第5話 望まぬ縁
蘇芳はぼふんとソファーの背もたれに沈み込んだ。ダニエラの雰囲気に呑まれ、話をしている間はどうにも堅苦しかった。最後の絶叫など、依頼と言うよりは脅迫を受けた気分だ。
ずるずると背もたれを滑る蘇芳の横には、考え込んでいる荊の横顔がある。
「荊君、呪いもできたの?」
「できない」
何の面白みもなく、ばっさりと否定をした青年はソファーを滑り落ちる蘇芳に「だらしないよ」と小言を告げた。少女はぺらぺらと手を振るだけで、姿勢を正そうという動きはない。
「断る?」
「いや、受けるよ。アイリスを連れてくかは相談だけど」
「ありゃ意外」
「依頼にはあんまり興味ないけど、ルマの街の教会――アイリスをお金で買おうとしてた連中の顔を見てこないと」
蘇芳はううんと唸った。
彼女はアイリスの身に起きた事件をすべては把握していない。分かっていることは登場人物の中でアイリスだけが被害者で、それ以外は加害者だということ。
しかし、荊が顔には出さないものの不機嫌であることは分かる。根は深そうだとこっそり息をついた。
「あんまり詳しい話は知らないけど、ダニエラさんの奉公先、領主のドルド・イ・ハワードは色欲狂いで性格に難があるって有名だね」
聞き覚えのある話だった。
そして、荊の中で話が一本に繋がる。
死神の呪いと保護した女は別の話だろうと思っていたが、そうではないということだ。
死神の呪いと恐れていたが、それはつまり、呪いをかけられる覚えがあるということ。荊の瞳が冷え切る。
「性格に難はあって領主が務まるってことは、資金繰りが上手?」
「その通り。一代で領主まで成り上がった。金策の才能は疑う余地なし」
荊はふうんと自分から尋ねたとは思えないほど素っ気なく返した。
こんこん、と控えめなノックがされ、荊は目線だけを扉に向けた。蘇芳から入室許可が出るとわずかに開いた扉の隙間からネロがぽてぽてと入り込み、その後に俯き加減のアイリスが続いて入ってくる。
荊は反射的に立ち上がり、アイリスの手を取った。
「アイリス、大丈夫? 落ち着いた?」
「はい」
そうは言うものの、少女の顔色は悪い。
気遣わしそうにする荊を横に、ネロは依頼人の座るソファーに乗り上げると「誰だったの? あのオバサン」と細い尻尾を揺らした。
「アイリスに求婚したご年配の家で働いてるメイド」
「……はあ!?」
「……えっ!?」
驚愕に声を荒げたのは蘇芳とネロだ。蘇芳はアイリスが求婚されていた話など初耳であったし、ネロはアイリスの不幸の諸悪の根源と思っていた人物が登場してくるとは思いもしていなかった。
荊は「違う?」と少女の顔を覗き込む。
ぎょっと目を剥く二人と心配そうな荊の視線に刺されたアイリスは「そう、です」と弱々しく告げた。
ぞっとする沈黙だった。
しんとしてしまった空気の中、荊は蘇芳へとアイリスにまつわる話をかいつまんで報せた。求婚を断ったことで生贄にされたこと、それを浚いに来た男たち、再び現れた彼らの末路。
「うーわ。そうなると、依頼の内容もいい予感はしないんだけど。本当に受けるの?」
「むしろ絶対に受ける気になった。旦那様の顔を堂々と拝みに行けるんだから」
「……相手、依頼人だからね?」
蘇芳はむっと口を真一文字に結んだ。
基本的にあまりに突拍子もない依頼でなければ依頼人の素性を調べたりはしない。しかし、ギルドは所詮仲介業者。犯罪の片棒を担がないように注意はしていても、年に何回かはそういった事例があった。
今回だって、アイリスが身内でなければ、ダニエラの話を鵜呑みにしただろうな、と眉間にしわを寄せる。
相手は街の領主、社会的地位がある。良くない噂だって有名人には切っても切り離せないものと言われてしまえばそこまでだ。
アイリスが悶々としている隣で、荊はダニエラからの依頼をアイリスとネロに聞かせていた。
話が進むほど、少女はどんどんと気落ちしていき、猫はげっそりとして尻尾を垂れ下げる。アイリスの身に起きた事を鑑みれば、聞いていて心躍る依頼でないことだけが確かだった。
「――と、そういう話だったわけだけど」
「気持ち悪い」
ネロはみゃあみゃあと会ったこともない男の悪口を連ね始めた。すっかりアイリスの兄貴分になったつもりでいる。
「……私、島に連れていかれる前はルマの街に住んでいて、それで、私の時も、そう言われたんです」
「そう?」
「保護するから、屋敷に来てくれって」
再び、沈黙がやってくる。
先ほどよりも、重く深刻な静寂。白熱していたネロまで閉口してしまっていた。
全員がアイリスを見つめている。
「その、寝たきりのお嬢さんのお名前は、聞きませんでしたか?」
「あ。そーいえば、聞かなかったね」
「ど、どうしましょう……。そのお嬢さんも、望まずにお屋敷にいたら……、もしも、と、友達だったら、私――、私が――」
「アイリス」
荊は彼女の言葉尻を喰らった。
――結婚しておけばよかった、なんて言われたらたまったものじゃない。
他人の幸せのために自分が不幸になればよかった、などとそんなことは聞きたくもなかった。
アイリスは不安に押し潰されている。動揺する瞳はきょろきょろと泳いでいて、青白い顔はまるで死人のようだ。泣き出すのも時間の問題だろう。
荊は少女の震える肩に両手を置く。それから、額をこつんとぶつけ、迷子の視線を自分に向けさせた。
「君は俺の相棒だろ。俺は君の相棒だ。俺たちには今、何ができる?」
泣いている幼子をあやすかのようだ。
真綿で包み込むように言い聞かせる。それはそれは柔らかな物言いだが、彼女の意見を尊重したいというよりは、道筋を誘導したいという下心があった。
これはチャンスなのだ。
寝たきりの見知らぬ女を助ける善行ではなく、アイリスのしがらみをどうにかできる千載一遇の機会。
「……荊さん、依頼を、受けてください。お願いします」
「うん」
「私も、お屋敷に、連れて行ってください」
「それは素直にうんとは言えない」
この件に関わらせて変にトラウマを拗らせるようなことがあってはいけない。荊の考えはもっともで、ソファーの上のネロも「そうだよ。心配なんだろうけど、荊に任せておきなよ」と同調した。
アイリスはもどかしそうに口元を震わせる。恐怖しているのは誰の目にでも明らかだ。その反面、自分のせいで誰かが苦しんでいるのかもというのが耐えられないという表情もしている。
「そのことは後でちゃんと話そう」
荊はやはり子供に聞かせるような口調でそう言った。
共感はできなくても、アイリスの複雑な心境を抱いているのは分かる。
「蘇芳ちゃん」
「ん」
「依頼は受けるよ。この件は俺に任せて」
「……分かった。よろしくね」
鬼が出るか蛇が出るか。
アイリスは不審も疑惑も含めた上で、荊にすべてを任せることを承認した。生贄、死神、呪い。こんな運命があるなら、その糸を断ち切るのは彼の仕事だろう。
糸を切るだけで済めばいいが。
「ルマの街の屋敷だったら島の方が近いし、島と街を行き来するからしばらくギルドには顔を出さないけどいいよね?」
「構わないよ」
「アイリスは連れてくけど、ネロは置いて行ってもいいよ」
「は!? 嫌だよ! ボクも行く!」
「君だってギルドカード発行してもらってるんだから、きちんと働けよ」
ネロは憤慨した。
確かにギルドカードは発行されていて、彼は正式なギルドメンバーである。その実態を知るのはここにいる三人とギルドマスターだけであるが。
荊の言いようでは連れて行っても仕事をしないと言っているようなものだ。ネロは毛を逆立てて荊に文句を投げつける。
「荊君さあ」
「はい」
「アイリスちゃんもネロ君も連れて行ってくれていいんだけど。一つ、特別の仕事を頼まれてくれないかなあ? そしたら、この件で報酬とは別にギルドから別に特別報酬を出すよ」
「……一応、話は聞く」
依頼とはいえ、がっつり私情を挟んでいる。
報酬はともかく、荊宛ての依頼であるのにアイリスもネロも連れ出してしまう手前、なるだけ要望は聞き入れておこうと荊は耳を傾けた。
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