第29話 命の理、責任と代償

 少しの時間をおいて鉄格子が開き、優男は年若い騎士を二人連れて馬車の前に現れた。


「どうもどうも、お疲れ様で~す」


 へらへらと笑う男は荊とセクターに頭を下げた後、魔物をじろじろと見つめて「本当に魔物だ」と感心をこぼす。

 彼の背中の向こうでは、直立不動の若い騎士たちが青い顔をしていた。魔物だけでなく、危機感のない優男にも慄いているようだ。


「こんにちは、セクターサン。毎度のことながら隊長のお相手ありがとうございます」

「そう思うなら、最初からレプレス君が対応をしてくれんか」

「いやいや~、隊長の楽しみを奪うことはできませんよ~」


 あっはっは、と高笑いをする男は軽薄だ。

 彼は満足するまで笑った後に、静観している荊を見つけた。たれ目を細め、気安い笑みを浮かべる。


「はじめまして、式上クン。騎士団本部所属騎士、ラドファルール・レプレスだよ。よろしくどーぞ」

「改めまして、式上荊です。先ほどは間に入っていただきありがとうございました」


 荊は深く頭を下げる。

 青年騎士は見たままを言えば軽々しい男であるが、先ほどの中年騎士よりは話が分かりそうだと思った。

 その期待は裏切られず、ラドファルールは「いやいや~、こっちこそうちの上司が悪かったね」と常識人のような顔をして身内の横柄を詫びた。

 それから、少しだけ言いにくそうに口をもごもごとさせる。


「あのさ、式上クン、突然なんだけどちょ〜っと頼みごとがあって」

「はい」


 ラドファルールは顔の前で両手を拝むように合わせ、お願いとばかりに首を傾げた。可愛らしい動作ではあるが年相応のものではない。

 荊の耳元に寄り、内緒話をするように声を潜める。


「隊長はああ言ったんだけど、この魔物、キミが殺してくれないかな。できれば橋を渡らずにその辺で」

「それは構いませんけど――」

「もちろん、お金はちゃんと払うからね。無理を言った分もつけるよ」


 特に断る理由もなかったので荊は二つ返事で提案を受け入れた。

 青年騎士はあからさまにほっとした顔をする。話が聞こえていたのか、その後ろにいる若い騎士たちも安心したとばかりに肩から力を抜いた。


 先ほどの中年騎士と比べると気位の高さが見受けられない。しかし、下手にこだわりが強いだけの高圧よりは印象が良かった。

 騎士として許されるかは別として。


「じゃあキミたち、スレイヴの収監よろしく~。オレはこっちの見届けするから」

「はっ! 了解しました!」


 ラドファルールが部下に指示を出している一方、セクターは気遣わしげに荊を見ていた。


「セクターさん、こちらはお任せください」

「……ええ、頼みましたとも」


 騎士たちに先導され、馬車は跳ね橋を進んでいく。すると、荷台を覆う幌の隙間から赤い光が飛び出した。

 荊は素早くぱちんと手を打ち鳴らす。音とともに光は空中で消えた。


 ――後でスカーレットにお礼を言っておかないとな。

 スカーレットの姿を見られた時、どんな反応をされ、どんな対応をされるか分かったものじゃない。魔物が悪魔と同じ生き物だと仮定している今、不用意に人の目につくようなことはさせられなかった。


 荊はちらりとラドファルールを盗み見た。

 今の動作に不審を抱かれていないか、スカーレットの光を見て疑問を抱いていないかの確認だ。

 どうやら問題はないようで、ラドファルールはわき目もふらず魔物に釘付けだった。好奇心が旺盛なのか、恐怖心がないのか。隊長と呼ばれていた彼に比べると魔物という生き物に対して勇猛である。


「さて君、悪いけど移動してくれる?」


 荊は穏やかな口調で魔物へ語りかけた。

 片角の欠けた魔物は騎士団の事務所を背を向け、太い足を持ち上げてのしのしと歩き出す。悠然とした足運び。堂々とした背中。

 荊とラドファルールはその後ろに続いた。


「ちなみに、どうやって言うこと聞かせてるの?」

「内緒です」

「なんと」


 ラドファルールは気になったことをすべて言葉にしてぶつけたが、荊はどれ一つとして明確な回答はしなかった。


 歩くこと数分、死に場所を決めたのは魔物自身だ。

 大きな木の傍に立ち止まった魔物は、荊に向き直ると自ら首を差し出した。瞳を閉じて、穏やかに呼吸をしている。敵意も殺意も一切ない。

 まさしく死を受け入れている行為に、ラドファルールが息を呑む。魔物のする行動とは思えなかったのだ。

 魔物は人間の敵、異形の力を持って人の命を蹂躙をする穢れた生き物――、そう思っていた。


「ほ、本当にその魔物を殺すの?」


 だから、こんなことを口にしたのは初めて見る魔物の一面に驚かされた、いわゆる気の迷いだった。

 殺すことを依頼したはずなのに矛盾していると頭では分かっていても、心の声が音になってしまった。


「別に彼は特別の良い魔物なんかじゃありませんよ」

 

 荊はためらいのある騎士に目もくれなかった。

 魔物の首を見据え、大鎌を手にする。


「命には理があります。彼は今でこそ人を襲わないし、死を受け入れている。けれど、ここで逃がしたところでまた本能のままに人を殺しますよ。必ずね」


 本能は生きるために必要で、それを奪うことは殺すこと。

 彼を生かしたいのならば、責任を持って命を預かる必要がある。しかし、それは命の理に反することだ。その対価は支払わなければならない。

 それが魔物――悪魔との契約である。


 ラドファルールにその覚悟――、もっと言えば契約に必要な適正があるとは思えなかった。

 実際、魔物がおとなしいというだけで情けをかけようという優しさだ。まず間違いなく食いものにされて終わる。


 荊は博愛ではないし、無関心でもない。

 目の前の魔物を生かすための代償を払うつもりはないし、他で人を殺すと分かっている生き物を逃がすつもりもなかった。

 言えることは、彼は自分と出会ったことが不幸、ということだ。


「ごめんね。君を殺さない、といった言葉が嘘だったことを詫びるよ」


 荊は大鎌を振るい、一閃でその首を刎ね落とした。

 これは世界と出会いの問題である。これが元の世界で、魔方陣を介した出会いだったなら、契約を交わしていたかもしれない。

 例えば、この世界で一対一での出会いだったなら、あの島に連れ帰って一緒に楽しく暮らしたかもしれない。

 しかし、これらはすべて可能性の話でしかないのだ。

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