第31話 よくできました!

 ギルドに戻った荊は思わず眉間を抑えた。

 何もないわけがない、といくつかのパターンは予想していたのだが全部はずれた。いつだって彼女は荊を驚かせてくれる。

 丈の短い黒のスカート、ひらひらとした白のエプロン、リボンのついたヘッドドレス――つまりは、メイド服。


「荊さん!!」


 アイリスは荊の姿を見つけるとばたばたとすっ飛んできた。ご主人様が帰ってきたと喜び駆け回る犬のようである。


 彼女の足元にいたネロも同じくだ。彼は軽やかに飛び上がり、荊の肩に収まると「にゃあ」と媚びた声を出した。

 荊にはそれが褒美の催促だとすぐに分かった。

 普段なら笑って流すところであるが、彼の首についた襟と蝶ネクタイの首輪、おそらくアイリスに合わせて執事仕様のそれを見つけてしまうと、その甘えも受け入れてやらねばと思えてしまう。


「おかえりなさい!」

「はい、ただいま」

「お怪我はありませんか?」

「ないよ。アイリスは――」


 何をしているの、と言葉は続かなかった。

 キッチンバーから飛んできた「アイリスちゃーん!」という大声にかき消される。

 声の主はキッチンバーに立っているコック服の女。ギルドに来ているメンバーたちへ飲食物を提供する仕事のようだ。提供用のカウンターに食事が上がっている。

 その彼女に呼ばれていてこの格好ということは、アイリスはホールの仕事をしているのだろう。


「は、はい! 今行きます!」


 元気よく返事をしたものの、アイリスは荊とキッチンとを見比べて動かない。眉を下げて困った顔をしている。


 荊はくすくすと仕方がなさそうに笑った。

 まだ彼女と一緒に過ごしてから長い時間は経っていない。しかし、その心は手に取るように分かった。

 自分がどうしてメイド服を着て、この仕事をしているのか説明したいのだろう。勝手な行動をするな、などと束縛したことを言うつもりはないのに。律儀なことだ。


「後でちゃんと聞くよ、仕事が終わるまで待ってるから。早く行ってあげな」

「! はい!」


 呼び声に連れていかれたアイリスの背を見送る。

 律儀なのは彼女だけじゃないようで、荊の肩で甘えていたネロもアイリスの後を追って仕事へ行った。

 もしかしたら、彼にも賃金が発生しているのかもしれない。


 仕事の報告をしようとカウンターに向かえば、にこにこと上機嫌の蘇芳が待ち構えていた。受付嬢の愛想の良さとは違う。悪戯が成功した子供のような無邪気さだ。


「やあやあ、お仕事お疲れ様! セクターから聞いたよ、さっすが荊君! 期待以上!」

「ありがとうございます。ところで、あれは?」


 荊は労いを話半分に受け取り、疑い深い目つきで蘇芳を見た。

 アイリスは素直ではあるが馬鹿ではない。そんな彼女がメイド服を着て、給仕をしているということは、その仕事を紹介した人物はアイリス基準で信用があるということになる。

 このギルドで該当するのは蘇芳しかいない。


「可愛いよねえ」

「いや、そういう問題じゃないでしょう」


 ――あの子はただでさえ絡まれやすいのだから。

 荊の心配を察し、蘇芳はおかしそうにけたけたと笑った。そして、カウンター横の応接室を指さす。

 荊も入ったことがあるその部屋の扉は開かれていた。


「安心しなよ。見てみなって」


 応接室には氷像になりかけた人間と魔人が合わせて六体。

 老若の男たちが足を氷漬けにされて立っている。口は自由であるのに誰一人として言葉を発していないのが悲壮感に溢れていた。


 アイリスはどの年代から見ても可愛らしいのだな、と娘の容姿を褒められた親の気分が半分。より無様な状態で氷像を作ったネロは良い仕事をした、と称賛してやりたい気分が半分。

 心配ごとは当たったが、まあ実害は出ていないのなら良しとしよう。


「蘇芳ちゃんは氷漬けにならなかったんですか?」

「なったなった! びっくりしたよもー!」


 一番、下心に塗れていたであろう彼女も犠牲になったようだ。ネロには望むものを買ってやろう、と荊は決心した。


 しかし、蘇芳は本当に氷像になったのだろうか。

 彼女の足は自由であるし、あまりに楽しげな口振りで応接室に漂っている空気とは正反対である。


「でも、あれくらいなら平気ー!」


 蘇芳はカウンターの下に手を伸ばし、金棒を手にするとひまわりのように笑った。彼女は自身の腕よりも太い鈍器を軽々と持っているが、錯覚かと思えるほど不釣り合いの武器だ。

 荒くれ者もやってくるギルドのカウンターに、一人だけで立っていることはある。


「アイリスちゃん、荊君の魔法って言ってたけど。どうやったの?」

「内緒です」


 蘇芳は「秘密主義だなぁ」と口を尖らせた。

 可愛らしく拗ねた顔をされたところで荊には響きもしない。ぶんぶんと金棒を振り回されて屈する男でもない。


「そうだ。今日の夜、ギルドを閉めてから時間をもらえるかな?」

「構いませんよ」

「荊君さえよければアイリスちゃんも連れてきてね」


 ――これからの話か。

 蘇芳の様子から察するに悪い話ではなさそうである。彼女が乗り気なのが荊の話なのか、アイリスの話なのかはわからないが。


「すみません。よければアイリスに休憩をいただけませんか?」

「そう言ってくれてよかった! あの子、一生懸命なのはいいけど休みもしないから」


 良い返事をしてくれた蘇芳に後を任せ、荊は空いた席に座ってようやく一息をついた。

 護衛任務の仕事自体は難しくなかったが、気疲れを感じる。馬車に乗りなれていないからか、スレイヴや魔物という存在が目新しいかったからか。


 ぼんやりとしていると目の前にマグカップが置かれた。ゆらゆらと湯気が立っている。


「お疲れですか?」


 ひょこと現れたアイリスは気遣わしげだ。


「ちょっとね」

「どうぞ、カフェオレです。ネロくんに甘い方が好きと聞いたので」

「みゃあみゃあ」

「はは、二人ともありがとう」


 アイリスが荊の向かいに座ると、その膝の上にネロが乗る。

 気ままな白猫はすっかり彼女に懐いたようだ。今も顎下を撫でられてだらしなくとろけている。


「で、なんで給仕の仕事してるの?」

「給仕だけじゃなくて、蘇芳ちゃんのお手伝いもします!」


 荊は口を噤んだ。

 蘇芳は信頼できると思うが仕事に対する嗅覚が鋭すぎるふしがある。アイリスの給仕の仕事だって、メイド服を着せた意味は制服だからなんて真面目な理由じゃないはずだ。

 過激なことを依頼される前に少し言い聞かせる必要があるかもしれない。


「薬草集めより稼げますし、この仕事を引き受ける代わりに、蘇芳ちゃんが無償で護身術を教えてくれることになったんです」


 ――真面目だな。

 アイリスは一生懸命に恩返しをしようとしている。荊が別の仕事をしようとしていることも気にしているのだろう。


「自分の生きるお金は自分で稼ぎます。荊さんの手をわずらわせたりしません」

「……頼もしいね」


 褒められた、とはにかむ彼女につられ、荊も笑みを浮かべる。

 のほほんとした空気はこのテーブルだけの話で、周囲からは衝撃の視線が荊に突き刺さっていた。

 アイリスに下心を持って話しかけた男どもが片っ端から氷像とされたのに、なんでこの男は無事なのか。疑惑の視線である。

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