第9話 友達からの手紙

「セルクさんって、俺のことどれくらい聞いてるんですか?」


 彼女からあれこれ問いただされないということは、同行人として認められる程度には認識されているのだろう。しかし、ダニエラに激昂していた彼女の様子を思い起こすと、死神を名乗る荊もこの街の住民の平穏を脅かす存在なのではないだろうか――そう思えて、荊はセルクに尋ねた。


「ラドファルール卿はお前を死神だと言っていた」

「ええ、そうでしょうね」

「聞いた時はまたふざけたことを言い出したと思っていた」

「はは」


 乾いた笑いも漏れるというものである。

 通り名にするには物騒だ。


「ラドファルール卿は死神の呪いなど嘘だとも言っていた。お前は信頼に足ると、誰が何を言おうとお前が誰かを不幸にするはずがないと」

「それは買いかぶりすぎですね。なんでまたそんな仰々しいことを」

「お前は人間に恋をしているから」

「ん――」


 荊はきゅっと喉を締めた。

 初めてあった日にそんな話をした覚えはあるが、自らそう宣言したことはない。

 それこそラドファルールの悪ふざけだろうと反論しようとしたが、思いのほかにセルクが納得顔でいて、荊は口を開けなかった。それで信用したというのか。


 訂正してもいいが、深掘りをして異世界の出生や悪魔の力の話なんかに飛び火したのでは本末転倒である。ちょっとしたメルヘンだと勘違いされている分にはいいか、と荊は甘んじて人間に恋する死神のレッテルを受け入れた。

 沈黙を肯定ととったのか、セルクはやはりなという顔で頷いている。


 屋敷から出た道を真っすぐ行くと商店街に繋がっている。肉屋や八百屋、食材に関する者がまず並び、次に菓子やパンなどの食品、それから煙草やお茶などの嗜好品と順に並んでいる。

 その道をもっと進めば、街の外に出ることができた。

 首都に比べればどうにもこじんまりして感じられるが、活気がないというわけではない。行き交う人々はセルクの姿を見ては挨拶をしたり、畏怖したりと忙しそうである。その隣で荊はきょろきょろと看板を眺めていた。

 そして、お目当ての看板を見つけ足を止める。パン屋だ。


「おい、魔力の主を追うんじゃなかったのか」

「この街の外にいるみたいなので、出る前におつかいを済ませようと」

「おつかい?」

「ついでに、遅くなりましたがお昼ごはんにしましょうよ」


 賛同を待たずに荊は店の扉を押し開けた。

 昼時を過ぎた店内に客はいない。夕方の繁忙時に向けた焼き足しているところなのだろう、パンの焼ける香ばしいにおいが広がっていた。

 からんからんとなったドアベルに、ぴょこんと店の奥から少女が飛び出してくる。二つに結ばれたおさげが揺れ、麦のようだった。


「いらっしゃいませー!」

「こんにちは」

「邪魔をする」

「わっ! セルク卿! こんにちは!」

「む」


 制服を着ているせいもあるだろうが、やはり騎士は目を引くらしい。

 ぴっと背筋を伸ばした少女は「ごゆっくりどうぞ!」と朗らかに声を張った。元気な子である。


「そっちは見ない顔だね、旅の人?」

「首都から仕事できたんです」

「そうなんだ! うちのおすすめはね――」


 愛想の良くする少女が商品の紹介を始めようという時、荊は「君がユンちゃん?」と今朝に聞いた名前を口に出した。

 少女は言葉を呑むと、きょとんとした顔をする。


「そうだけど……」

「これ、君へのお手紙」


 荊はアイリスから預かった手紙を差し出した。丸い文字で書かれた宛名の面を上に渡せば、少女は不思議そうにしながらもそれを受け取る。当然、差出人は誰だ、と裏面に返し、ぎょっと目を剥いた。


「――っ!?」


 はくはくと口を開閉し、息もできないとばかりに驚いている。それから手紙と荊を見比べ、急に視線を鋭くしたかと思えば、手紙を持っていない方の手を、荊の頬目掛けて思い切り振りぬいた。

 ばしんと強烈な打撃音が響く。


「最低! 亡くなった人の名前を語るなんて!」


 荊は叩かれた頬を押さえながら「いえ、本当に本人から。こちらもどうぞ、彼女から君へって」と鞄からかすみ草を取り出した。

 潰しても大丈夫、というアイリスの助言の通り、花は生き生きと咲き誇っている。小さな白い花の揺れるそれを差し出すと、少女は今度こそ絶句した。


 震える手でかすみ草を受け取る。それから、その花の一つを人差し指ですくうと親指を押し付けて潰した。

 驚いたのは荊だ。

 疑わしい贈り物だとして、そんなことをするのか。

 しかし、ユンの視線は真剣そのもので、一つ一つ花を潰しては元に戻るところを観察している。

 彼女の動向を見守っていると、次はどこからか取り出した魔石を花にかざした。その魔石を荊は知っている。ランプに入っている炎の魔石だ。

 今度は花を燃やすつもりである。


「もらった花を潰したり燃やすのが、この街の習わしか何かなんですか?」

「そんな狂気的な習慣はない」


 荊が思わず言葉をこぼすと、隣にいたセルクが彼の感覚が正しいことを教えてくれる。荊と同じく、彼女もユンの行動に引いていた。

 せっかくアイリスがくれた花なのにな、と思いつつも、荊はユンの好きにさせていた。

 ぽっと小さな音を立てて魔石から火の粉が飛び出す。


「え?」

「何?」


 火の粉はかすみ草へとまとわりついているのに燃えようという気配がない。ただ小さな炎の欠片が、小さな白い花を照らしているだけ。

 全員が燃えないかすみ草に釘付けだった。

 火の粉が止み、からんと乾いた音がする。魔石の落ちた音だ。次いで、ぼろぼろとユンの瞳から涙が零れ落ちた。荊を見つめる目に猜疑はなくなっている。


「あっ、アイリスは無事なの!? し、死んじゃったんじゃ――」


 言葉を詰まらせたユンに、荊はふるふると首を振って否定を示した。


「彼女、この街では死んだことになってるの?」

「死神の生贄になって、もう帰ってこないって……」


 ――まあ、そういうことになってるよなあ。

 アイリスが死神の生贄になり、それを救出に行った男たちが無残な姿で戻ってきた。これがこの街の住民たちの認識だろう。

 死んでいなくても、死んだと思って諦めろ、という心持ちだったのかもしれない。

 荊は努めて優しく微笑む。


「大丈夫、あの子は元気だよ」


 ユンはとうとう顔を覆い隠し、酷く嗚咽を上げた。大泣きをし始めた少女を前に荊とセルクは立ち尽くす。荊はアイリスはいい友達をもったな、と保護者目線で微笑ましくしているが、セルクは何が何だか分からず、わたわたと慌てている。


 そうしているうちに店の奥からユンの母親が出てきて、目の前の惨状に悲鳴を上げた。それもそうだろう。謎の青年と騎士に娘が泣かされているようにしか見えないのだから。


 それからは、ちょっとした騒動だった。

 ユンが泣きながら「アイリスが生きていた」という言葉を聞いて、母親の方まで泣きだしてしまったのだ。最後には父親も出てきて、母親の二の舞になり、心優しい親子がおいおいと泣くのを荊とセルクは黙って見ていた。


 ぐずぐずと鼻を鳴らすユンに店内の飲食スペースへ誘導されたのは、別の来客があってからだ。ユンの両親の心遣いによって、三人は一つのテーブルについている。


「ごめんね、なんか」

「ううん、アイリスが生きていてくれて本当によかった。あんなにいい子が生贄になんておかしいもん」


 へらりと笑ったユンは心底ほっとしているようだった。この顔をアイリスに見せてやれないのが残念だな、と荊は眉を下げる。

 すっかり蚊帳の外であるセルクは山積みにされたパンにかじりついていた。黙々と食欲を満たしながら、ことの成り行きを見守っている。


「ちょっと話を聞きたくて」

「話? 何の?」

「アイリスがドルド卿の屋敷に保護された時のこと、教えてくれないかな」


 ユンはドルドの名前を聞くと、顔色を暗くして顔を伏せた。ちらりとセルクを覗き見て、それからおずおずと口を開く。


「あの屋敷が身寄りのない女の子を保護してるのって有名な話なの」


 今度は荊がセルクを見る。しかし、そこにあるのは驚きの表情で、この話が初耳だと聞かずとも分かった。

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