第24話 初めてのお仕事

 初仕事の朝。空は晴れ渡り、心地の良い風が吹く。いい天気だ。

 意気揚々としたアイリスと元気溌剌のネロ、通常通りの荊は揃ってギルドの扉をくぐった。


 アイリスは他のギルドメンバーから、また変に値踏みされることを警戒していた。が、それは杞憂に終わった。

 ほっとする少女に荊は「昨日は服装が酷かったからね」と今後の心配は不要だと告げる。確かに、昨日着ていた服は海賊のお下がりでボロだった。仕事を求めてきた浮浪者に見えたのかもしれない。間違いないのだが。


 ギルドは朝から活気にあふれていた。

 受付カウンターでは蘇芳が笑顔を絶やさずに、仕事を請けに来たギルドメンバーたちをさくさくとさばいている。


「荊君、アイリスちゃん、おっはよー!!」


 二人は「おはようございます」と丁寧に挨拶を返した。

 すると、蘇芳はぷくっと頬を膨らませて「もっと仲良しな感じにしてよぉ」と甘えた声を出す。荊は乾いた笑いで聞き流すだけだが、アイリスは律儀に「おはよう」と言い直した。我がままを言った彼女は満足げだ。

 ギルドカードを提示すれば、蘇芳はしたり顔で頷く。


「アイリスちゃんには、はいこれ! これが欲しい薬草一覧と生息地図ね。ノルマの量を採取して、十六時にまでに戻ってきて」

「分かりました!」

「荊君は裏口待機でよろしく!」

「はい」


 仕事の請負は早々に終わる。

 ささっと横に避け、次に並ぶ人に場所を受け渡した。その足で、談話スペースの空いていた椅子に二人で並び座る。


 荊はこほんとわざとらしく咳払いした。

 仕事を請けてからずっとアイリスは信じられないものを見る目で隣の男を見上げていた。真っすぐの視線が突き刺さっている。


「荊さん、悪いことしないって言いました」

「悪いことしようとなんてしてないでしょ。ちゃんと依頼された仕事なんだから」

「じゃあ、なんの仕事をするんですか」

「罪人を輸送する馬車の護衛」


 仕事内容を聞いて、アイリスは悲しげに顔を伏せた。押し黙って唇を噛み、何かを我慢しているようだ。

 抱えられたネロが気遣わしげにゆらゆらと尻尾を揺らす。


「適材適所、俺はあっち。君はこっち」

「……」

「ネロ、アイリスをよろしくね」

「仕方ないなあ、任されよ――」


 話しかけたのは荊であるのに、返された言葉に小さな口を素早く片手で塞いだ。冷えた目で「ネロ」と名前を呼ぶ様は理不尽にも思える。

 アイリスはそんなやりとりも気にならないようだ。口を真一文字に結んでいる。居心地の悪い沈黙に包まれていた。


「アイリス、お願いしたでしょう。自分を大事にしてって。黙っていないで、言いたいことは言って欲しい」


 昨晩、恩返しをしたいというアイリスへ、荊は二つのことを伝えた。護身術を学ぶことと、自分を大事にすること。どちらもアイリスのための提言だ。

 アイリスは逡巡した後、おずおずと口を開いた。


「い、荊さんが、一緒にいてくれないと、不安、です」


 弱々しく紡がれたのは幼い子どものような望みだった。小さな声は「ネロくんがいてくれるのは、分かってるんですけど」と続ける。


 少しだけ驚いた。しかし、当然の要求だと考えを改める。

 アイリスとともに行動を始めてから、まったくの別行動をするのはこれが初めてだ。あの孤島で遭った事件が尾を引き、一人になれば襲われる、という感覚が染みついているのかもしれない。

 不安にもなるだろう。


「ごめんね」


 アイリスの気持ちは汲み取りたいところだが、彼女を自分の仕事には連れては行けない。

 戦えない女一人抱えて仕事をするなどわけない話だが、見たくないものを見せないことは難しい。これ以上、彼女に心を苛ませる荷物を背負わせたくはなかった。


「その代わり、アイリスに魔法をかけてあげる」

「え?」


 アイリスの両肩を掴み、荊はにっこりと笑った。力が強い。怒られているわけでもないのに少女は萎縮した。


「下心を持って君に近づく奴らが氷漬けになる魔法だよ」


 言ったからな任せたぞ、と無言の圧力をネロにぶつけてぱっと手を離す。その手で優しく背中をぽんぽんと叩けば、アイリスは渋々「いってらっしゃい」と呟いた。




 荊はギルドの裏口で静かに佇んでいた。

 革手袋の感触を確かめるように、拳を握っては開きを繰り返す。真っ黒のそれは元の世界で使っていたものだ。

 手袋をするとこれから仕事だと頭が切り替わる。懐かしい。こんなにも長い間、手袋をしていなかったのは初めてだった。


「荊君お待たせ〜」


 裏口から現れたのは蘇芳だ。彼女は荊の隣に並ぶと「もうすぐ馬車が来るからね」と特別の仕事を待つにしては緊張感のない様子である。

 気持ちのいい風に桃色の髪が揺れる。


「荊君のこと、というか、あの島をめぐる話について昨日調べたよ」

「何か面白い話でもありましたか?」

「一週間とちょっと前、死神の呪いを鎮めるため、善意で生贄になった少女がいたんだってさ。で、それを救出に行った街の男たちが全員瀕死で帰ってきたって話。被害者の一人は死神を見たって騒いだらしい。生贄は彼のものだからもう関わるなってね」


 どの面下げて善意の生贄だの、アイリスの救出に行っただのとのたまわっているのか。都合のいい風に言いふらしているのだな、と荊は静かに嘲笑した。

 蘇芳が「それから被害者全員が口を揃えて、恐ろしく凶暴な猫のことを話したそうで」と続けて、いよいよあの軟弱な男たちを小馬鹿にする気持ちが強くなる。


「どう思う?」

「そうですね。……その話に出てくる登場人物で被害者は一人、生贄の少女だけです。あとは全員が加害者だ。もちろん、恐ろしく凶暴な猫も」

「そう」


 特に意外性もなかったのか、蘇芳はただ頷くだけだ。


「一つ、聞いてもいーい?」

「はい」

「なんで海賊を殺したの?」


 ――海賊を殺した理由。

 あのときは生きる屍も同然で、気が立っていた。犯されようとしている少女を見つけ、鎌を振るったのは衝動的だった。

 殺す必要があったかを問答する気はない。彼らは悪党だった、それだけだ。


「さっきの話と同じですよ。死神の生贄に手を出そうとした」

「……そっか」


 荊は横目に蘇芳を窺った。

 黄金こがねの瞳はどこを見ているのか。ふと見せる大人びた表情でもの思いに耽っている。

 遠くから馬の足音が聞こえてきた。

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