第10話 平穏の裏側
「保護された女の子たちは、そのままどこかに行っちゃう。お金をもらって街の外で幸せに暮らしてるとか、勉強のために学校に入ったとか聞くんだけど――」
「実態は分からない?」
「本当にそうなのかも、嘘なのかも分かんない。ただ、もう会えなくなるっていうのだけは本当」
そんなの誘拐事件ではないか――、そう考えたのは聞き手二人、同意見のようだ。セルクなど今にも噴火しそうである。
どれくらいの頻度で保護が行われていたかは分からないが、身寄りのない人間にターゲットを絞っているあたり、狡猾さがうかがえた。身寄りがなければ、行方不明だと声を荒げる人の数は格段に少ないだろう。訴えたところで、別の場所へと移ったのではないかと片付けられてしまいそうである。
「アイリスも身寄りがなかったから保護の話がきて。でも、アイリスは嫌がってたの。保護されなくても一人で大丈夫って」
「でも、彼女、保護されたよね?」
「……アイリスの不思議な力のこと、知ってるでしょ?」
荊はむと口を噤んだ。するりと自分の首を撫ぜる。もう首輪をしていた頃の感覚を忘れそうになっていた。
「知ってる。それで命を助けてもらったから」
「……私と一緒だね」
ユンは「私も死ぬかもしれないって時に、アイリスに助けてもらったの」と涙をこらえるようにして続けた。一家揃って大号泣の原因はこの辺にありそうだ。
荊は先ほど目撃した奇跡を思い出し、はっとして「さっきの花が燃えなかったのも」というとユンは控えめに頷いた。昔、アイリスが内緒だよと燃えない花を見せてくれたそうだ。
「そのことをお屋敷の人に言われて、アイリス――、あの子、保護されたくて行ったんじゃないよ。その力のこと言わないでってお願いしに行ったの。そしたら――」
「帰ってこなかった」
「うん……」
「俺、力のこと詳しく知らないんだけど、ユンちゃんは知ってる?」
「私も詳しくは……。あ、でも、神父様なら知ってるかも!」
「神父様?」
「うん。アイリス、神父様にも保護のこと相談してたから」
神父、といえば、教会。教会、といえば、アイリスを金で買おうとした輩。荊はこめかみに青筋を浮かべた。やはり、屋敷と教会は無関係ではない。
アイリスのためにもこの件は徹底的に根底からどうにかしなくては、と決意を新たにする。
「他にアイリスが相談してた人に心当たりはある?」
「いないと思う。アイリス、力のことは本当に内緒にしてたから」
「分かった」
ユンの言い分は正しそうだが、アイリスの愚鈍な優しさを思うと、彼女の意図しないところで力の話が漏れていることはありそうだ。
しかし、有象無象のあぶり出しは後回し。まずは直接に彼女に害を与えた人間の片づけからである。
「話は変わるんだけど、ナターシャさんって女の子のこと知ってる? ユンちゃんよりも年下だと思う。プラチナブロンドの」
世間的にはこちらが本題である。
かたんと隣の席でセルクが足を揺らした。聞き覚えのない話ばかりのうえ、それはすべて悪い話。気分も悪いし怒り心頭なのだろう。
言葉を止めているのはセルクの最後の抵抗のようである。一言でも、一音でも声を漏らしてしまえば、この世のすべてを罵倒し始めそうである。危険な爆発物のようだ。
「え、うん。知ってるよ。よくお店に来てたから」
「実は彼女、今、屋敷に保護されてて――あ、今更だけど、俺、式上荊って言います。ギルドの人間で、お仕事であの屋敷をセルクさんと調べてる」
荊は今更ながらに自己紹介をすると、すっとギルドカードを差し出した。ユンは身分証とセルクと荊を順番に視線で追い、おずおずと頭を下げた。どうやら何者かは気になっていなかったようだ。
その気の抜けた警戒心の低さがアイリスに似ていて、荊はくすくすと仕方がなさそうに笑う。しかし、ことによっては笑い事では済まされないので一言注意を添えた。
「ナターシャさんも身寄りがなかったって聞いたんだけど」
「確かに身寄りはなかったけど、結婚するためにこの街に来たって」
「結婚? 相手は?」
「う、ごめん、それは知らない」
結婚をするにしてはまだ年齢が若すぎると思うが。
「領主様かもってことは?」
「そんなのあるわけないじゃん!!」
ユンはぎゃんと叫ぶと、勢いで立ち上がった。
その驚きに荊とセルクは瞬く。店にいる客たちからも視線を集めているの気付き、ユンは気恥ずかしそうに座りなおしたが、荊の言葉に苛ついているのは隠せていない。
「あの変態!!」
隠してはいないようだ。
それから彼女の口から出たのは感情に任せたドルドの悪口だった。女とあれば見境ない。見ては笑い、近寄れば触り、騒げば金で黙らせる。それも被害者を買収するのではなく、金で雇った悪党に嫌がらせをさせるという何とも姑息なやり口だった。
荊はその聞くに堪えない話を聞きながら、ゆっくりと横目で隣に座る女を見やった。漏れ出した怒気はもはや熱を感じるレベルである。
このままではセルクが店内で爆発しかねない。
ユンから聞ける話は聞いたし、そろそろ切り上げ時だ。想定より長くなってしまったが、まだまだ昼の時間である。
「長居してごめんね。そろそろお暇するよ」
「待って、荊さん! 今、アイリスに手紙の返事を――」
「その必要はないよ。今度、本人を連れてくるから」
荊はにこにこと楽しげに笑った。ユンと再会したアイリスを想うと勝手に口元が弧を描いていた。彼女を幸せにするのが荊の幸せでもある。
ユンはせっかく泣き止んだ瞳を再び涙に濡らした。
「っ――! 約束よ! 絶対ね!」
「うん。約束」
泣き笑う少女に荊は「一つ、魔法をかけてもいい?」と尋ねた。
「魔法?」
「そう。俺たちに話してくれたことで、お屋敷の人に目を付けられてしまったら申し訳ないから。このお店を守る魔法」
聞かせてもらった話を総括すれば、ドルドは色欲狂いで手回しのいい老人だ。ユンがドルドに不利な話をしたことが伝わってもおかしくない。そうなれば、この店に被害が及んでしまう。
それだけはあってはならない。
セルクも「巡回か警備か、何かしらの対策はとる」と震える声で宣言した。怯えての震えではない、怒りの頂点を越えての震えである。血管の一つ二つはぷちんとやってしまっていそうだ。
「あ、ありがと。そんなこと考えてなかった」
「むしろありがとうはこっちだよ」
「荊さん、魔法使いなの?」
「ううん。でも、特別の魔法が使える」
荊はぱちんと手を打ち鳴らすと「スカーレット」と名を喚んだ。今は島で留守番をしている赤い妖精の名前である。
スカーレットは荊の上着のポケットの中に現れた。手のひらサイズである妖精であるからこそこっそりと召喚ができる。ネロとは違った利点だ。
「街の平穏を脅かして、ユンちゃんと家族とお店に悪いことをしようとする人間が片っ端から火だるまになる魔法だよ」
ぽんと荊が温かくなったポケットを軽く叩くと、その中でスカーレットは敬礼をした。その姿は隠されていて誰の目にも見えてないが、了承の声が荊の耳にだけ聞こえていた。これでユンの家の対応はいいだろう。
ユンが小さな声で「火だるま……?」と怪訝にしているが、荊は笑顔で押し通した。
荊とセルクは大量のパンを持たされ、一家総出で見送られてパン屋を出た。パン屋の入り口に掲げられた電灯には、敬礼をする赤い灯火が寄り添っている。
店が見えなくなったところで、セルクはおもむろに道路の脇に寄ると地団駄を踏んだ。地面を舗装していた石が礫になって跳ね上がる。綺麗に足跡が付き、荊は素直に慄いた。足を地面に何度もめり込ませ、唸る姿はおおよそ理性的ではない。
しばらくして、気が済んだのか、セルクは不機嫌ながらも荊の元へと戻ってきた。
「すみません。パン屋に寄るのはちょっとのつもりだったんですが」
「いや、有意義な話を聞けた」
ぐるぐると喉を鳴らす野獣は「私に話が上がってこなかったということは、身内に裏切者がいるということだ」と苦々しく吐き捨てた。
荊はそれが意外だった。てっきり、彼女は悪をせん滅する騎士団に悪者などいないと主張するかと思っていたのだ。
「式上」
「はい」
「アイリスとは、アイリス・オーブシアリーのことか?」
この時、荊は初めてアイリスのファミリーネームを知った。
「そうです。知ってるんですか?」
「知らないわけないだろう。自ら死神の生贄となると申し出た娘だ。余計な仕事を増やしてくれた迷惑な娘――そう思っていた。先ほどまで」
今日、何度目か分からない歯を食いしばる音。
「あの男……! 身寄りのない娘が生活苦であるのをいいことに手籠めにしようなどと……!」
荊は恨み言を連ねるセルクを見つめながら、ぼんやりと彼女は生きにくそうだと思った。アイリスとは違った意味で清い。今日初めて会って、ほんの数時間しか一緒に居ないが、荊は彼女のためにもこの事件を解決するのに尽力しようと決めた。
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