第25話 知らないことばかり
やってきたのは二頭の馬が牽く
年季は入っているようだが、よく手入れがされている。
ただし、傷を修理した痕跡や補強の箇所が多い。荷物を雨風から守るための
運んでいる荷物が獲物になりやすいものであるのが見ただけで分かる。
「それじゃあ、仕事の説明をするね!」
ギルドの受付嬢の顔に戻った蘇芳は、ぱちんと可愛らしく手を打った。
「この馬車の荷台に乗った罪人を騎士団の事務所に届ける。その輸送中、罪人と馬車を護衛するのが荊君の仕事」
「何者かに狙われる可能性があるってことですか?」
「その通り。これから輸送する罪人はスレイヴだから」
知らない単語だ。
「……すみません、スレイヴっていうのは何でしょう」
「ありゃ、知らない?」
「初めて聞きました」
「まあ、普通に暮らしてたら関わることもないからねー。スレイヴっていうのはいわゆる魔王の手先ってやつ。魔物側についてる人間や魔人のこと」
荊は何とも言いがたい顔でむず痒そうに口をもごもごとした。
昨日にアイリスから聞いた魔王と勇者の物語について、彼女の夢物語の可能性を捨てていなかったのだ。そんなものいるわけない、と。
しかし、その現実逃避はたった今、蘇芳の手によって破壊された。
この世界には魔王もいるし、魔物もいる。そして、その魔王の配下となっているスレイヴもいる。
そもそも、目の前にいる蘇芳は魔人だ。黒から赤と移る色をした立派な角が額から生えている。
荊は嘆息した。
「それなら、今のうちに見ておいたら? 今後、うちでこういった仕事をしたいなら、魔物もスレイヴも相手にしていかなきゃならないし」
蘇芳の前向きな意見に荊は喜んで賛成した。
知らないことは減らしておくに越したことはない。
「是非、お願いします」
「いーよー! ついでに馬車の構造も説明しておくね。ささ、おいで」
蘇芳が誘導する先は御者席だ。
そこにはすでに御者の中年男性が座っていた。
品の良い紳士だ。短い白髪交じりの髪を後ろになでつけ、きっちりと執事服を着こみ、よく磨かれたモノクルをかけている。
彼と蘇芳とが並んでいるとここはやんごとなき名家のお屋敷ではないかと思えてくる。
「この馬車ね、荷台が丸ごと檻になってるのさ。で、その中に対象の入った檻を入れてるの。騎士団への受け渡しの時は檻から出して渡す」
「二重の檻なんですね。外側の扉は?」
「御者席の後ろ。そこしか扉はないよ」
「なるほど」
蘇芳は御者席の後ろにかかっている幌をぺらりと持ち上げた。
説明の通り、まず目に入るのは荷台に模している外側の檻の枠だ。太い格子は頑丈そうで、触れればその強さが分かる。
果たして馬で牽ける重さなのか、と荊は疑問を抱いたが、そもそもここまで走ってくるのを目撃している。金属が強度の割に軽いのか、この世界の馬はとんでもない馬力なのか、――荊には判断できなかった。
「彼女が対象ですか」
「ん、そう」
格子の向こうには、もう一つの檻がある。
その檻の中では腕と足を拘束された女が座っていた。こちらの会話が耳に入ったからか、幌の隙間から光が差し込んだからか、そのどちらもか、気だるげに顔を上げ、視線を荊たちへと寄越した。
女は荊の姿を捕えると一層に色気をまとわせてほほ笑んだ。ぽってりとした唇がリップ音を鳴らしてキスを飛ばす。
愛想の振りまきというより夜のお誘いだ。
荊は女の行動よりも、彼女の額に釘付けだった。
両目とは別の目がそこにある。
「彼女、人間に見えますが、額の目は魔人だからですか?」
「いいや、人間だよ。スレイヴの特徴は二つ。第三の目が開いていること、眼球が真っ黒に染まっていること。彼女みたいにね」
「……なるほど、覚えておきます」
目を細めて笑う女の目は、白目も虹彩も瞳孔もすべてが黒い。
「スレイヴは魔物と意思疎通ができるから、彼女が助けを求めたりしたら馬車が魔物に襲われる可能性がある」
「なるほど。それで護衛が必要なんですね」
「その通り!」
蘇芳は幌を元に戻すと、今度は御者を紹介するように手を向けた。
「で、このおじさんが御者のセクター」
「セクターと申します。今日はよろしくお願い致しますね」
「式上荊です。こちらこそ」
「セクターは自分の身くらいは守れるから、荊君は何かあっても対象を騎士団の事務所へ輸送することを優先して」
「承知しました」
とはいえ、何事もなく済ませるのが求められている仕事である。
荊は話を聞きながらも、頭の隅で魔物とはどんな生き物だろうか、と考えを巡らせていた。思うところはいろいろあるが、悪い考えはない。未知の相手に当然のように勝つつもりでいる。
「あとも一つ。まぁ無いと思うけど、もし襲われたとしたら、その対象は生かして騎士団へ連れて行ってね。報酬に色がつくから!」
「殺してしまったら?」
「死体を連れて行って。でも、荊君なら殺さずに拘束するくらい朝飯前でしょ」
期待値は悪くないらしい。
荊は「善処します」と張り付けた笑顔を浮かべた。よくできた表情が少しだけ嫌味ったらしい。
しかし、蘇芳にはその物言いが実に感慨深かったようだ。きらきらと目を輝かせると「荊君、やっぱり日本人だと思うなぁ」と合っているとも間違っているとも言えないことを呟いた。
「質問はある?」
「一つだけ」
「何?」
「この仕事はふらっとギルドに来た素性も知らない人間に任せるべきではないと思います。催促したとはいえ、どうして俺に任せてくれたんですか?」
仕事の内容を聞けば聞くほど不可解だった。
もしも荊が罪人を逃がすために来た刺客だとしたら、こんなに仕事のしやすい立場は他にない。
「……実はあたしの個人的判断なんだよね」
「え?」
「ギルドマスターにも相談しないで、勝手に決めちゃった」
いいんですか、と尋ねることを荊は止めた。愚問だ。いいわけがない。蘇芳にそれなりの権限があろうとも、独断はまずいだろう。
ギルドマスターは各地にあるギルド支部の代表だ。もちろん、エリオス支部にだっている。
荊はセクターに視線を向けた。御者の彼は命を任せることになる相手が自分でいいのだろうか。
セクターは人の好い笑みで頷く。表情のままに回答を受け取るならば、肯定という事だろう。
「荊君と仕事がしたくて」
蘇芳は緩やかに微笑んだ。
口元は笑みの形であるのに、目は凪いでいてどこか寂しそうである。
「……ありがとうございます。必ず期待には応えます」
「よろしくね」
――お金を稼ぎに来ただけのはずなのに。
蘇芳がふとした瞬間に見せる歪みが気にかかった。朗らかな少女が陰った大人びた顔をする。
そもそも、荊は世話焼き気質なのだ。アイリスとともにいるようになってから、その性格には拍車がかかっている。
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