ。


 改めて部屋を見ると、驚きに散らかす以前に小汚かったことが分かる。本棚、飾り棚、収納棚とものを片付けるためのスペースは確保されているのに、正しくは使われていないようだ。本棚には縦に横にとされた本ががさつにつっこまれ、床には色とりどりの妙な仮面たちが平積みにされている。


「君に危害を加えるつもりはないんだ。話を――」


 荊は言葉を止めると、ばっと出入口へと顔を向けた。セルクも背筋に走った悪寒に小屋の外へと身をひるがえす。


「――っ!」


 ぬぼうと人間の女が立っていた。屋敷からずっと後ろをつけてきた気配の持ち主だ。

 どうやってここまで足音もなく接近したのか、セルクの真後ろに張り付くようにしている。


「この――ッ!」


 セルクは女の足を払い、躊躇いなく女の身体へ乗り上げた。暴力的な音は攻撃が通っていることの証明であるが、女はうんともすんともいわない。

 濁った目には何が映っているのか。ただただ不気味だった。

 セルクは女を組敷き、首元に剣を押し付ける。


「何故、私たちの後をつけてきた?」


 女は何も話さない。それどころか抵抗する様子もなく、ただ動きを制されたままで身じろぎもしなかった。

 服装は特徴のない服装で街にいては雑踏に紛れてしまうだろう。


「く、傀儡人形……!」

「え?」


 小さな小さな声。

 荊が声の方向へ振り返ると同時、背後から少女が飛び出す。呪術師の少女はかしゃかしゃと足音を立て、セルクに押し付けられた女の傍にしゃがむと、無遠慮に顔を掴んだ。


「お、おい」

「すごい。完璧」


 困惑するセルクをよそに、少女はぺたぺたと女の身体を触る。荊は「どういう技術なの?」と首を傾げた。


「これ、傀儡人形」


 少女は興奮を隠しきれない様子だ。つい数秒前までこの世の終わりに対面していたはずなのに。今や瞳は好奇心に満ちていて、鼻息は荒く、言葉もはっきりしている。背中の羽も少し開かれ、ふわふわと揺れていた。


「呪術の組み合わせ。生きた動物を意のままに操る」


 彼女の口からでた説明が思いのほか凶悪だった。

 荊は傀儡人形と言われた女に近づき、少女の後ろから覗き込むようにその魂を見やる。魂は目に見えない透明の檻に囚われているようだった。本来ならば、強弱はあれど魔力がたゆたうように魂を覆っているのだが、それが不自然に押し込められている。


「俺、呪術って詳しくなくて。呪術ってそういうこともできるの?」

「できる。けど、難しい」

「どれくらい?」

「どれくらい……。ええと。うんと。クジラを森で飼う……、くらい?」


 セルクと荊は閉口する。難解なたとえ話だが、現実にはあり得ないことが起きる程度には難しいということなのだろう。

 では、なんでそんな稀有な状態になっている人間がここにいるのか。


「呪術って魂に傷をつけることだよね?」

「? そんな言い方する人、初めて。人を対象にした呪術は身体の一部を元に、命に関与して、状態異常を引き起こす――ひゃわ!」

「え?」


 ぐるんと首を回した呪術師の少女は、近づいていた荊に今更気づいたらしい。ばっと瑠璃色の羽を大きく広げた。


「ち、ちち、近。は、離れ――」

「そう?」


 荊はまた降参のポーズをとり、そのまま後ろに歩いた。適当に離れて「これくらい離れれば大丈夫?」と尋ねれば「は、はひ」と弱々しい肯定が返される。

 それから、少女ははっとして後ろを振り返り、自ら近寄ったというのにセルクと傀儡人形の存在に驚き、その場で「びゃあ!」と大きく飛び上がった。忙しない。


「自己紹介がまだだったね。俺は式上荊。ギルドの人間、ほらギルドカード」


 荊はぽんと大切なカードを投げ渡し「そちらはセルク・エディクスさん。騎士だよ」と女を組敷いたままの騎士を紹介した。セルクは呑気に自己紹介をする相方と怯えて小さくなった少女とを見比べた。


「これが本当に探していた呪術師なのか? それにしては――」


 言葉が途切れる。

 そこにいるのは脆弱な魔人の少女。偏見だとしても、人に呪いをかけるようには到底見えなかった。


「ええ。彼女がナターシャさんの呪術師です」

「……は? 呪いを、解こうとしている?」

「はい。実は呪いをかけた人間の魔力は見て取れなかったんです。俺に見えたのは呪いを解くために働いていた魔力。彼女がその持ち主」


 荊が見たナターシャの魂には透明の杭が刺さっていた。そして、それを引き抜こうとしていた魔力もまたまとわりついていた。

 その持ち主こそが、森の奥に住む魔人の少女であった。


「ナターシャさんを寝たきりにしている呪術師は、セルクさんの下にいる傀儡人形の呪いをかけた呪術師です」


 ナターシャ魂に刺さった杭と、傀儡人形の魂を囲う檻。同じ魔力の痕跡。どちらも荊の目に判別できないほどの魔力の強さ、クジラを森で飼うくらいには難しいことをする技能、そんな呪術師が同時に二人いるとは考えにくい。


「そうでしょ?」


 荊は呪術師の少女に問いかけた。披露した推理が合っているかどうか。

 唖然としていた彼女はひゅっと喉を鳴らしながら、ゆっくりと確実に頷いた。

 魔人の少女は怪訝に荊を見上げている。


「俺たち、その呪術師について話が聞きたくて君を訪ねたんだ」

「……お、お兄さん、呪い、見えるの?」

「ううん、呪いが見えるっているか、魔力が見えるの方が近いかな」

「ど、どうやって!?」


 少女はきらきらと瞳を輝かせ、荊へ駆け寄った。

 先ほどの呪術人形にしていたようにぺたぺたと身体を触り、荊の力を感じ取ったのか「す、すごい! こんなに魔力が強い人、初めて見た!」と感動を叫ぶ。再び、恐怖心はどこかにやってしまったようである。

 ばっと顔を上げた少女は、荊の近さを認識し、はっとして退いた。

 荊は気分を害された様子もなく、人の好い笑顔を浮かべた。彼の目にはちょこまかと動く小鳥にしか見えていないのかもしれない。


「改めまして、俺は式上荊。君のお名前は?」

「ぼ、僕は――、ペネロぺ。ペネロペ・ドス。か、解呪専門の、呪術師」


 おずおずとされた自己紹介。荊とセルクはペネロペの自称した肩書を自然とオウム返ししていた。

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