第5話 救世主様の奇跡
荊は目の前の少女が可哀想で仕方がなかった。いっそのこと、気絶でもしてしまえれば楽だったろうに、と。
人気のない森で男どもに襲われた挙句、その男どもの首が刎ね飛ぶところを至近距離で見させられ、さらに、突然現れた男までも首から血を噴き出している。
彼女がどんな人生を送ってきたかは知らないが、こんな血生ぐさい経験はそうそうないだろう。
荊は首元に手を当て、努めて柔らかく笑って見せた。
「実は今、首を刎ねられたところで」
死は着実に忍び寄ってきている。
青白い笑顔で伝わらない説明をされたところで、少女が安堵するはずもない。それでも荊は知らん顔で笑うだけであった。
――打開策を見つけるのが先か、肉体の限界が来るのが先か。
この状況を好転できる案を考え付かなければ、本当に何も成せないままで命を燃やし切ってしまう。
荊はするりと機械の首輪を撫でた。
物騒な処刑道具を力任せに外せない理由は二つある。
一つは、首輪の材質が特別頑丈であるから。聞き覚えのない特殊な金属を加工したもので、悪魔の業火にも解けない特別性。実際、荊の持つ鎌でもかすり傷一つつけられない。
もう一つは、首輪が動作を停止すると自動で爆発する仕組みであるから。適当にいじくりまわし、精密機械の部品一つでも破損させてしまえば爆発である。
実のところ、この機能について荊は真偽を知らない。しかし、失敗の危険性を考えれば、迂闊に実行する気には到底なれなかった。
手を出すとすれば、万策尽きた後の最終手段である。
「××、××××。×××××××××?」
「……ごめん、何?」
少女はおずおずと荊に向けて言葉を紡いだ。
とはいえ、荊は話かけられていることは分かっても、それ以上はどうしようもなかった。言葉が分からない。疑問形で終わったような気はするが、だからなんだ、というわけである。
不思議そうにする荊に、少女は震える手を伸ばした。ゆっくり、ゆっくりと動く手が目指すのは無情の首輪だ。
荊はぼんやりと目の前の光景を見ていた。
彼女は絶対に恐怖している。それでも、瞳だけは真摯で据わっていた。普段の彼ならば急所に伸ばされる手など、ねじり折っているところである。
しかし、今は驚くほど素直に少女の行動を受け入れていた。
細い指の先が首輪に触れる。のろのろとした動作で、親指、人差し指、中指と一本ずつ指が増えていく。
両手が首輪を掴むように添えられた頃には、荊はすっかり少女の行動から意識を外し、次の処刑のことを考えていた。
このまま首を断ち続けるわけにもいかないが策はない。自分はあと何度の死刑を耐えられるだろうか、と。
荊は秘めやかに吐息を吐き出す。重く、沈んだ息。
そろそろ、次の斬首の時間である。首輪に触れている手を避難させよう、と少女を見やれば、荊が口を出す前に彼女の手が引き戻されていくところだった。触れたときを逆再生するように慎重に動いていく。
かちりと無機質の音が鳴った。
「――――え?」
少女の右手には首輪の半分、左手には首輪の半分。
荊は反射的に喉を押さえるように手のひらを自身の首に這わせた。ぽこりと浮いた喉仏、張った首筋に太い骨、触り慣れない自分の首の感触。
今までとは別の意味で心臓が暴れる。死の恐怖に苛まれてではなく、生きる希望を手繰り寄せたことに。到底、信じられなかった。十数年もの間、荊を縛ってきた拘束具がもはやガラクタと化していることなど。
「う、嘘……、どうやって……」
動揺した荊は呆然として少女を見つめる。少女は居心地悪そうに視線を彷徨わせた。
「×××××」
荊は無意識に口元を覆い隠す。この感動をどう伝えればよいのか、と必死に思考を巡らせた。
しかし、結果は振るわない。ほとんど考えずに動いている荊は、少女には不似合いな首輪を取り上げてその辺に放り投げた。それから、彼女の薄い手をぎゅうぎゅうと力強く握り締める。
――この何もできそうもない手が、どうして死を取り除いた。
「……、は――、なんて、言ったらいいか」
言葉にならない。どれだけ探しても適切なものが見つからなかった。
心の軽さに反して、身体が重く、動きが鈍くなる。突然に得られた安息に、溜まった疲労がすべて爆発したかのようだった。
荊の体がぐらりと揺れる。このまま倒れては彼女にのしかかってしまう、と分かっていても体のコントロールができず、荊は頭から少女に突っ込んだ。同時に意識も飛んでいた。
甘い誘惑の死のにおいはもうしない。
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