第30話 人間に恋した死神

 魔物の体躯に合った分の血液が大きな溜まりを作った。

 広がっていく赤はすぐに荊たちの足元に辿り着く。においはもっと早く伝わってきている。甘い死のにおいと鈍い血の香り。


「レプレスさん、彼を火葬してもいいですか?」

「……え? ……そ、そりゃしてもらえるなら、ありがたいけど」


 せめてものはなむけだった。

 荊は血の海を渡る。鎌を手放し、首を失った魔物の身体に触れた。

 革手袋をした手では温度を感じられないが、まだ温かいのだろう。

 ごわついた毛から荊の指先が離れた瞬間、ぱちりと火花の散る音ともに発火した。灯るように生まれた火は瞬く間に広がり、大きく育っていく。

 荊は片角の頭部にも同じように触れて火を起こした。


 肌を焦がすような熱、肉の焼けるにおい、目を奪う炎と血の赤。

 二人は骨までも燃やし尽くす炎を黙って見つめていた。


 大きな体が燃え尽きるまで時間はかからなかった。それだけ炎の力は強く、魔物の身体を溶かしていく。

 最後に火はゆっくりと消え、残った灰が風に攫われた。その行く末を目で追うことは不可能だった。


「……式上クン、キミ、ほんとに何者なの?」


 疑心暗鬼。

 ラドファルールは荊を訝しんでいた。魔物を意のままにし、魔物の生態を知っているように命を説き、大鎌で巨体の首を一撃で落とし、果ては触れるだけで肉を燃やす。

 魔法使いのような特殊技能を差し引いても同じ人間とは思えない。魔物の混血である魔人だとしても、その振る舞いは異常である。

 

「死神」


 荊は反射でそう言ってから、何を言っているのか、と自問自答した。

 昔の通り名。元の世界では名乗るだけで意味のあるものだった。名前一つで同業者を退けるほど、その業界では浸透していた恐怖。


 ラドファルールは真顔で「冗談? 本気?」と尋ねた。普段ならなんて馬鹿な冗談を、と笑い飛ばしているところだが、こと式上荊についてはもしかしてという気になってしまう。むしろ、その方がしっくりくるまであるのだ。

 荊はお決まりの言葉を告げ、騎士団の事務所に向かって歩き出した。


 帰り道、ラドファルールは来た道と同じ、いやそれ以上に荊へ質問をぶつけ続けた。息継ぎもなく、舌を回し続けている。

 荊は誤魔化す返答もせず、黙ってただただ歩いた。


 ようやくと事務所まで戻ってくると、荊とラドファルールは若い兵士の敬礼に迎えられた。なんともすがすがしい様相だ。

 ここを離れる前にあった妙な緊張感は消え去っていた。


「ラドファルール卿! スレイヴの投獄、完了いたしました!」

「はいは~い。お疲れさん」


 ラドファルールは先を歩いていた荊を追い越す。

 それから、若い騎士から革でできたアタッシュケースのような鞄を受け取った。その足で馬車の御者席に座るセクターにずずいと鞄を押し付ける。


「はい、セクターさん。これがスレイヴの賞金と上乗せ分ね。金額確認してね〜」


 セクターは受け取った鞄をその場で開けて確認を始めた。お互いに不正をしていないか、立ち合いの元に確認するのが決まりなのだ。

 セクターが確認作業をしている隣で、ラドファルールは馬車から離れた位置にいた荊へと歩み寄る。


「式上クン、最後にするから一つだけ聞かせてくれない?」

「なんでしょうか」

「オレたちは、キミを信用していいんだよね?」


 改まった口調に真摯な瞳。

 軽薄さは鳴りを潜め、まさに正義の使者というべき姿でラドファルールはそこにいた。


 荊は思案した。

 ――なんと答えるべきだろうか。

 信用問題。ギルドどうこうではなく、荊という人間について尋ねられている。

 手の内を晒し過ぎているのは自覚があった。もともと隠そうという気がないのだ。

 元の世界では目撃者は消せ、と命令が下っていたが今は違う。誰に恐れられようと知ったことではない。


 では、自分の思いは、正しい答えは――、頭に浮かぶのは無垢な笑顔を浮かべる純真な女の子の姿だった。


「……俺個人には敵というものはいません。味方は女の子が一人だけ。その子に危険が及ばない限り、ギルドとして請けた仕事で騎士団の皆さんと対立することはあっても、として敵になることはありませんよ」


 嘘はなかった。

 この世界で荊にとって特別なのはアイリスだけだ。

 そして、彼女は自分の命よりも他人の命を優先するような、行き過ぎた思いやりのある少女である。

 荊が人間という種族の敵になる日が来るというなら、それはアイリスが人間の敵になる日。おそらく、一生やってこない。


 ラドファルールは荊の言葉を聞いて呆然としていた。ぱちぱちと瞬く。それから、小さな声で「人間に恋した死神」と呟いた。

 ラドファルール的には荊の返答は満足らしく、うんうんと何度も頷き、果ては「素敵な恋だね」と大絶賛である。


 ぎょっとしたのは荊である。ラドファルールは随分と可愛らしい解釈をしてくれたようだ。


「いえ、待ってくださ――」

「レプレス君、確認終わりました」

「はいは~い。それじゃ、恋する死神クン。今後ともよろしくね~」


 聞く耳も持たない。

 ラドファルールはいい笑顔で挨拶を告げると、若い騎士たちとともに整列し、敬礼してギルドからの使者を見送る姿勢をとった。

 いつまでもああして立たせておくことはできず、荊は諦めた様子で御者席へと腰を下ろした。

 荊が御者席に座るやいなや、セクターは彼の名前を呼ぶ。


「お疲れ様でした」

「はい、お疲れ様です」

「見た目で判断するわけじゃあないが、君はもっと冷静な方だと思っとりました」


 唐突に告げられた感想に荊は首肯した。


「そうですね。俺がもう少し若くて、これが個人的に騎士団から請けた仕事だったら、食ってかからずに立ち去ったと思います」


 基本的にはことなかれ主義であり、ちょっとでも面倒ごとになりそうな気配がしたら力で黙らせる。荊はそうやって生きてきた。

 自分がそうしたいからではなく、夜ノ森家の悪魔使いとしてそうすることが当然だった。


「ギルドから請けた仕事だから、ああやって言い返したんですかい?」

「いいえ、ただ不思議だったから、あの年配の騎士が何を考えているのか。俺、今は若い頃より素直なんです」


 荊は朗らかに笑った。

 セクターは青年の若い頃など少年ではないか、と閉口した。荊少年の聞き分けの良さなんかより、どんな経歴の持ち主なのかの方が気になる。

 しかし、訪ねたところでお決まりの「内緒です」と返されることは想像にたやすい。


「それでは荊君、ギルドに帰りましょうとも」


 セクターは手綱を握る。馬車は静かに走り出した。

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