第3話 悪党を狩る死神の大鎌
荊は自分の身に起きたことが信じられなかった。
目を開かずとも、肌で分かる。ほんの数秒前、今の今までいた場所と空気が違うのだ。人が多い都会独特の淀みもなく、べっとりとした殺気も、夜のしめやかさも感じられない。
変わらないのは、未だに自分から色濃く発せられる死のにおいと、衣服に染み込んだ血液の冷たさだけだ。人としての尊厳が脅かされるような不安感と、頭が爆散しそうな痛みとがゆっくりと引いていく。
そうして、正常な感覚を取り戻していくと、現状がいかに奇妙なことかを強く実感できた。
不意に敵意の視線がうずくまる荊を突き刺した。
荊は気だるさを隠すことなく、のっそりと顔を上げる。そして、手負いの獣に喧嘩を売ろうとする何者かをねめつけた。
まず、荊の目に映ったのは太陽の日差し。次に生い茂る緑の木々。最後に団子のように固まっている三人の人間だった。
ここは深夜のビルの屋上ではなく、昼間の大森林の中。むせ返るような緑と土のにおいが、文明というものを感じさせない。それだけでも大問題だったが、荊がまず対峙しなければならなかったのは、気位の高い冷血の美女の代わりに現れた、もつれ合う男女だった。
「うわ……」
色などなくした端整な顔が嫌悪で引きつる。目の前の光景は醜悪というにふさわしかった。
三人のうち二人は男で、荊に敵意の照準を合わせている。その男たちの下には、組み敷かれるようにして拘束された半裸の女が横たわっていた。彼女に意識はあるようで、猿ぐつわをされた口で悲鳴を上げ、一生懸命に身体を捩っている。
――どこだか知らないけれど、酷いところに落とされたな。
荊は悪魔使いとして鬼畜外道の所業を見聞きし、ときには自身が語るもはばかられる悪事に手を染めることもあった。それでも、世に一般的と言われる倫理観と道徳心というものは知識として理解している。
今、彼の眼前に広がっている光景は、心ある人間としては許してはならないものだ。荊がその心ある人間に当てはまるかは別の問題であるが。
「××××××!!」
「……? …………悪いけど、何を言ってるかさっぱり分らない」
「×××!!」
涎を飛ばしながら喚く男の言葉も、もごもごと不鮮明に女の言葉も、荊は言語として理解できない。ただ、言葉は通じなくとも、荊には確かに男たちの罵声と女の助けを求める声が聞こえていた。
荊は目の前の光景を白い目で見る。事情の一切を知らないがこれまでの暗い経験から、女が悪党で男たちから報復されているのではなく、男たちが純然たる悪党であることを断言できた。
普段の荊であれば思慮深くこの状況を観察し、損得を吟味し、分け入るかどうかを決断をしただろう。
しかし、今の荊は正常ではなかった。
致死の寸前で引き返すという行為を何度も何度も続けていた彼は、屍かと見間違うようなふらふらの足取りで男たちに近づく。
荊は静かに、ゆっくりと息を吐き出した。現状も把握できていない、サロメの攻撃の情報を処理しきれていない頭でも、やるべきことを本能で理解していた。
「ヘル」
喚び声。氷の世界から轟くような冷たい響き。
荊は広げた手の平を天に向けた。血染めの革手袋の上に、どこからともなく青鈍色の大鎌が現れる。光を受けて青光りする刃は人間の首を刈るには十分な大きさだ。
「××××!! ××! ××××!!!!」
元よりこの場にいた三人からすれば、荊は突如、前触れもなく現れた異常の人間である。全身が血で汚しておどろおどろしく歩く異物、その手には人を殺せる凶器。
あわやと男たちが慌てふためく――、そんな猶予を血塗れの死神は許さなかった。
ためらいなく、刃は一閃する。
それはそれはあっけないものだった。
吹き飛んでいった二つの頭は背の高い草むらに飛び込み、切り口からは鮮血が舞う。残された体は痙攣をしながら倒れ、女に覆いかぶさるように重なった。
「――!? ――――!!!?」
声にならない悲鳴。大層な怯えを見せる女に、荊はほんの少しの罪悪感を抱いた。
悪魔使いとして残虐非道の仕事ばかりをしてきた自分からすれば、悪党なんて殺してしまえ、と簡単に切り捨ててしまえる。しかし、その感覚を他人に押しつけるのは無理がある。
女の目には自分に乱暴をしようとした男たちと同じく、荊も恐怖の対象だった。
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