第8話 少女はかく語りき

 アイリスはネロを介せば荊に話が伝わる、と気づくや否や「×××××××!」と勢い任せに低頭した。額を地面にぶつけんばかりのお辞儀。

 ネロはぱたぱたと尻尾を揺らしながら、一向に頭を上げないアイリスのつむじを見やる。


「助けてくれてありがとう、だって」

「ああ、それはこちらこそ。お礼を言いそびれてた。本当にありがとうございます」


 なおも深く頭を下げて謝意を示すアイリスに、荊は彼女よりも深く頭を下げて返した。

 荊はアイリスに命を助けられたことと同じく、その気丈さにも感謝していた。

 結果としては荊が彼女を助けたことには違いないが、過程として殺人を犯している。無縁の相手を簡単に殺す男など、ただただ怖いだけだろう。

 であるのに、こうしてアイリスは荊と対面し、言葉を交わそうとしてくれている。唯一の情報源がアイリスしかいない今、その振る舞いはありがたいことだった。


「早速で悪いんだけど、ここはどこか教えてもらっても?」


 周囲は余すところなく緑に囲まれていて、深い森の中のようである。木々の隙間から太陽の光が差し込み、風に運ばれて潮のにおいがした。

 ネロは二人のちょうど中間地に落ち着くと、話をする方へと順に顔を向けた。小さな頭は左右に行ったり来たりを繰り返し、愛らしい声で通訳した言葉を受け渡していく。


「ここはユリルハルロ王国の端の端にあるルマの街、――からほど近い名前のない無人の孤島。……国の人からは“死神が住む呪われた島”って呼ばれてるんだって」


 ――何一つ聞いたことがない。


 荊は知識不足の可能性はとうに捨て、ここが異界であることは疑っていなかった。魔界から世界を跨ぎ、人間と契約する悪魔のネロがそう断言するのだからそうなのである。

 ネロはゆっくりと言葉を選ぶアイリスの話にぴくぴくと耳を震わせた。


「空から死体が降ってきたり、夜な夜な叫び声が聞こえたり、近くを通った船が消えたり、度胸試しに行った人がそのまま帰ってこなかったり」

「……空から死体ってのは、お嬢様のだろうな」


 ふむ、と荊は口元に手を当てる。得心のいった顔で「まさか死体を異世界に捨ててたなんて考えもしなかったけど」と苦言を呈した。

 悪魔使いの仕事は基本的に汚れ仕事である。いろいろな意味で。処理しなければならない廃棄物が発生することはままあった。その片付け作業は楓の担当であり、どういったことをしていたかといえば、今、荊の身に起こっていることが答えだ。


「ところで、アイリスはどうして呪われた島に? ここ無人島なんだろ?」


 不意にアイリスの顔が陰る。

 薄く開いた唇からは声でなく、沈んだため息が漏れた。ひゅっと短く乾いた喉から音が鳴り、荊には分からない言葉が弱々しく紡がれる。

 アイリスの声にぴくんとネロの耳が立った。


「……怪奇を起こす死神を鎮めるための生贄。それがカノジョ」


 問いただす視線が二対、アイリスへと向く。

 肩身を狭そうにする少女が暴行に遭おうとしていたのも、その“生贄”のせいなのだろうか。いや、あれが生贄として捧げられた命を神域で飼う行為だというなら、そんな俗っぽい神への信仰など止めてしまえと荊には言い切れた。

 神をも恐れぬ進言が発せられる前に、ネロは「でも、今は廃れてる風習らしい」と注釈を加える。


「廃れてる?」


 ――では、何故、アイリスは生贄に。


 続きを待つ荊をよそに、ネロはどんどんと表情を嫌悪で歪めていった。アイリスがたどたどしく語る内容がよっぽど気に入らないらしい。

 会話の最中で「げえ!」だの「おえ!」だの短い嗚咽が何度も登場している。ぱしん、と白い尾っぽが地面を力強く叩いた。


「何だって?」

「自分のお父さんよりも年上の金持ちじじいから結婚を迫られて、断ったから生贄に出されたんだって! そんなの振られた腹いせじゃんか!」


 許容するかは別として、荊には耳珍しい話ではなかった。

 悪魔使いとして夜ノ森家で働いていた仕事のうち、そんな欲に塗れた関係性を見る機会はよくあった。そういうときの任務は大抵、どちらも殺してしまえ、という手前勝手な命令ばかりであったが。

 荊は「どこの世界でも若い女の子が好きな変態おじさんはいるもんなんだな」と他人事のように呟いた。


 しかし、彼はアイリスをしようという下衆の考えも分からないではなかった。確かに、彼女の容姿や言動を見ていると、どうにも不埒な考えが頭をよぎってしまうのだ。手籠めにし、汚したくなる欲望が駆り立てられる。

 性的欲求を満たすことは交渉道具の一つと割り切っている荊でさえ、抗いがたい何かを感じていた。

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