第8話 膨らむ疑惑と一縷の手がかり
――これが呪術。魂に傷をつける行為。
ナターシャの魂は清い光を放っていた。そして、そこには大きな亀裂がある。刺し傷。中から破裂しているのではなく、外からめり込むような傷。
歪められた魂にはまとわりつく魔力があった。ナターシャのものではない、誰かの魔力が傷の部分を覆うようにしている。よく見れば、魔力は傷口には触れられておらず、そこから何かを引き抜こうとしていた。まるで魂に透明の杭が刺さっているようだ。
「確かに、呪術をかけられていますね」
荊は少女から離れるとううんと唸った。それが分かったからといって対処法を知っているわけではない。
しかし、手がかりはある。
「ナターシャさんの魂に彼女のものではない魔力の痕跡があります。この主を追いましょう」
「魔力の痕跡? 追いましょう? そんなこと可能なのか??」
「ええ。できます」
魔力の主が何者か分からないが、危険に飛び込む価値はある。ここでナターシャを観察し続けるよりはよっぽど有意義だ。
「一体どのようにして判断したのですか? どのようにして追うのですか?」
ダニエラの平淡な声が響く。
ひやりとする空気。ぴんと張った緊張感。
ダニエラはちょっとの不正も許すまいと荊の一挙一動に目を配っている。秘密を聞き出そうというのは誰の目にも明らかだった。
「俺の異能としか」
「式上様は人間でしょう?」
「人間ですよ」
「呪術師なのですか?」
「いいえ」
確かに当然の疑問ではある。
どこか違和感があるのは、荊が呪術だと言い切った言葉を疑っているというより、肯定した上でそう判断した理由を問っているからだ。
つまり、寝たきりという異常が発生しているのが、呪術のせいだという情報はダニエラたちも持っている。荊のように魂を見る眼があるわけでもないのに。
誰がこれを呪術を見抜いたのか。
「ダニエラさん。二つ、聞かせてください。一つ、彼女に呪いがかけられていることはどうやって知ったのです? 二つ、その呪いをかけたのが死神だとどうやって判断されたのです?」
そもそも死神の呪いのせいではないのだが、この屋敷の人間がアイリスの件があってそう勘違いしているのかもしれない。その仮定は想像の範疇だ。
だとしても、ナターシャとその件とを繋ぐ糸はどこにあるのか。
「……どちらとも、判断したのはわたくしではありません」
「では、誰が?」
「お教えできません」
「――おい、ふざけるなよ! 本当に死神の呪いなんてあるのか!? 言いがかりで住民たちを不安にさせたとしたら許さんからな!!」
横暴な言い分に噛みついたのは、傍観に徹していたセルクである。ナターシャが花嫁候補であること、アイリスが求婚されていたことを知ったあたりから燻ぶり始めていたが、とうとう限界が来たらしい。
目を吊り上げ、怒りに顔を染め、ぎゃあと張り上げる声は責め立てるものだ。
次の一言によっては殴りかかってもおかしくない雰囲気である。
「セルクさん」
荊はするりとセルクとダニエラの間に分け入ると「ダニエラさんを責めても何にもなりませんよ」と正論を唱えた。
「……っ、だとしても、この女が一端を担っているのは確かだろう!? 民の平穏を脅かすものは万死に値する!」
死神の呪い。
この街には昔からあるいわゆる都市伝説のようなもの。その実態はなんの因果か孤島に集まった悪意のせいであるが、ことナターシャの話についてはわけが違う。
この話の発端はこの屋敷で起きた事件と荊だ。
アイリスと荊があの島で出会ったことが原因で噂に新しい尾ひれがついた。結果、今、荊は妙な事件の黒幕を押し付けられている。
「とにかく、魔力の主を追いましょう」
「式上!!」
セルクは納得がいかないらしい。歯がすり減ってしまうのではないかと思うほど力強く噛み締め、ぐいと荊の胸倉をつかみ上げる。
荊はされるがままに彼女に引き寄せられ、声を落として「今ここで騒ぎを起こす必要はないでしょう。依頼を取り下げられたらナターシャさんも助けられない」と囁いた。
セルクは「フーッ、フーッ」と野生動物のように息を荒げている。それでも、荊の言い分が正しいと判別する理性は残っているようで、彼女は自らを律するようにゆっくりと深呼吸をした。熱い息には苛立ちに溢れている。
ぱっと荊を解放すると、その手で拳を作った。
ぎらりとダニエラを睨みつけるセルクの視線には、悪は逃がさないという絶対の信念が感じられる。
「行くぞ、式上」
ナターシャを一瞥し、背を向けるとひらり白の制服がなびいた。
「お待ちください。お見送りを――」
「結構だ!!」
どうも癇癪を起しているようだ。
どすどすとした怒り任せの足取りは、先ほどそうして歩いていた領主の息子にそっくりで荊は思わず苦笑した。
なんと高潔だろうか。
自分のためでなく、他人のために怒る様子はどうにも眩しかった。
荊がセルクを追って部屋から出ると、横から「ぎゃあ!」と短い悲鳴とともに衝撃が横腹にやってくる。
「おっと」
「どぅわ!」
執事服の少年。
荊にぶつかってしまった少年は、足をもつれされてそのままセルクへと突っ込んだ。がしゃんと、手にしていたトレーが派手な音を立てて床に落ちる。
さすがに体幹を鍛えているのか、セルクは微動だにしなかった。転んでしまった少年の腕を取り「そそっかしいな」と軽々と持ち上げる。身体の浮いた少年は一瞬だけ呆けていたが、はっとして頭を下げた。
「も、申し訳ありません!」
「いや、俺は平気。セルクさんは?」
「こんなひょろい子供にぶつかられたくらいで何ともならん」
「だってさ。君は大丈夫?」
「はっ、はい。問題ありません」
小柄な少年は今日で会った人間の中で一番年下のようだ。
くりくりとした大きな目は涙の膜に覆われている。粗相をしたことに畏縮し、きゅうと肩を竦めていた。
「お前もこの屋敷の使用人か?」
「はい、セナと申します」
セナと名乗った少年執事は「本当に申し訳ありませんでした」と再度、大きく頭を下げる。先ほどセルクにがさつに持ち上げられたせいか、シャツの裾がズボンから飛び出していた。
そして、その奥に見えた色に荊はすっと目を細める。
シャツの裾を掴むと、びくりとセナの肩が震えた。不躾だったな、と荊はすぐに手を戻す。しかし、見なかったことにはできない。
「……あの?」
「その怪我どうしたの?」
「え?」
「ごめんね、見えちゃった。シャツの下、痣になってる」
びくりと身体を震わせ、セナは一歩、二歩と荊から退いた。窺い見る目には不安に陰り、恐怖が満ちている。
「これは……、その、僕、お恥ずかしながら、よく転んでしまうのです」
転倒でできた痣か、そうじゃない痣かくらい荊には分かってしまう。この怪我は後者だ。ふと、荊はセナの手の甲に新しい擦り傷を見つけ、確かにそそっかしいせいでした怪我も多そうだなと少年を憐れんだ。
「客人に突っ込んでくるくらいだからな」
「も、申し訳ありません!!」
「セルクさん、そんな意地悪を言わなくても」
荊はほとんど無意識にできたばかりの傷口に手を当てていた。治してやる義理もないが、恩は売っておいて損がない。
「シャルル」
身体の痣は治さなかった。思いつきで消しては、きっとそれをつけた誰かに目を付けられる。それだけならいいが、機嫌を損ねて新たに痣を残されては荊も加害者だ。
良かれと思った行動で、彼を危険にさらしてしまう。
「気をつけて」
「え? え……?」
セナは痛みを失った手と荊を見比べ、呆然とした顔で瞬いていた。
「困ったことがあれば相談して――」
ぱしんと治療に当てられていた荊の手が弾かれる。はっとしたセナは「失礼します」と何度目か分からないお辞儀をし、ぱたぱたと走り去ってしまった。
小さな背中が見えなくなり、荊とセルクは屋敷を出るために歩き出す。
セルクは荊にしたい質問が山ほどありそうだったが、きゅっと唇を引き、言葉をせき止めているようだった。話をするにしても、ここではしない方がいいという英断である。
「?」
荊は物珍しいものを見つけた。
来るときにはいなかった、庭の草木に水をやる二つの人影。
――人形?
庭の手入れをしている人影は、人間ではないし、魔人でもない。荊がそれから感じるのは魔力だった。
マネキンのようなつるりとした人型ではなく、もっと粗末な造りの木の人形である。人形劇にでも出てきそうな木で作られた人形。服装はダニエラが着ているものと同じメイド服。
顔は精巧ではなく、人型だなと分かる程度の造り込みで、どちらも似通ったものだ。腕と足の関節の位置は人型を模しているが、その可動域は人型のそれを越えていた。
「魔法人形だ。心臓部に魔石が埋められていて、魔力で動く」
荊が庭仕事をする木彫りの人形に目を奪われているのを見て、セルクは丁寧にも説明をしてやった。ラドファルールから荊は世間知らずであるため、不思議そうにしていたらものを教えてあげてくれと言われていたからである。
「魔法人形? 動きの指定はどうやってしているんですか?」
「魔石に術式を書き込むらしい」
「ということは、一つの人形がする動きは決まっているってことですか? 用途ごとに人形を準備する必要がある?」
「ああ。ああやって金持ちの家の手伝いだったり、店の宣伝なんかで使われていることが多い。詳しくは魔法使いに聞け」
水やりをする背中を見ながら、荊はふうんと関心したように声を漏らした。魔力で動く自動人形。便利なものもあるものだ、と。
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