第2章 怪しいお屋敷の眠り姫と静寂の森の呪術師
第6話 仕事の相方
ダニエラから依頼がされたのが三日前。
荊たちは依頼を受けてすぐに島に戻って来ていた。
名前のない孤島、死神に呪われた島。
その実態は異世界からの死体捨て場であり、海賊のアジトであるという悪意の集まる島である。しかし、現在は異世界との一方通行な経路は氷で封鎖され、海賊船は一度も姿を見せておらず、留守番の海賊二人は天に召されていた。
今、この島は死神とその生贄の隠れ家となっている。
今日からダニエラの依頼に着手する。これから、彼女の勤める屋敷に行かなければならない。
だというのに、荊の契約する悪魔――宵闇の飛竜こと、ツクヨミを背に荊とアイリスは手を取り合っていた。少女は両手に捉えた青年の両手をきゅうと握り締める。
「荊さん……」
どうしたものか。
アイリスは鼻先と目元を赤く染めて、上目遣いに窺う瞳をゆらゆらと熱に揺らしていた。
するりと少女の親指の腹が青年の手を撫ぜる。荊は自分の仕事着の一部といえる手袋をしていることを惜しいなと思った。
「連れて行ってください」
「駄目」
「どうしても駄目ですか?」
「駄目」
それは愛憎から来るような劇的なものではなく、仕事に行く親とそれを見送る幼子のやり取りである。しかし、アイリスの表情は幼子というよりは寂しがる恋人のようで、荊はすっかり弱っていた。
可愛い。とにかく可愛い。
こうもしおらしく甘えられては、甘やかしたくて仕方がなかった。
しかし、こんなのはどうしたって彼女の発想ではなく、誰かのよこしまな介在が察せられて現実に引き戻される。
「誰の差し金?」
「え?」
「誰に言われたの? おねだりすれば俺のこと丸め込めるって」
呆れた様子の荊にアイリスはしゅんと肩を竦めた。
ただでさえ色のついていた顔がぼっと一瞬で真っ赤に染まる。首まで染め、涙目になった少女はもじもじと肩を揺らす。恥ずかしさを誤魔化すように力いっぱい荊の手を握り締めたが、彼にしてみれば戯れのような力加減だった。
さっさと犯人の名前を言ってしまえばいいものを。
「……だ、誰にも言われてません」
「は?」
「ち、違いますよ! 丸め込もうとしたわけじゃないんです! 連れて行って欲しかっただけで、その、うう……。い、荊さん、私に甘いから……」
――自分で考えたの? こんなにもらしくないことを?
いい加減にして欲しい。
加えて、自分が正しく評価されていることもなんだか悔しかった。特別扱いが本人に伝わっていないよりはいいが、手のひらの上で転がされかねない。頼まれごとがこれでなければ、受け入れていたかもしれない。
「ご、ごめんなさい」
「いや、怒ってはないから」
ちょっとだけ自分が情けないだけで。
しかし、いくら下手に出てお願いされても、連れていけないものは連れていけないのは事実だ。
「とにかく、駄目なものは駄目。連れて行くにしても、俺が様子を見て、大丈夫だったら」
「……分かりました」
アイリスは渋々と引き下がった。荊は離れていく手を無意識に視線で追っていて、はっとして自己嫌悪に陥る。こんなに自分は単純だっただろうか。
「せめて手紙だけでも」
「手紙?」
「お友達に、です」
アイリスはああは言いつつも、こうなると分かっていたのだろう。
いそいそと出されたそれは、いかにも彼女らしい手紙だった。可愛らしい封筒に丸みのある文字で宛名が書かれている。
「お名前はユンちゃんって言います。ルマの街の中央に商店街があって、そこにあるパン屋さんの娘さんです」
「パン屋のユンちゃんだね。預かるよ」
「それから」
手紙に続いて彼女が取り出したのはかすみ草だった。小さな白い花は爪の先ほどの大きさで、細い茎に繋がっている。アイリスの手のひらに載っているそれは、この島に生息する植物で唯一、荊にも名前の分かる花だった。
「これも渡してください」
「潰しちゃわないかな」
「……潰れても大丈夫です。そういうお花ですから」
――そういうお花だっただろうか。
荊はきょとんとしながらも、それを手紙と一緒に鞄へしまい込んだ。花のことはよく分からない。
「荊さんもツクヨミさんも、気をつけてくださいね」
「留守番よろしく。安全じゃないところに置いてってごめん」
「ネロくんとスカーレットちゃんがいますから安心です」
ここだって危険なことには変わりない。いつ海賊が来てもおかしくない島だ。因縁の屋敷に連れて行くよりはましというだけである。
待ちくたびれたツクヨミが荊の背を小突く。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
荊が背に乗ると、ツクヨミは律儀にもアイリスへ頭を下げて出発の挨拶をした。小さく手を振って見送る彼女を背に、飛竜は空へ飛び立った。
ルマの街のはずれ、山の麓にある崩れた廃墟に二人の人間が立っていた。
どちらもが騎士団の制服に身を包んでいる。一人は男で座るのに丁度いい高さの瓦礫の上に腰掛け、ぷかぷかと紫煙を吐き出していた。もう一人は女で仁王立ちで腕組みをし、目を閉じてじっとしている。
二人の上に大きな影がかかり、びゅうと強い風が吹く。それから、その影は一瞬にして消え去った。
「ラドさん、お待たせしました」
荊は足音もなく二人の前に現れた。
空から落ちてきて青年に騎士たちはぎょっと目を剥く。ラドファルールはそれが知り合いだと気付き、すぐに持ち直したが、もう一人はそうもいかなかった。
旅人のような身なりの男を警戒し、腰に差した剣の柄を握り締め、今にも斬りかからんとしている。
「貴様、何者だ!!」
「えー、びっくりした。空から来るならそう言っておいてよ~」
「すみません。次から気をつけます」
ラドファルールはあっはっはといつもの高笑いをすると、牙をむき出した獣のようである女に「彼がギルドから派遣された子だよ~」と遠回しに武器から手を離すように伝えた。
女はいぶかしげにしながらも剣から手を離す。それから、値踏みする視線でじろじろと荊を見やった。
「式上クン、こちらセルク・エディクス。ルマの街担当の騎士だよ。セルク、こちら式上荊クン。ギルドの死神で双璧で――」
「はじめまして、式上荊です」
荊は胸元に手を当て、丁寧に頭を下げた。
これ以上、ラドファルールに仰々しい肩書きを重ねられてはいけない。
「セルク・エディクス、ルマ分室所属の騎士だ」
凛とした女だった。
年の頃は荊と同じ。深い緑色の髪は日本人には見れない色で、同じ色の瞳もまた荊には見慣れない。ポニーテールにされた直毛はさらさらと風に揺れている。アイリスの緑黄色の瞳が萌木であるなら、セルクの深緑色の瞳は樹海のようだ。
つり目で涼やかな目元、きゅっとへの字をした口、凛然とした空気感。
表情だけでなく、言葉の端にも気の強さが滲んでいた。白い騎士団の制服がよく似合う。
「騎士団としてもドルド卿のこと調べたくてね。助かったよ~」
「いいえ。こちらも助かります。何かあった時に俺だけでは対応しきれませんから」
騎士団の依頼への同伴――これが蘇芳から頼まれた特別の仕事だった。
騎士団もドルドに対して不信感を持っているが、相手はそう簡単に手を出せる相手ではなく手をこまねいていたらしい。そうしているうちにギルドへこの仕事が舞い込んだ。
荊は礼なら蘇芳に、と告げた。蘇芳がラドファルールの愚痴を頭の片隅に置いていたからこうして調査の足掛けが実現しているのだ。
むすりとしたセルクはじっと荊を観察している。本当に野生の獣のようだ。遠くから観察し、危険がないかを判別している。
荊は困ったように眉を寄せた。
身元も分からない浪人ならまだしも、ギルドの人間でラドファルールのお墨付きもあるのにこうも警戒されては、打ち解けるのに時間がかかりそうだ。
ラドファルールがぽんと荊の肩を叩く。そして、にこりと笑いながら声を潜めて「気をつけてね」とセルクに分からないように呟いた。
「? ドルド卿のことですか?」
「そっちもだけど、こっちのこと。彼女、あのシーク隊長の孫娘だから」
短い沈黙の後、荊は驚きで「はあ?」と大きく口を開いた。青年にしては珍しく分かりやすい驚きの表情を浮かべている。
「聞いてません」
「聞いたら断ってたでしょ〜」
その通りだった。
ラドファルールの上官である男に対して、荊はあまり良い印象を持っていない。そして、その逆もしかりであった。
孫娘がどんな性格であろうと関係ない。下手に関わって、ギルドと騎士団の関係を更に悪化させるのはごめんだ。
しかし、それを許してくれる様子はない。
荊は早々に諦めた。ここでごねてはセルクの機嫌を損ねると思ったのだ。彼女の第一印象は強気で警戒心が強く、我が強そうである。
「もう出発した方がいいんじゃない?」
「ええ。それではラドファルール卿、お口添えいただき感謝いたします」
「いえいえ〜」
「いくぞ、式上」
「……はい」
「じゃ、よろしくね~」
荊は恨みがましい視線でラドファルールを突き刺した。しかし、男はどこ吹く風で両手をばいばいと振っている。申し訳なさは微塵もないどころか、愉快そうで一層に荊の神経を逆撫でした。
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