第34話 きみのいのち、あなたのいのち

 一行が夕食を取り、宿屋に戻った頃には夜空に星が輝いていた。

 それぞれに割り当てられたベッドに座り、荊とアイリスはお互いに今日の仕事を報告し合う。


 まずはアイリスの番である。

 子供にもできる仕事という触れ込みに嘘はなかったようで、薬草集めは早々に終わったようだ。それから、アイリスは蘇芳に悪い勧誘を受けた。

 結果として利害の一致だったのだろうが、さすがギルドサブマスターというべきか、本当に抜け目ない。


「あんまり変な要求をされるようなら断るんだよ?」

「変な要求、ですか?」

「そう。もっと露出の多い服を着ろとか、お客さんの隣に座ってお話してこいとか」

「は、はあ。分かりました」


 ――本当に分かっているのだろうか。

 いまいちぴんときていない様子のアイリスに、荊は当然のようにネロへと視線を向けた。彼女に伝わらないことは、二倍にしてネロに言い聞かせるのが安心である。

 しかし、頼みのネロは二人の会話にちっとも興味を示していなかった。


 むしゃむしゃと籠盛りの苺に溺れるようにしてにかぶりついている。

 なんでも好きなご褒美を、と言われてネロがねだったのは、彼自身が入ってしまう大きさの籠に山盛りの苺だった。

 ネロは買い与えられた大量の苺に夢中である。荊は今の彼に言い聞かせることを早々に諦めた。


「荊さんの方はどうだったんですか?」


 スレイヴ、魔物、スカーレット、騎士団、ラドファルール、斬首、火葬――、荊はあったことを事細かに、嘘もごまかしもせずにすべてを伝えた。

 一つの命を奪ったこと。頑固で横柄な騎士と軽薄で柔軟な騎士との出会いのこと。罪人として投獄された悪魔の手先がどんな行く末を辿るか分からないこと。

 荊の話にアイリスは一喜一憂した。彼女の仕事とは毛色が違いすぎる。


「荊さん」

「はい」

「あんまり無茶なことばっかりしないでくださいね」


 アイリスは真面目な顔でそう告げた。

 心優しい少女は荊が仕事で身体や心を痛めていないか心配だったのだ。

 しかし、それは無用の心配である。

 荊は己の実力をわきまえているし、命の理をっている。自分に必要なものを後腐れなく取捨選択することができる人間だ。アイリスが思っているほど彼は情に厚くない。


「分かってる」

「む、絶対に分かってないです」


 反射のように返事をした荊にアイリスはご立腹だ。


「いや、本当に無茶をする気はないんだよ。でも、危険の基準が俺とアイリスじゃ違うだろ」

「それは……、そうですけど……」

「俺はある程度の怪我じゃ死なないし、戦う力もそれなりにあるから」


 今回の仕事を経て、荊は自分の実力でも世渡りができそうだと考えていた。少なくとも、この国ではやっていけると踏んでいる。

 荊はのんびりと「アイリスと初めて会った時にはさすがに死ぬかもって思ってたけど」と九死に一生を振り返った。自分から死のにおいがしていたことが、随分と昔のことに思える。


「俺は俺で気をつけるつもりだけど、アイリスも心配しすぎないで」


 荊はさっぱりとした爽やかな笑顔でそう言い切った。有無を言わせずに押し切る強さがあったが、アイリスには満足のいく返答だったらしく「分かりました!」と元気よく返事をする。素直で良い子である。悪く言えば、騙されやすい。


 二人がそれぞれの仕事の報告を終えると、話題は自然とギルドのことになった。


「そういえば、蘇芳ちゃんに護身術教えてもらうんでしょ?」

「はい。まずは体力をつけるところからと言われました。それから、扱いたい武器を考えておくように言われていて」


 荊は首肯した。

 蘇芳と手合わせをしたことはないが、戦える人間であることは分かっている。あの社交性ならば人の面倒を見るのも嫌いではなさそうだ。

 始まってもいない彼女の育成方針に口出しすることもなく、まあそこから始まるよね、といった感想を抱くくらいしかすることがない。


「荊さんはどうして鎌を使っているんですか?」

「俺は戦うことを覚えるよりも先にヘルと契約したから。そのヘルが大鎌になるんだから、扱えるようにしないとって感じで」

「そうでしたか」


 感受性が強く、懐の広いアイリスは疑いもせずに荊の言葉を受け入れる。もしも話の聞き手が蘇芳だとしたら、なんで悪魔と契約なんてすることになったの、と尋ねただろう。

 荊の話には嘘こそないが謎が多すぎる。


「使いたいよりは自分に合っているかを優先した方がいいと思うよ。特にアイリスは人を傷つけるの苦手そうだし」


 手ごろだからとナイフを握ったとしても、きっと彼女は誰も切ることはできない。死ぬほど頑張って投てきができるかどうか、と荊は想定している。その考えは正しい。


「……そうですね」

「大丈夫? 顔色悪いけど」

「いえ、その、自分の身を守るのって、相手と戦うことだってよく分かっていませんでした」


 想像するだけで顔を青くしたり白くしたりしている彼女が一人前になるには相当の時間がかかるだろう。

 しかし、それでいい。急ぐ理由はない。

 荊は「ゆっくりでいいんじゃない。俺もネロもいるからね」と彼女を励ました。良い先生も見つかり、本人にやる気もあるのだから、出鼻をくじくことはしたくなかった。

 アイリスは荊の気遣いにほっと息をつく。安心もしたし、何よりも彼が傍にいてくれることは心強かった。


「あの、荊さん」


 アイリスは姿勢を正し、改まって口を開く。


「ギルドで――、私のこと信じてくれて、ありがとうございました。嬉しかったです」


 照れくさそうに視線を泳がせ、はにかむ少女は愛らしい。


「アイリスこそ。俺のことを守ってくれてありがとう。また助けられちゃったね」


 結局、上手いことことが運んだのはアイリスのおかげだと荊は思っていた。

 蘇芳がそう感じたように、荊の境遇について自身の口だけから語られたのでは信憑性に欠けると本人が自覚していた。


 百歩譲って異世界出身の悪魔使いであることが認められたとしても、ギルドで働く信用に足るかは別問題である。

 その不足を埋めたのがアイリスだった。

 彼女の素直さと無垢さは誰の目にも明らかで、彼女の言動は不思議と心に響く。表情にも言葉にも裏表がないからか、彼女の真摯な姿が心に訴えるからか。一種、才能である。


「俺の命はアイリスのものだよ。魂は悪魔たちのものだけどね」


 荊はギルドで言ったことと同じことを告げた。その場しのぎで言ったのではなく、本当にそう思っているのだ。

 他にかけられるものがない。

 命を救われたことと、元よりの従属意識がアイリスにそう誓わせる。


 彼は身にしみついたものの考え方に呆れを覚えていた。どうしても誰かに忠誠を誓った立場にいる方が収まりがいいのだ。生きる意味を考えなくても良いから。


「それを言うなら、私の命だって荊さんのものですよ」

「そういうことは軽々しく言わないの」


 自分のことは棚にあげ、荊はばっさりとアイリスの発言を切り捨てた。

 どの口が言うのか「もっと自分を大事にするように言ったでしょう」とまるで彼女の自立を促す保護者かのようである。


 荊は未だに籠に入っているネロを見やった。もうすぐ完食だ。


「ネロ」

「何?」

「食べ終わったならこっちに来て」


 ネロは空になった籠から飛び出すと当然のようにアイリスの隣に座った。もはや、誰と契約した悪魔なのか分かったものでない。


 荊は今後の話をしたかった。

 海賊の宝を換金した分のお金はまだまだ余っているし、島にはまだ財宝が残っている。ギルドからきちんとお金になる仕事も請けることができるようになり、金銭的な目処はついた。


 となると、荊が今最も気になることはあの孤島のことだ。

 この世界に追放された荊が落ちた場所。海賊の根城である島であり、死神の呪いがうたわれる島。


「仕事もなんとかなったし、俺は島に帰るよ」

「――え?」


 調べたいことがあった。

 元の世界では魔方陣が魔界との扉を開いたのと同じように、悪魔使いの身体に人間と悪魔を繋ぐ魔紋があるように、この世界にも必ず世界と世界を繋ぐ何かがあるはず。

 そして、それはあの島にあるのではないか、と考えていた。

 ――その正体が知りたい。


「まあ帰るって言っても調べたいこと調べてすぐ戻ってくるけど。その間、アイリスとネロと二人で平気?」

「ボクは平気!」


 即答である。

 ネロにとってアイリスの護衛は割のいい仕事といえた。絡まれる彼女を助けるのはたやすい話で、その見返りに荊がご褒美を買ってくれるのだから。

 アイリスがちょっかいをかけられるのはほとんど避けられない事態なので、仕事をすればするだけ山盛りの苺が手に入るという寸法だ。


 対して、アイリスは俯いて動かなくなってしまった。


「アイリス?」


 荊が数時間別れて仕事に行くのも不安だからと嫌がった彼女だ。下手したら数日は離れるかもしれないとなるとやはり負担だろうか。

 荊の問いかけに応えるように、少女の顔からぽたりと雫が落ちた。

 嗚咽も上げず、静かに泣いている。


「……、なんで泣いてるの?」


 二人は閉口した。

 荊はまさか泣くほど嫌だったとは思わずに驚き、ネロは自分は泣くほど頼りないのかショックを受けていた。


 はらはらと泣きだしたアイリスは、慌てて目をこすった。それから「ち、違うんです」と震えた声が訴える。


「お、お別れの話をされているのかと、思ってしまって。荊さんは島に戻るから、私はもう勝手に好きにしろってことかと」


 つまりは勘違い。

 二人は仕方がなさそうに笑った。

 特にネロは顔には出さなかったが心底安堵していた。今日、ギルドで自分がいても荊がいないと不安だと言われて、ちょっとした傷を負っていたのだ。

 アイリスの背中を白い尻尾がぺちぺちと叩く。


「もー、アイリスってばせっかちなんだから!」


 勘違いだったとはいえ、とても驚いたらしいアイリスは未だにぽろぽろと涙を流している。

 荊は一層に眉を下げて「はは、ついさっき俺の命はアイリスのものって言ったばっかりなのに?」とからかった。

 すると、彼女は泣き笑いして「そうですね」と何度も頷く。


「俺の言い方が悪かったよ。俺は島に戻るけど、アイリスはどうしたい?」


 荊はベッドから立ち上がり、アイリスの前に跪いた。それから、彼女の頬を伝う涙を指で拭ってやる。

 彼の慰める仕草に黄緑色の瞳はまた涙に濡れた。また雫を溢れさせる少女に荊はくすくすと笑声をもらす。彼女はまるで手のかかる幼い子供のようだ。


「私も一緒に帰ります」

「分かった。じゃあ、明日、必要な買い物をして一緒に島に帰ろう」


 アイリスはようやく泣き止んだ。




 一夜明けた早朝。荊はアイリスとネロを置いて、一人でギルドへとやってきた。

 アイリスの体力作りは今日から始まっていて、二人は荊と一緒に宿を出たものの、その足でランニングへと出かけて行ったのだ。


 まだギルドが開けられている時間ではないが、扉に鍵はかかっていない。ノックもせずに堂々と中に入ると、室内には掃除をするメイドが一人。

 彼女は荊を見つけて「おはよー! 朝早いねえ」と明るく挨拶した。営業時間外の来訪者であるというのに嫌がる素振りもしない。


「おはよう、蘇芳ちゃん」

「今日は荊君一人?」

「はい」


 赤い眼鏡をくいと直し、蘇芳は小悪魔のように歯を見せて笑う。


「まぁたアイリスちゃんに内緒でお仕事する気? 愛想尽かされるよ?」

「違うよ。実は一度、あの島に戻ろうと思ってて。今日から二、三日は次の仕事ってわけにはいかないからって言いに」

「……そう、なんだ」


 荊の言い分を聞いて、蘇芳はぱちぱちと大きな目を瞬かせた。それから、目を伏せて思案気に口を閉じる。

 不意に見せるあの大人びた表情だ。先ほど朝の挨拶をした朗らかさは一瞬にしてどこかに行ってしまった。


「あのさ、荊君」

「はい」

「その、お願いなんだけど。もし、もしだよ? あの島で海賊たちと遭遇したら、……殺さないで欲しいんだよね」


 ――あの海賊たちとどういう関係なのか。

 そう聞きたいのはやまやまだったが、尋ねたところで蘇芳が口を開くとは思えなかった。


 蘇芳は聡明である。海賊たちをどうにかしたいならば、きちんと理由を話して説得をしてくるだろう。相手が荊ならなおのことだ。荊が打算的なことは蘇芳にばれている。


 それなりの理由と報酬が揃っていれば、荊だってそれなりに対応する。

 生け捕りにして欲しいと金を積まれれば、ギルドの仕事ではなくても彼は請け負うだろう。

 それをしないということは、蘇芳は荊に踏み入られることを良しとしていないということ。

 ――この話はきっと蘇芳ちゃんにとって深いところの話だ。


「分かった。じゃあ、俺のお願いも聞いてくれるなら約束するよ」


 荊の方が蘇芳を気遣って一歩引いた。

 理由は聞かずに不殺の誓いを立てる。丁度いいことに荊はどうしても蘇芳に通したい話が合った。


「アイリスの制服のスカート丈、見直してもらえる?」

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