第33話 契約成立ですとも

 一時の静寂。

 セクターと蘇芳は言葉の真意を測りかねている。荊は変わらず傍観者に徹しているが、どこか楽しげだった。

 平静を保っていられないのはたった一匹。


「アイリスぅ!?」


 毛を逆立てて叫んだ白猫はアイリスの頭の上へと飛び乗った。

 小さな体を大きく膨らませて、ぺちぺちとこれまた小さな手がアイリスの額を叩く。痛みはなさそうな攻撃であるが、憤りには溢れていた。


「この馬鹿ァ!! 何言ってるんだよ!!」

「荊さんが疑われてるんですよ!? 黙っていられません!!」


 アイリスは頭の上からネロを下ろすと、顔を突き合わせた。きりりと目を吊り上げているのはネロもアイリスも同じである。

 荊は何者であるか、という話からはずれ、二人は秘密を暴露をしたことについて口論を始めた。当事者を放置した言い合いは止める者もおらず、ただただ過熱していく。


「どういうこと……?」


 置いてきぼりにされた三人のうち、最初に口を開いたのは蘇芳だった。

 大きく目を見開き、ぽかんと口を開ける彼女が尋ねているのは、アイリスの突拍子もない暴露についてではない。


 荊は胸元に手を当て、背筋を伸ばし、顎を引くと、一際美しく口角を上げた。


「式上荊、異世界の出身です。悪魔使いで、元の世界では死神と呼ばれていました」


 アイリスの判断に乗じ、荊は改めて嘘偽りのない身の上を告げる。

 荊の言葉に一番に驚いたのはネロだ。アイリスとの幼い言い争いを止め、丸々とした青の瞳に荊の横顔を映した。まるでこの世の終わりかのように絶望している。

 荊はそんなネロの首根っこを捕まえ、対面の席に座る二人へずいと突き出した。


「この白猫はネロ。俺の契約する悪魔です」

「荊ァ!?」

「アイリスばっかり責められないだろ。おしゃべりさん」

「? ――っ、みぎゃあ!!」


 一匹騒がしいネロはぶら下がったままで悲鳴を上げる。自分が約束を破って人前で言葉を発したことにようやく気づいたようだ。


「猫ちゃんがしゃべってる……」

「つつくな! この鬼女!」

「ひゃあ、お口の悪い猫ちゃんだねぇ」

「やめろ!!」


 蘇芳は好奇心に溢れた様子でネロと対話をしている。ネロの頬を突く彼女の指は欲望に忠実だ。

 嫌がる姿をまじまじと見て、はっとした蘇芳は「この子が恐ろしく凶暴な猫……!」と感極まって声を震わせる。


 構われる猫を前にセクターは絶句していた。ネロが癇癪を起こし、ぱきぱきと空気が凍る音が鳴り始めると呼吸も忘れたかのように表情を消していく。

 このままネロが蘇芳を凍結なんてしようものなら、セクターは勝手に物言わぬ骸になってしまうかもしれない。


「……嘘、もしかしてアイリスちゃんにかけられた魔法って」

「ご名答。犯人はこちらの凶暴な猫です」

「はぁ!? 荊がアイリスに下心のありそうな奴は全員凍結って言ったんじゃんか! 犯人はオマエだ!」

「うわあ、すごい猫ちゃんだね! 凶暴なうえに氷を扱う魔法使いだなんて!」

「魔法使いじゃないし、猫ちゃんって言うな! ボクの名前はネロ! 誇り高きの姦淫かんいんの悪魔だぞ!!」


 蘇芳は一瞬だけきょとんと呆けたが、すぐににやにやと憎たらしく口元を緩めた。


「あひゃひゃ!! 姦淫!? こんな可愛いナリで!?」

「う、うー!! 荊! アイリス! この鬼女、ボクのこといじめる!!」

「え、えっと! その……! い、荊さん、どうしたら……?」


 もはやこの席の議題はネロというしゃべる猫が主役となっていた。

 しかし、そんな混沌とした流れを良しとしなかったのはセクターだ。ネロを凝視していた彼は、仕切りなおすように深呼吸をした。


「……どこから、聞けばいいのか。一体、荊君は何者なんです」

「ですから! 荊さんは――」

「アイリス」


 声を荒げたアイリスを制し、荊はネロを彼女に押し付けると席を立った。

 三人と一匹の視線を受けた彼は、まるでステージに上がった奇術師かのように空の両手をさらさしてタネのないことを訴える。


「こういうことです」


 ぱちんと手を打ち鳴らすとネロの姿は消え、またぱちんと手を打ち鳴らせばネロの姿が現れる。

 再度、ぱちんと打ち鳴らせば、荊の手には大鎌が収まっていた。


「悪魔使いとは、魔界に住まう悪魔と契約し、その力を行使する者。悪魔を召喚し、その力を借りるのです」

「……というと、その鎌も悪魔なの?」

「はい。こちらはヘル。俺と一番付き合いの長い悪魔で普段はこうして大鎌の姿でいますが、彼女も悪魔ですよ」


 悪魔使いの何たるかを語る荊にネロは頭を隠した。

 説明をする意味がない。悪魔使いという存在を明らかにして、不利になることはあっても利益になることは何もないのだ。

 荊が鎌の柄から手を離すとその姿は音もなく消え去る。


?」


 蘇芳の質問に荊は意味深に目を細めた。


「実は魔物も悪魔も同じ生き物だと考えてるんですが――」

「はあ?? 荊、何言ってるの??」

「それは俺の仮定なので、これから調査する予定です」


 ネロの不機嫌は絶頂だ。

 些細なきっかけでこの部屋に氷河期が訪れそうな気迫である。アイリスは膝の上に乗った爆弾に戦々恐々としていた。

 今、彼が爆発したとして最初の犠牲はアイリスである。


「なんというか、とても面白いよ! にわかには信じられないんだけど!」

「でしょうね」


 否定はしない。

 納得されるとも、理解されるとも思っていなかった。

 また妙な空気だ。セクターは呆然としているし、蘇芳は驚きを通り越して愉快そうである。アイリスは荊を擁護する気でいるし、ネロは張り詰めた糸のようだ。


「ほいじゃあ、異世界出身っていうのは?」

「彼ら悪魔が魔界からやってくるように、俺もまたこの世界ではない世界からやってきました」


 ばきんと空気が凍てる音。

 小さな雹が一つ、二つと床に転がる。季節でもないのに凍て風が部屋の中を巡った。

 アイリスの小さな悲鳴が響く。


「ただし、召喚ではなく、追放されて世界を渡りました。なので、元の世界に戻る手段は今のところありません」


 セクターと蘇芳は再び言葉を失った。思い出したように二人の視線には懐疑が浮かぶ。


 こうなると沈黙に黙っていられないのはアイリスである。

 追放という単語はどうしたって聞こえが悪い。優しく強い恩人に悪い印象を持たれるのは悲しかった。


「――い、荊さんは! 優しくて信じられる人です! 恩返ししたいと言った私に、それならば護身術を覚えて、もっと自分を大事にしてと言ってくださる人なんです!!」


 アイリスは荊が元の世界から追放されていることは知っているが、どんな仕事をしていたかを知らない。だからこそ、迷いなく彼の潔白を主張する。


 蘇芳は感心した。

 アイリスが身を守る術を覚えたがっていたのは知っていたが、それが荊への恩返しとは知らなかったのだ。


 そして、感服もした。

 処世術の透けた荊が個人で主張していたなら、どこか作り話めいたものを感じたが、アイリスという存在が介入するだけで、彼がまるで聖人かのように思えてくる。

 本当に信頼して彼女にその身の秘密を任せたのか、謀略を巡らせて聖なる使者を差し出したのか。


「ギルドで働かせてください!!」


 ここでようやく話が主題に戻った。

 深く頭を下げたアイリスに続き、荊も頭を下げた。冷気を漂わせていたネロは二人を見やって渋々と力を押し込めた。それから、ぺこりと頭を下げる。


「あたしは二人――と、一匹。みーんな信用できると思うなぁ」


 蘇芳は朗らかにそう言い放った。

 悪魔だの異世界だのの真偽は判断しきれないが、実際に顔を合わせ、言葉を交わし、働きを見て、その結果は元々合格だったのだ。

 今となっては採用対象が一匹増えているが、それも大歓迎――そんな顔である。


 アイリスとネロはほっと安堵した。

 荊は静かにことの成り行きを見守っている。


「私はギルドマスターとして君達を信じるとは言えない」


 冷徹な声は浮世離れしようとしていた空気をしっかりとこの世界に固着させた。

 話題が多岐に渡ったせいで話の軸が揺らいでいたが、それもたったの一声で正される。威厳。ギルドマスターとしてセクターは荘厳たる佇まいであった。


 気を抜いていたアイリスとネロは苦々しく顔を歪めた。二人の顔色は本当に色とりどりである。

 対して、荊は変わらずに平静だ。


 セクターは荊、アイリス、ネロの顔をそれぞれ順番に見やった。

 それから、ゆっくりと二度頷く。

 緊張感のある空気。冷え切った温度。ごくりと息を呑んだのは誰だったか。


「ただし、君達の高潔なる信頼関係は尊く、崇高のものでしょうとも。そして、私の信頼する蘇芳サブマスターの人を見る目は本物です」


 セクターは大きく手を広げた。まるですべてを受け入れるかのような格好である。


「荊君、アイリス君、ネロ君。君達をギルドの正式なメンバーとして歓迎しますぞ!」

「――というわけで、これからよろしくね!!」


 セクターは大声で笑い、蘇芳はめでたいと拍手した。先ほどに自分たちで作った緊張感を自分たちで壊す。気のきいた、を通りこし、ふざけているのかと疑いたくなるお祭り騒ぎっぷりである。


「よろしくお願いします」

「よ、よろしくお願いします! 頑張ります!」


 二人は揃って頭を下げた。深々としたお辞儀に拍手喝采である。

 ネロだけは「ボクは混ぜてなんて言ってないから!」と喚いた。しかし、蘇芳もセクターもねじが飛んでいるのか、つれない素振りのネロにも歓声が届けられる。


「やだなぁ、もっと仲良しな感じにしてよ。あたしもセクターも堅苦しいの得意じゃないし」


 格好だけを言えばそうは思えないが。

 並んで座る執事とメイドは気のいい笑顔である。今にも肩を組んで歌いだしそうなくらい浮足立っていた。戦力が増えることは純粋に嬉しいことのようだ。

 荊は「お言葉に甘えて」と適当に返したが、大真面目のアイリスは「いえ、そんな!」と砕けた言葉を口にすることを敬遠した。


「じゃあ、今日はここまでということで。お疲れー!」


 ようやくお開きとなる。

 全員がそれぞれに意図を持って息を吐き出す。荊以外は疲れ切った顔だった。

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