第13話
ヨシオが目覚めると、もう朝になっていました。目の前には山間(やまあい)にぽっかりと開けた草原がひろがっていましたが、夢で見た村はありませんでした。仏頭が空高く舞い上がり、まばゆく光ったことまでは覚えているのですが、その後のことは何も覚えてはいません。仏頭もいつの間にか、なくなっていました。
ヨシオはやりきれない思いで、しばらくの間ぼんやりと立ちつくしていました。すると、後ろから声がしました。
「すみません、地元の方ですか。」
ヨシオが振り返ると、そこには見知らぬ娘が立っていました。いかにも、山を歩き慣れている感じです。初めて会ったはずなのに、ヨシオはなんだか懐かしいような不思議な気持ちになりました。
「私は民俗学の調査に来たんですが、入らずの谷ってご存知ですか。」
ヨシオが首を振ると、
「民話には作り話ではなくって、本当にあったことに基づいているものもあります。このあたりの民話を調べているうちに、もしかしたら本当に入らずの谷があるかもしれないと思って、確かめに来たんです。でも、違っちゃったみたいですね。」
娘は苦笑いをしながら言いました。
「僕は地元の人間ではないので、その話は知りません。入らずの谷ってどんな話なんですか?」
「あ、すみません。私はユウコって言います。入らずの谷の話というのは・・・
昔、戦があった時に、兵士たちの目の前で村が丸ごと一つ神隠しにあい、追いかけようとした兵士が天変地異に見舞われて恐ろしい最期を遂げたので、それ以来村のあった場所は入らずの谷と呼ばれて誰も近づかなくなったというお話しです。これだけだったら、どこにでもあるような話でしょう?
でも、この話には続きがあるんです。
二十年後にふもとの村に一人の娘が現れた。彼女はあの神隠しにあった村の娘だったけれど、その間のことは何も覚えていなかった。ただ不思議なことに、娘は少しも歳を取っていなかった。
こんな後日談があると、何か話の元になったことがあったかもしれないと思うでしょう?」
ヨシオはうなずきました。
「ところで、その娘の名前は何というんですか?」
「ゆうっていうんです。私の名前と似てるでしょう。だからよけいに調べてみたくなったんです。ところで、あなたはどうしてこんなところにいるんですか?」
ヨシオがふと足元を見ると、とても古い大きな切り株の真ん中から、小さな栗の木が生えていました。
ヨシオは、なぜか心が晴れ晴れとしてきました。
そして何となく、この人になら、あの不思議な仏頭の話をしても信じてくれそうだなと思いました。
「もしかしたら、入らずの谷は本当にあったのかもしれませんよ。」
ヨシオは不思議な仏頭とめぐり会い村のありかを探したこと、そしてなぜ自分がここにいるのかを、ユウコに話しました。ユウコは目を丸くして、聞き入っていました。
「こんな話、信じられないですよね。」
ヨシオは苦笑いしながら言いました。ユウコは草原を歩きながら言いました。
「そんなことはないです。だって、地元の人でもないのに、こんな人里離れた山奥に、わざわざ入ってくるなんて、ふつうじゃ考えられませんから。
でもね、ここが神隠しの村だとは思えないんです。」
ユウコはあたりを見回しました。
「ここに村があったのなら、どこかに人の住んでいた痕跡があるはずなんです。まして、その仏頭が解放したばかりなんでしょ?それなのに、ここには何もありません。あるのはさっき草原の入り口で見つけた大きな切り株だけ・・・。」
二人が振り返ると、いつの間にかそこには見上げるばかりの大きな栗の木がそびえ立っていました。そして呆然としている二人の耳に、人々の声が聞こえてきたのです。
あわてて振り向くと、そこには村があって、何人もの村人たちが往き来していました。中にはこちらに手を振っている人までいます。
呆然と立ちつくす二人の姿に、太一とゆうの姿が重なりました。
二人は見つめ合うと、どちらからともなく互いの名前をつぶやきました。
「太一」
「ゆう」
二人の目から、大粒の涙がこぼれ落ちました。太一がゆうに言いました。
「とうとう帰ってきたんだ。」
ゆうも、うなずきました。
そして二人が手を取り合った時、急に強い風が吹き渡り、村も栗の木も霧が風にかき消されるように、見る間にその姿を失ってしまいました。
気が付くと、二人は手を握りあったまま立ちつくしていました。二人の頬には涙の跡がありました。どのくらいの間そうしていたのかも分かりません。
「入らずの谷は、やっぱり本当にあったんだ。」
ヨシオがそうつぶやくと、ユウコもうなずきました。
「僕たちは、あの仏頭に導かれて、ここに帰ってきたのだろうか。」
ヨシオはユウコの目を見つめながら言いました。ユウコは微笑むと、静かに首を振りました。
「たとえそうだとしても、昔は昔、今は今。これからのことは、私たち次第でしょ。でもね・・・」
ユウコはくすっと笑いながら言いました。
「ひとつだけ困ったことがあるの。これじゃ論文が書けないわ。どうしよう。」
入らずの谷の話 OZさん @odisan
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
短歌/OZさん
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 1話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます