第7話 呪われの眠り姫

「あの、エディクスさん?」

「セルクで構わない」

「では、セルクさん。ドルド卿のお屋敷に行く前に打ち合わせというか、少しお話しさせていただきたいんですが」


 先を歩くセルクの背中を追いながら、荊は控えめに声をかけた。心理的にも物理的にも距離感を測っている。

 不確定要素を抱えて仕事をするのは避けたかった。

 騎士が同行することは構わなかったが、てっきりラドファルールが来るものだと思っていた荊には想定外のことが起こっている。それも、苦手としている男の孫娘。彼と同じようにとんでも理論を展開されたり、意にそぐわないからと癇癪を起されてはたまったものではない。


「心配せずともお前の仕事の邪魔はしない」

「そういうことではなくてですね」

「私が祖父のようでは困るということだろう?」


 何とも答えにくいことを訪ねてくる女だ。荊は肯定も否定もしなかった。


「式上のことはラドファルール卿から聞いている。祖父とひと悶着あったと」

「……ええ、その節は貴方のおじい様に大変お世話になりました」

「祖父は立派で崇高な騎士だが、少し価値観が古いからな」


 ――少し、ね。

 ちょっとした疑問は残るが、荊はセルクの返答を悪くはないと思った。見た目には頭が固そうな印象があったが、彼女の祖父ほど偏屈ではいないようである。


「騎士とギルドの関係は私には関係ない。するべき仕事をする。そのために協力が必要ならば不仲といえど致し方あるまい」


 打算的。しかし、やはり悪くない。

 少なくとも、疑惑の領主という共通の敵がいる限りは協力関係を保てる。

 その回答だけで懸念を軽減するには十分で、荊はそれ以上に話をするのをやめた。目の前の女の背中には必要のないことは話しかけるなと黒々と書かれていたからだ。

 無駄話が不要ならばそれに越したことはない、と荊も特に不満もなく口を閉ざした。




 街の領主の屋敷は酷く主張の激しい館だった。

 小高い丘の上にある大きな屋敷、それくらいならば想像の範疇だったが、その屋敷が建てられているのが街の中心なのである。

 城下町――と言えば聞こえがいいが、屋敷から伸びる道がそのまま商店街に繋がっていたり、商業区や住宅区の分け方が住民の生活ではなく、屋敷の人間の利便性に特化していて、街全体が屋敷の敷地の一画といった具合だった。


 屋敷の敷地は柵に囲われていて、中に入るには正門か裏門しかない。正門の前、ダニエラはきちりとした姿勢で微動だにせず客人を待ち構えていた。


「お待ちしておりました」


 垂直、直角、垂直。ダニエラは機械のようにお辞儀をして見せた。

 それから、顔を上げた彼女は飛び出てしまいそうに大きな目でセルクを捕える。お呼びでいない客人の顔をじっと見据えていた。そこにある感情は読み取れない。


「そちらは、セルク卿とお見受けしますが」

「ああ。セルク・エディクス。騎士である」


 沈黙。

 会話がぱたりと終わり、荊は恐る恐る同行人を見やった。これ以上は本当に何も話すつもりはないらしい。

 荊は胸中で叫んだ。無駄話嫌いは構わないが、無言で押し通すのはどうにかしてくれ、と。このコミュニケーション能力でどうしてこの任務に抜擢されたのか。


 ダニエラを見る限り、セルクの訪問を許容しているとは考えにくい。セルクもセルクでダニエラを言いくるめようだとか、譲歩や取引の手段を取ろうという気配がなかった。

 このままでは平行線である。

 荊はすっと手を挙げると「セルクさんは俺の同行者です」と横やりを入れた。


「死神の呪いについて、騎士団も懸念していると。彼女はそのためにギルドに協力し、尽力してくださると申し出てくれたんです。もちろん、報酬を追加で要求するようなことはありません」

「わたくしどもの認知するものではありません」

「死神の呪いについては、このお屋敷だけでなく街全体の問題でしょう? 街の人間が四人も行方知れずなんですから」


 後出しであるが、依頼者側からすれば悪くない話のはずである。戦力的にも信頼的にも後押しをしてくれる騎士団が、おまけでついてきたのだから。

 あちらに後ろ暗いところがなければの話ではあるが。


「ダニエラさん。申し訳ありませんが、彼女が同伴でなければ依頼は受けられません」


 ここにいる全員が全員の腹の探り合いをしているようだった。

 荊だって本音を言えば、セルクを追い返し、一人で仕事をする方が楽だ。

 しかし、騎士団とギルドとの関わりを改善していこう、という蘇芳とラドファルールを近くで見過ぎてしまっていた。世話になっている二人のためならば、この言葉足らずの女の世話くらいどうってことはない。


「旦那様の許可を取りませんと、わたくしからは何とも言えません」


 やはり、ダニエラの返事は芳しくない。


「では、申し訳ありませんが、この依頼は別の者が担当させていただきます。もしくは、俺の調整が次についた時に――」

「次とはいつ頃になるのでしょう?」

「分かりません。抱えている依頼が多いもので、スケジュールはすべて調整役に任せているんです」


 荊は努めて残念そうな顔をすると、深々と頭を下げた。謝罪と別れの挨拶である。

 実際、この仕事から手を引く気は一切ない。ダニエラ――というよりはこの家の人間が、どうしても荊に依頼をとしているのは分かっている。

 駆け引きでもなんでもない。押して駄目なら引いてみろ。


「……分かりました」


 声色は平淡で、表情も無表情であるが、滲んでいるのは苦渋である。


 この屋敷はいよいよ怪しい。

 騎士の同伴を嫌がるのは置いても、荊が帰ると言い出すと家長の許可が必要と言っていた使用人がくるりと手のひらを返す。


 こうも頑なに荊を指名する理由が分からない。

 ダニエラの主張は腕利きがいると聞いて首都のギルドへ依頼に来た、ということだった。確かに、荊は与えられた仕事をやすやすとこなしているが、騎士団由来のものばかりだ。それがどうして首都からこんなにも離れた街で噂になろうか。ツクヨミの翼でも三時間はかかる距離である。


 ずっと黙っていたセルクもさすがに思うところがあったのか「一人になるなよ」と実に正義の味方らしい言葉をかけた。そんな気遣いを声に出せるなら、もっと他に言うことがあるだろうに。


「どうぞ、こちらへ」


 通用門が開けられ、荊たちは疑惑の屋敷へ招き入れられる。

 門から館までの間には広大な庭が広がっていた。公園と言われても遜色ない。剪定された庭木、色とりどりの花々。その間を通るように敷かれた石畳の道。

 広大で美しい屋敷だがひっそりとしている。

 途中の会話は一切なく、すれ違う影もない。ダニエラに先導されるまま歩き、館の中に入るまで何ごともなかった。


「こちらの部屋でお嬢様がお休みです」

「ドルド卿にご挨拶はしなくてよいのですか?」

「はい。旦那様は外出中ですので」


 荊とセルクは顔を見合わせた。

 一番の目的である人物が不在である。とはいえ、帰るわけにもいかない。もう何度かこの屋敷に足を運ばなければならないな、と二人は視線だけで意見を交わした。


「こちらで――」


 ダニエラがとある部屋の扉を開けた瞬間、部屋から出てきた影がどすんと彼女にぶつかる。


「――あ? 誰だよお前ら」


 身なりの綺麗な少年だった。

 短い髪は爽やかで、手足もすらりと長い。黙っていれば綺麗な顔をしていそうであるが、いかんせん眉間には幾重にも皺が寄り、眉毛と目尻がこれでもかと吊り上がっている。年齢にそぐわない憎悪の表情であった。


「坊ちゃま、お口が汚いですよ」

「うるせえ!! クソジジイの雌犬が!!」

「坊ちゃま」

「どけよ!!」


 ダニエラの肩をど突き、その後ろにいた荊とセルクをほとんど体当たりに近い形で押し退けた少年は、ずかずかと怒りを隠さない足運びで去っていった。あまりに騒がしい狂暴な動作でどの辺を歩いているかがすぐに分かる。


「彼は?」

「旦那様のご子息でイーサン坊ちゃまでございます」


 息子にしては随分と若い。ぱっと見たところ、アイリスと同じか下手したらそれよりも下に見えた。


「なんと粗暴な輩だ」

「セルクさん、そういうことは心の中だけで言ってください」


 確かに、”坊ちゃま”なんて可愛い呼び名が似合う態度ではなかった。

 しかし、たとえ本当のことだとしても、その一言で別の事件が発生する可能性だってある。その証拠に今たった、ダニエラはきろりとセルクに焦点を当てていた。

 荊がわざとらしい咳払いで二人の視線を集める。


「彼女が保護しているという少女ですか?」

「ええ、ええ。ナターシャ嬢でございます。このように寝たきりで、もうすぐひと月になろうとしています」


 部屋の中央には大きな寝台が置かれていた。

 そこに寝ているのはプラチナブロンドの少女。長く癖のある髪が真っ白なシーツの上で広がり、まるで宝石を紡いでできた糸のようである。

 閉じられた目を飾るくるりと上を向いたまつ毛。ぷくりとした唇。どこを見ても柔らかそうな肌。

 華奢な腕は庇護欲を誘い、真っ赤なワンピースから伸びる脚はほっそりとしていた。

 美しい少女だ。まるで眠り姫のようである。

 そう、ただし、やはり想像していた通りに少女だった。彼女は年端もいかぬ子供だ。


「ダニエラさん、彼女を保護した理由は何ですか?」

「彼女は身寄りがないのです」

「身寄りのない子供なら彼女だけではないでしょう。何故、ナターシャさんだけを保護したんです?」

「旦那様の花嫁候補なのです」

「……おい。旦那様とはドルド卿のことだろう。この娘は孫ほど年齢が離れている」

「それがどうかなさいましたか?」


 当然とばかりのダニエラに、セルクは苦虫を噛み潰したかのような顔をする。確かににわかには信じがたい話だ。


「花嫁候補だと保護するのですか? 保護した娘が花嫁候補になったのではなく?」

「旦那様がお嬢様を保護した理由と死神の呪いに関係がありますか?」

「死神の生贄になった少女も、この家に保護されて求婚をされたと聞いています。彼女と同じ境遇ならば、無関係とは言い切れないでしょう?」

「式上、何を……」


 セルクは荊の物言いにぎっと視線を鋭くした。

 最初こそ彼の言いがかりを咎める目つきでいたが、引きもしない荊と押し黙ったダニエラとを見て、ぐっと喉を詰まらせる。終いには無言の使用人を睨み、ぎりぎりと歯を軋ませた。自分の耳に入ってきている話と違う。

 何かの罪が露呈したわけではない。

 それでも限りなく怪しいことは明らかだ。何せ、今、目の前で眠りについている少女は生贄になった少女と同じ境遇だ。疑惑の領主の花嫁候補の二人目。しかも、その数は少なくとも、というだけの話である。


「身寄りのない娘を幸せにしたい、という旦那様のお優しいお気持ちなのです」

「そうでしたか」

「式上様。わたくしどもの依頼は、死神の呪いの真相を暴いていただくこと」

「失礼しました。関係のない質問でしたね」


 彼女が寝たきりでいるのもまた本当のこと。自分が手をかけたわけではないのだから、死神の呪いでないことは断言できる。

 それでは、彼女はどうして目を覚まさないのか。

 荊は少女の傍に立つ。


「ナターシャさんに触れても?」

「ええ」


 荊は静かに少女の手を取った。

 外傷はない。怪我であればシャルルで治癒することができるが、彼女に治せる傷はなかった。寝ている彼女に無体を働いている様子がないことはせめてもの救いだ。


 体内に入ってしまった薬はどうにもできないが、そもそも薬を投与している痕跡もない。経口薬を疑い、彼女の口に手を当てて開かせようとしたが唇がめくれるだけだった。しっかりと閉ざされた歯が開かない。この状態で口から飲ませるのは無理だろう。

 荊はもしや、ともう一度少女の手を取る。今度はその指を掴み、関節で曲げようと力を加えた。

 しかし、指はちっとも曲がる気配がない。

 骨が固まっているかのように動かず、無理に力を加えれば折れてしまいそうである。


「関節も曲がらないんですね」

「ええ。寝たきりになって段々と、体も動かなくなっていきました」


 呪いというくらいなのだから、と荊は悪魔の力を借りて眼を開いた。少女の魂を覗き見る。


「!」


 荊ははっと息を呑んだ。それは見た事のない魂の在り方だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る